第9話 ドレスと影と
「覚えてない? 俺だよ、俺」
「ええと……山崎くん?」
「当たり」
へへっと笑う彼は、がっしりした体格の元同級生だ。小学校時代、同じクラスになった事が何度かあった。
あのころは悪ガキそのものだった彼だが、今は普通のサラリーマン姿だ。聞けば、浄水器の営業販売をしているらしい。
「機会があったらぜひよろしく……っていうのはおいといて。村本、綺麗になったなぁ」
「あー、山崎が綾乃を口説いてるー」
「うるさい、安崎」
「山崎が安崎にうるさい、だってー」
少しお酒が入っているらしく、やっちゃんが赤い顔でけらけら笑う。それをにらみつける山崎くんの顔も、なぜか赤く染まっていた。
「いや……ほんと綺麗になったよな、って」
「えっ……」
「村本、このあと時間ある?」
何が起こっているのか分からずに、綾乃がしどろもどろになる。だが、状況が理解できた瞬間、火がついたように顔が熱くなった。
「い、いや、あの、ちょっと、用事があって……!」
「あー、山崎がふられたー」
「だからうるさいって安崎! ああもうややこしいなまったく!」
やっちゃんに怒鳴ってから、山崎くんが綾乃に向き直る。
「じゃあせめて連絡先の交換とか、どう?」
「え……っと、でも」
「電話かメール、どっちかでもいい。なんなら自宅でもいいから」
どうしよう、と思った綾乃の背後で、悲鳴のような泣き声が起こった。
「嘘よ、そんなの!」
ざわざわとした会場内、ひとりの女性が泣き崩れていた。
「嘘、嘘、嘘よ! 嘘に決まってる」
「何だぁ……?」
勢いが削がれたらしい山崎くんが、頭をかきつつ振り返る。ほっとした半面、泣いているのが桜庭さんだと気づいた時、嫌な具合に心臓が跳ねた。
会場のほぼ中央で、注目を一身に集める女性。
この日のために新調したらしいドレスをふり乱し、化粧が崩れるのも構わずに、床にへたり込んだまま号泣する。そんな彼女のそばで、数人がおろおろしたように眺めている。その横で青ざめているのは――広岡さんだ。
その足元で、桜庭さんが顔を覆った。
「嘘よ――そんなの。上条くんが死んだなんて!」
ざわり。
その瞬間、大きく空気がどよめいた。
「え、上条?」
「確か、転校した……」
「人気者だったよね。覚えてる」
ざわめきが戸惑いを帯びながら、やがて不穏な気配をまとっていく。
身近なはずの同級生の死。そのアンバランスさが、華やかな会場との差異を強調して寒々しい。光に満ちた空間に、突然現れた暗い影。そのコントラストは、はっとするほど強烈だった。
「ええと……村本、覚えてる?」
山崎くんが困惑した顔で、それでも話しかけてくる。綾乃はその横で、凍りついたように立ちすくんでいた。
「いや、俺もさ、偶然聞いただけなんだよ。転校先に親戚がいて、耳に入っただけなんだ。でも、確かな情報だって……」
困惑したように話すのは、同じクラスだった男性だ。名前は忘れたけれど、そんな悪ふざけを言うような性格じゃない。彼は参ったなと眉を下げ、ごめんと桜庭さんに謝った。
「そんなにショックを受けると思わなかったんだ。ずいぶん前の話だし、さすがに昔の思い出なのかなって。だから、せめて教えてやりたかったんだけど……」
「綾乃? どうしたの?」
ふらふらと歩いていく綾乃に、やっちゃんが目を丸くする。隣にいたはずの山崎くんがどんな顔をしているか、まったく気にもならなかった。
「――教えて」
彼の前に行くと、相手は戸惑った顔で綾乃を見た。
綾乃は目立たない子供だったから、覚えていないのかもしれない。それでも構わずに、ぎゅっと胸元を握りしめた。
「上条くんのこと。……教えて」
本当に、そうなの?
