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62. 彼女のいない日常

「ん——ぅん…」


『ヴィア、ヴィア起きて——?』


「もうちょっと、だけ……」


 ゆさゆさとエヴァが揺すってくるまで。ほんの短い間だけ、もう少しだけこのままで——

 

(あ、れ——?) 


 身体を揺らされる感覚はいつまで経ってもやってこない。手に触れるのは柔らかなリネンの感触。柔らかな肌触りはロダの家のものよりも、寮の部屋のものよりも上質。ギルおじいさんのお屋敷のベットと同じくらい、スベスベした触り心地で。


(——なんか……ない……)


 あるはずのモノを探すようにパタパタと手を動かして、はたと手を止める。


(あ、またか……)


 目元を擦って、重い目を開いた。『おはよう』と掛けられる柔らかな声がなくて落胆するのはもう何度目だろう?

 

 口元が自嘲するような笑みの形に歪む。だだっ広い部屋のカーテンから外を覗くと、空はヴィアの気持ちを映したようにどんよりと曇っている。

 はぁ、と1つため息を吐いて机の上に用意された黒いシャツに袖を通した。黒い軍服のような詰襟の上着に、真っ黒なスカート。黒づくめの中で最後に首元に付けたカラーだけが彩を添えている。


 寝室の外には使用人が控えていて、いつも型通りの挨拶をされる。ちらりと向けられた視線が監視されているように思えて居心地が悪い。彼女たちを引き連れて食堂に入ると、真っ白なテーブルクロスが掛かった無駄に大きなテーブルの端に、ぽつんと1人腰掛けた。


 大人しく座っていれば待ち構えていたかのようにテーブルに料理が並んでゆく。琥珀色に輝くスープに、暖かい根菜のサラダとパン。ハムやチーズの他に軽めのメインには、魚介をエスカベッシュみたいにさっぱり仕上げたものやら、オムレツやら、ローストビーフやら。他にも初めてみる料理が日替わりで出される。

 

 ヴィアは食べれる時に食べておこう!というタイプだけれど、初めてここに来た時はあまりにも次々と出される料理に驚いた。残すのは勿体無いからと量を減らしてもらったのに、それでもまだ多いのはこれが真にヴィアの為の料理ではないからだ。この屋敷の人たちはヴィアをもっと太らす気でいるらしい。


 ふっくらと膨らんだ黄金色の表面にナイフを入れると、中からとろりとした中身がはみ出してくる。プルプルとフォークの上で震える絶妙な焼き加減のオムレツを口に入れたところで、首をかしげる。


(なんか、味気、ない……)


 オムレツは田舎育ちのヴィアでも食べたことがある料理、大好きな料理の1つなのだ。卵を3つに、バターをたっぷり使うオムレツはたまにしか食べられないご馳走だった。

 ロダ村に来た行商人と取引をしてお金に余裕があるときや、バター作りを手伝ってお裾分けを貰えた時、バターをたっぷり入れたオムレツをお母さんが作ってくれた。


 目の前に出されたオムレツは、焼きムラなく舌触りの良い一品。卵と一緒に質の良いバターが控えめに香る。お母さんが作ってくれたものよりも料理のレベルとしては上質なのだと思う。なのに、なんだか味気ない…


 こんなに贅沢な料理が並んでいるのに、お母さんが作ったオムレツが食べたいと思った。

 

 ロダ村の凍えるような寒い冬にエヴァが作ってくれた魔獣のスープを思い出した。

 グスタフ君が買って来てくれたマドレーヌや、アレシュ君が淹れてくれたハーブティー、ラザお兄ちゃんがいつの間にか買ってくれていた綺麗な色の飴玉――


「はぁー……」


 今朝、夢を見たからかな?どうしようもないことをグダグダと思い浮かべてしまうのは。


 魔法学院の2年生になってすぐの頃の夢。ゴタゴタが収まって、やっと一息つけるね!と、みんなでお茶会を開くことにした時のこと――


 あの時、アレシュ君は自分を庇って大怪我をした。彼に怪我をさせた相手が許せなくて、そんな自分の気持ちに驚いて。それから、エヴァともっと分かり合えたと嬉しくなって。


 全然平和なお茶会じゃなかったけれど、何があってもみんながいれば大丈夫だって思えた。あの時は、このままみんなで卒業できるんだって思ってた。ううん、思ってもなかった。そのくらい当然のことだったもの。


 ——なのに、今は誰もいない。


 私が…離れてしまったから……


 黒焦げになったリゴーのパイを嘆いたユディに、『また作ってあげる』って約束したのに——こんな遠いところまで来ちゃったな……きっともう作ってあげられない…


「いかがなさいましたか?」


 食堂の脇に控えた使用人の女性から声がかかる。オムレツを一口含んだまま、ぼうっとしていたらしい。

 声をかけて来た使用人のお姉さんはいつも丁寧だけれど無機質で、心が全く籠っていないように思えた。


 ——屋敷の人たちは、苦手だった。


「…なんでもありません」

「お食事が進んでいないようですが?」

「……ごちそうさまです」


 やけに舌触りの良いオムレツを無理やり飲み込んで席を立つと、引き止めるような言葉をかけられた。眉を僅かに下げて心配そうな顔を浮かべる人もいれば、少し険しい顔をした人もいる。

 よく教育されているのか、あからさまに表情に出ているわけではないけれど、もっと食べて欲しいと思っていることが伝わってくる。


(私のことなんて心配してないくせに……)

 

 食べ物を残すなんてとんでもないことなのに、今日はこれ以上食べたいと思えなかった。心配そうな使用人さんの声も、それが自分に向けられたものではないと理解すると全く心に響かない。

 彼女たちが心配しているのは雇い主に咎められること、ひいては私が食事を疎かにしたことで、雇い主が仕える人物の機嫌を損ねることなのだ。


 その人の顔を思い浮かべて、思わずぞくりと身震いをする。首元に不快感がして——手をやって擦る。何も無い。擦ったって意味ないのはわかってる。

 頭を振って嫌な想像を追い払い、急いで屋敷を後にした。外の空気を吸うと、ほんの少しだけ息苦しさが和らいだように感じた。


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― 新着の感想 ―
[一言] エヴァンジェリンが易々と離さない気がしますが、はたして。
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