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58. 陰と陽

「魔王様!魔王さ——っひ!」


 1人の魔族が開いた扉の中——大きな寝台の天蓋の向こうには、男の影が透けて見える。逆三角形を描く、逞しいシルエット。引き絞られた厚みのある胸板から目線を落とすと、男に組み敷かれるようにして女が横たわっている。

 男が鬱陶(うっとう)しげに向けた軽い殺気に、彼の配下である魔族は息を飲んだ。主人よりもガタイが良いにも関わらず、恵まれた体を小さく小さく丸めて、首を垂れる。

 こんな報告をする羽目になったのが運の尽きだ。ビクビクと怯えながらも言葉を続ける。——言わなければもっと恐ろしいことになるのだ……


「魔王様!バルト王国への襲撃が……し、失敗いたしました!」

「あ゛っ? もういっぺん言ってみろ!」

「バ、バルト王国への襲撃が失敗っ——致しましっ」


 魔王と呼ばれた男が苛立ち紛れに蹴った椅子は配下の魔族に直撃し、彼は吹き飛ばされて壁にめり込んだ。


「がはっ——ま…おうざま、ぞれだけでは…ザヴァニー…王国にも…」

「!?……なんだと?」


 男は豪奢なソファーに腰を下ろして、やっと部下の話に耳を傾ける気になった。


「ど、どうやらバルト王国への襲撃に送った手勢は、国境は壊滅、王都は全滅……したようです。お、王都では、魔族が1人現れて、我が軍をあっという間に殺して回ったとか…」

「国境は予想通りだが……その魔族は?」

「女の魔族です。銀の髪に、紫の瞳をした」

「ふん、……で?」

「侵略が成功していたザヴァニー王国にも別の魔族が現れ……我が軍は、撤退を余儀なくされているようです」

「余儀なく?……誰が、撤退を許したと?」

「そ…それは…、将軍の命だと「はぁっ?クソがっ!!」——っ!?」


 苛立ちをぶつけるように床を蹴る。魔王の爪先は豆腐のように容易く床を抉り取り、蹴り飛ばされた床石の欠片が、報告をしていた魔族へと襲いかかる。

 配下の魔族は反応することも出来ずに床石に潰された。


 撤退など許していない!と、魔王と呼ばれた男は悪態をつきながら乱暴に当たり散らす。その度に彼の近くにあった家具が壊れ、床がひび割れる。暫く衝動のまま辺りを破壊してやっと少し溜飲(りゅういん)を下げる。

 勝手に配下が逃げ出しているのは腹立たしいが……もっと厄介なのはバルド王国への軍勢が全滅したこと——これが事実であればだが……


 魔族が1人味方したところで、どうにかできる人数ではなかったはずなのだ。一気に落とすつもりで、まとまった数の魔族を送っていたし、魔獣も合わせるとかなりの軍勢だったはずだ。

 自分のような強者でもない限りは全滅など不可能——そんな奴がいるのか? まさかな……いたとして、人間に味方する理由もない。


「おい、もっと詳しく説明しろ!——あ゛?死んだか……」


 報告をしていた配下は既に息をしていない。ベットの上では、先程まで組み伏せていた女が、ビクビクと縮こまっている。


(どいつもこいつも使えんな…)


 怯える女が無性に腹立たしく思え、手を挙げたところで、ギィッっと扉を開く音がする。



「自分の配下を八つ当たりで殺すなんて…ほんとクズね」

「…なに?…誰だ?お前…」


 扉を開いて現れたのは菫色の髪に金の瞳を持つ女——魔族だ。

 ズルズルと床を引き摺る音を立てながら、勝手に部屋の中へ入ってくる。女が片手に引き摺っているのは、撤退命令を出したという例の将軍だった。引き摺られた跡に赤い血の線が描かれていく……


「お前……撤退など、許していないはずだが…?」

「あ…ゲホっ——」


 血みどろの将軍。彼は主人の声に答えようとして、せり上がって来た血に(むせ)せた。ゲホゴホと血反吐を吐いた将軍に、女魔族は冷たい金の瞳を向ける。

 ビクっと将軍は肩を跳ねさせて、女魔族に血がかからないよう必死に顔を背けた。


「……返すわ」


 そういって女魔族は将軍を放る。苦悶の声を挙げて将軍は床に這いつくばる。


「お前――何者だ?」

「名乗るような者ではないの。ただ少し言っておきたいことがあって…」


(言っておきたいこと、だと?)


 女はにこりと笑顔を浮かべる。妖しくも美しい顔の小さな口許が弧を描く。その笑みのなんと黒いことか!