「……うん。友達に聞いた」
彼の話によると、上条くんは転校先で幸せに暮らしていたらしい。お父さんも新しい仕事を見つけ、お母さんもパートで働いていたという。お兄さんは一緒じゃなかったが、家族全員、新しい暮らしに馴染んでいたようだ。
転校先でも上条くんはモテていて、やっかみの対象にもなったらしい。
だが、そんなある日の事だった。
「十一月の初めだよ。事故だったって」
それは突然の出来事だった。
授業を終え、家に帰る途中で、上条くんは居眠り運転の乗用車に撥ねられたのだ。
運転手は酒を飲んでいて、酩酊状態だったらしい。
すぐに病院に運ばれたが、その時点で既に意識はない状態だった。目撃者の話によれば、現場は見通しの良い道路だったようだ。まさかこんな事故が起きるなんてと、呆然とした様子だったという。
文字にすればありがちな、どこにでもある不幸な事故。
けれど、その事故が、上条くんの命を奪ってしまった。
「昏睡状態がしばらく続いて……。すごく頑張ったけど、本当に頑張ってたらしいんだけど、やっぱり駄目だったって。お兄さんが教えてくれた」
生前は弟と仲良くしてくれてありがとうと、わざわざ挨拶しに来てくれた。
葬儀の日、空は鮮やかに澄んで、目に染みるほど美しい青色が広がっていた。
新しい学校でも人気者だった上条くんのお別れには、たくさんの人が訪れた。
女子はみんな泣いていて、男子の中にも泣いている人間が多くいた。みんな悲しい顔で、うつむいたまま、棺に白い花を捧げていた。泣き崩れ、肩を抱かれて歩いている女子の姿もあった。
「そういえば、村本の話も出たよ」
彼がふと思い出したように口にした。
「上条のやつ、うちの学校に好きな女の子がいたんだって。名前は言わなかったけど、いつも教室の片隅で、本ばっかり読んでた女の子だって。あれ、多分、村本のことだろ」
「私……?」
「俺も聞いた話だから、確かじゃないけど」
その言葉にどう答えたのかは分からなかった。
ただ、上条くんの姿が浮かんだ。
小学生のままの、それしか知らない上条くんの、たくさんの姿。
笑った顔や、困った顔、サッカーをしている時の真剣な顔。そして、綾乃に向けてくれた飛び切りの笑顔。
それから、唐突に北斗さんの事を思い出した。
――ああ、だから。
あの日の出来事が、すとんと胸の中に落ちた。
だからあの日、北斗さんは綾乃のところに来てくれたのか。
十一月の初めごろ。それは北斗さんに出会ったのと同じころだ。
上条くんの話を手がかりに、恐らくは名前とクラス写真を使って、彼は綾乃に会いに来てくれたのだ。
上条くんはメールも手紙もできないと言った。当然だ。メールや手紙どころか、その瞬間、彼は話をする事さえできなかったのだから。
上条くんは、お兄さんに綾乃の話をしたのだろうか。
だから会いに来てくれたのだろうか。
――わざわざ?
どうしてなんて聞いても意味はないけれど、北斗さんに聞いてみたい気がした。
いつの間にか綾乃は会場を出ていて、ふらふらと駅への道を歩いていた。
やっちゃんと山崎くんがどうしたのか、まったく覚えていなかった。
季節は冬で、街中にはクリスマスソングがあふれている。本番まではひと月弱。まだまだ先は長いのに、今日が当日のようなにぎやかさだ。
ふいに、声をあげて泣きたくなった。
「……っく」
――Jingle, bells! Jingle, bells! Jingle all the way!
にぎやかなメロディが通り過ぎる。軽快な歌詞に弾む曲。鈴の音が軽やかに降ってくる。こんなに美しいものがたくさんあるのに、上条くんはもういないのだ。
輝く星も、きらきらしたオーナメントも、急に色褪せてしまったように感じられた。
「――待って」
腕をつかまれたのはその時だった。