 ざわざわと、嫌に心がかき乱される——この不快感、自分の本能が示した反応の意味に、魔王は気付かなかった……


「ザヴァニー王国までは人間の国だから……さっさと手を引いてね?」

「は!?……お前、何様だ?」

「私が決めたのではないの。ただ私の大切な方がそうおっしゃるから…」

戯言(たわごと)を……従うわけが無かろう。それよりお前、我が配下に手を出すとは…どうしてくれるんだ?」

「……?」


 こてん、と首を傾げる金眼の女魔族。

 その無邪気な反応は、世の多くの男にとっては惹き込まれるように魅力的なもの。しかし今、魔王にとっては神経を逆撫でされる仕草だった。


(コイツ、どうしてくれようか…?)


 胸糞悪い女だが、見目は整っている。そこらの美女とは一線を画す美貌。幾らか(なぶ)って気を晴らしたら、その美しい身体を楽しむのも悪くはない。

 殺さないように加減しようと考えながら、女の身体をねっとりと眺めた。

 

(さっきまで抱いていた女などより、ずっと上玉だ——)


 新しいおもちゃを見つけた子供のようにニタリと口角が持ち上がる。


「礼をしてやる…」


 そう言うや否や襲い掛かった。一瞬で距離を詰めて首を掴む——が、魔王の手が女魔族の首を捉えることは無かった。目の前から女の姿は消えていた。


「どうやって…?」


 トーンダウンした女の声が聞こえた直後、ぞっと背後に冷たい気配がして、次の瞬間には床に打ち付けられていた。

 上から降り注ぐ殺気によって、重力を掛けられたかのように体が縫い付けられる。頭は文字通り女魔族の足によって、押さえつけられていた――


「随分と愚かなようだから教えてあげる。…貴方程度の魔族、いくらでもいるのよ?」

「お前ぇぇぇええ゛!!」


 自分の頭が踏み付けられている——屈辱的な事態に激昂するが、起き上がろうとする気持ちとは裏腹に、女魔族が踏み付ける力を強くしたことで魔王の身体は更に深く、床にめり込む。


「ぐがっ——!?」


(なんだ?何が起こっている…?)


 今まで自分の全力を抑え込める者などいなかった。それをこんな軽々と足蹴にしているコイツは、なんだ?

 金色の瞳が、ゴミ虫でも見るようにこちらを見下ろしている——この得体の知れない魔族に、生まれて初めて命が危ない……と恐怖を感じた。


「あーあ、可哀想。くくっ…!」


 いつの間にか部屋にはもう1人魔族が現れている。無様に頭を踏みつけられた魔王を見て、おかしそうに笑う男の魔族。細身の身体に少年のような無邪気な表情を浮かべた中性的な容姿の魔族——


(さっきまで気配は無かった…)


 不気味な魔族がさらに増えたことに魔王は内心、恐々とする。


「もう辞めときなよ。この人、怒らせると怖いよ?……ああ、そんな落ち込むことないさ! お前は強いよ、幾らでもはいない」

「……そう?」


 こんなのが?とでも言うような女魔族。それに対して男魔族は呆れたような目を向ける。


「ねぇ、もしかしてさ、自分の能力…自覚してないの?」

「あの方の方がずっと、お強いわ…」

「ほんと、君の基準って全部あの人だよね……」


 2人の魔族が悠長に話している間も、女魔族の力が緩むことは無かった。誰かさんが見ていたらきっとドン引きしながらこう言っただろう——『…怪力ですねっ!』と。


 緩い空気を出していた男魔族は、でもさ、と続ける――


「お前…魔王を名乗るには、弱過ぎるよね?」


 ついさっきまで穏やかに話していた男魔族からも、急に強烈な殺気が溢れ出す。緩く上向いた口角とは対照的に、その目は冷たく光っている。魔王の背中には冷や汗が流れぞわりと鳥肌が立った。


(こいつらが、ザヴァニー王国に現れた魔族…か?……では『あの人』とかいうのが『銀髪の魔族』か…?)

 

 なんでこんなのがいきなり2人も現れるのか、何故人間の味方などするのか、魔王にはサッパリ理解できなかった。今までこんな強者に出会ったことは無い——無いからこそ、魔王は自身を『魔王』と名乗ることにしたのだ。


「ねぇ、ほんとに殺さないの?別に、殺すなとも言われてないでしょ?」


 ほんとはサクッと殺っちゃいたいんじゃないの?と女魔族をけしかける。キラキラと楽しそうな目で。


「殺らないわ…」

「えー」

「また別の『魔王』が出てきても面倒でしょ?貴方、魔王やる?なら何も言わないわ…」

「いや!ないから。僕が魔王とか、ありえないし…」

「じゃあ帰りましょ?事を大きくすると面倒なのが出てくるかもしれないわ。魔族は血の気の多い奴ばかりだもの…」

「はいはーい!……良かったね、お前。命拾い出来て…」

「魔王さん?ザヴァニーからは手を引きなさい。——ちゃんと、いい子にするのよ?」


 釘を刺すように、更に強まった殺気。何度も何度も殺される錯覚を覚えて、魔王は無言で首を縦に振った。

 見誤っていたのだ、自分の力を…こんなバケモノみたいなのがゴロゴロいるなんて…


 ボロボロに心を折られた魔王を放置して、2人の魔族は呑気にこの後の予定を考え始める。


「何かお土産でも買って帰ろうかしら…?」

「ご主人様とお姫様にあげるの?…僕も、何か買ってみようかなぁ」

「甘いものならきっと喜んでくださると思うわよ?」

「甘いものか。何がいいかな…」


(…甘味が好きなのか?——いったいどんな奴なんだ…)


 まるで観光にでも来たかのように魔族領の甘味の話をしながら、2人のバケモノはあっさりと魔王の城を後にした——




***



「ヴィア、起きて!朝よ?」

「んー?……っん!?」


 まだ寝るのだ!と抵抗する身体をゆさゆさと揺さぶられる。自分の名を呼ぶのは聞き慣れた優しい声。目を開いた先には、柔らかな(はしばみ)色の髪に、碧色の瞳——


「エヴァ?…エヴァ!」


 勢いよく起き上がってエヴァの両頬に手を伸ばし、そのまま勢い余ってベッドに倒れ込む。ボフリと、掛布団が沈み込む。学生寮のシングルベッドはギシギシと苦しそうな音を立てながらも、2人を受け止めてくれた。


「もうっ!ヴィア、びっくりするわ」

「だって…エヴァだぁ〜!」


 そのままぎゅーっと抱きついてエヴァの腕の中へ顔を埋める。

 エーファもエヴァも元は同じだと聞いた。けれど、もうずっとエヴァに会っていなかったかのように懐かしく感じる。ぎゅうぎゅうと確かめるようにじゃれ付くヴィアを、エヴァもぎゅっと抱きしめ返す。

 

「ふふっ!」

「……ふふふっ!」


 よくわかんないけれど、なんだかとても上機嫌になって、自然に笑みが溢れる。エーファも吊られたように笑い出し、2人で暫くクスクスと笑い合う。


「エヴァ、おかえり!」

「ただいま、ヴィア」


 実は昨日までのエーファの記憶もあるんだけどね!と言うエヴァ。


「そうなの?…不思議な感じ!」

「うん、私も不思議な感じ」


 変なの!と、2人でまた笑う。


「というか……エーファは?」

「…ここにいるよ」


 そっと自分の胸元に手を添えるエヴァ。

 本当に…?と聞きながら、彼女の心臓に頭を寄せ、耳を澄ます。——トクトクと一定のリズムを刻む音が心地良い。けど…


「……わかんない」

「ふふ、そうね。…でもちゃんといる。『ヴィアが緊張するようだから』ってエーファは言ってたけど?」

「う、それはだって…なんかエーファってキラキラしてるから。あ、エヴァもとっても綺麗なんだけど…なんてゆうか…」

「魔族の独特な雰囲気、かな?」

「うん、それだ!ヴィオルカさんもキラキラしてるし…」

「ああ、あの人はそうね……。その独特な雰囲気のせいもあるんだけど…まぁつまり、私でいる方が人の中で暮らしやすいの」

「そっかぁ。…うん、そうだよね」


 うんうん、と2人納得する。元々人間の中で暮らせるようにという思いからエヴァが生まれたんだもの。エヴァでいる方が過ごしやすいのは当然だ。

 

(……エーファはそれでいいのかな?)


「時々はエーファもヴィアに会いたいから、そのつもりでいてって。それから、困った時は呼びなさいとも言ってたわ」

「エーファが? うん、わかった!」


 そう言ってエヴァにもう1度抱きついた。2人ともに会えるなんて嬉しい!と伝えると、エヴァもぎゅーっと抱きしめ返してくれる。

 やっと、穏やかな日々が戻って来た!と嬉しくて。


(ずっと、こうしていたいなぁ…)


 と思っていたのだけど。


「あ、ヴィア、そろそろ支度しないと!遅れちゃうよ!」

「うそぉ!……もう?」

「もうだよ!早く支度しよ?」

「……はーい」


 あったかいエヴァの腕の中で再び微睡(まどろ)み始めていた頭を起こして、学院へ行く支度を始める。いつもと変わらない日常が帰って来た――


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