57. 泡のような…
これから街に行くのだと言うと、ヴィオルカさんが王宮から街外れまで馬車で送ってくれた。伯爵様のお家の馬車はフッカフカだった。とはいえ、ヴィアはもう心底疲れ果てていた。平民の娘に今日のあれこれは……心臓に悪い。
なんか途中からエーファもちょっと怖くなってたし……でも、あの公爵様が言っていたことも一理あるのかもしれない。私たちは国からお金を出してもらって学院に通っている。だから貢献する。
でも…そのために魔王を倒さないといけないの?そんな危ないことをしないといけないのだろうか……?
「ヴィア…何考えてるの?公爵に言われたこと?」
「……うん。」
はい、次から次へと悩んでばかりでごめんなさい。でも今日はいろいろ濃ゆ過ぎたと思うんだ…
「ヴィア、紅茶屋さんに行こっか。」
「えっ……?」
「今必要なのは休憩だよ……休んでからまた、考えたらいい。」
ラザお兄ちゃんに教えてもらった紅茶屋さんに行く。エーファと行くのは今日が初めて。彼女は最初に3人で行った時に飲んだ紅茶を注文した。
私はあの時からのお気に入りのアールグレイを。ベルガモットの爽やかな香りが鼻を抜けてゆく。心なしか頭がすっきりする。
今日のお茶菓子はカヌレ。コロンと片手でつまめるカヌレは、外はカリっと香ばしく、中はもっちりしている。ふんわりと広がるバニラの香りと優しい甘みが、疲れた心に染みるよう……
「美味し?」
「うん、エーファは紅茶好きなの?」
「ええ、いい香りがするから。」
やっぱりそうなんだ。エーファもエヴァも紅茶は自分から飲んでいた。食べ物の好みはエヴァと同じなのかな?パクリとエーファがカヌレを食べた……カヌレを、食べた!
「……?どうかした?」
「カヌレ好きなの?」
「まあ好きかな…?そんなにジロジロ見て……もっと欲しいの?」
カヌレを手に取ると私に食べさせようとしてくるので、そうじゃないよと首を振る。
「エーファは何が好きなのかと思って。あんまりご飯食べないし。」
「好きなもの?…………紅茶は好き。あとは果物とかお菓子も、かな?……だいたいエヴァと同じだと思う。」
「そ、そっかー。」
今、答えるまでの間に私の首筋を見ていたような……そういえば、ずっと前からちょっと気になっていたことがある。
うん、聞いてみよう!エーファにだけ聞こえるように彼女の耳に口を近づける。
『ねぇエーファ、私の血ってどんな味がするの?』
目をパチクリさせるエーファ。
「そ、その、他の人と比べてどうなのか、とか……自分ではわかんないし。お、美味しい?」
聞いてしまった——不味いって言われたらどうしよう? なんかそれは落ち込みそうだ。ドキドキしながらエーファの返事を待っていると、彼女はやがてクスリと笑う。私の耳元に近づいて囁く。
『ヴィアはね、お日様みたいな優しい味がする。』
(——お日様?)
『甘くて——とろけるような味。ねぇ、そんなこと聞いて——食べられたいの?こんなに首を近づけて…ヴィアはとってもいい匂いがするのに……』
「へっ……!?」
エーファの方を見ると彼女の目が……いつもより爛々と輝いているような……? え、えっ…!?
そのまま首元に顔を埋めたエーファは——チュっと首筋に口付けをする。
『ヴィア、今みたいに魔族を誘惑してはだめ!——食べられてしまうよ?』
真っ赤になってぼーっとする私をエーファは楽しそうに眺めている。
「エーファ!もうっ!」
「ふふ、ごめん。でも、とっても魅力的だから……だから怪我をしないように気をつけてね?」
「はーい!」
恥ずかしかったけれど、その分モヤモヤした気持ちは何処かへ消えてしまった。紅茶の香りにも癒されて気持ちもすっきり。寮の部屋で飲む用の茶葉を2人で選び、持ち帰りように包んでもらう。
紅茶のいい香りが漏れる紙袋を手に、清清しい気分で路地を大通りへと向かって歩く。ここは中心地から外れているから、お店の装飾看板も少なくて、ぽつり、ぽつりと目印のように点在している。数は少ないけれど、大通りから外れた場所に店を構えている分、老舗などの個性が強くて質の高い店が多い。
装飾看板もそれに比例するように、大通りの店々より独創的で凝った造りのものが多く、遠くから看板を見つけては何の店かな?と想像するのが面白い。
「学院に戻る前にお菓子買ってから帰る?」
「そうしよ!ジンジャークッキーがいいなぁー。あ、でも他のお菓子も少し見たいなー」
「それなら広場の方に行こ。」
ジンジャークッキー♪ジンジャークッキー♪〜
エーファの手を引いて、ふんふん鼻唄を歌いながら進む。
(私、子供っぽくなってるな……)
出会った時は12歳で今より身体も小さかったし、エーファは今と変わらず20代くらいの大人の姿をしていた。だから無意識のうちにお姉さんとか、お母さんみたいに思ってるのかもしれない。エーファもあの時は私の事、完全に幼児扱いだったし……
まぁいっかーと思いながら進んでいると、急にぐいっと手を引かれる。
「エーファ?」
2つだけだった足音がいつの間にか増えている。カキンっ!と、飛んできた暗器をエーファが素手で弾く。路地の先から、景色に埋没しそうな地味な衣装を纏った人たちが現れる。
サーっと血の気が引いてドクドクと心臓の音がうるさくなる。
「な、なに!?」
「お前たちが生きてると不都合な人間がいるんだよ…」
口元を布で覆った襲撃者たち。手には剣やナイフ、弓矢まで——ギラリと光る金属の冷たい輝き。ヴィアは首元に氷を当てられた時みたいにビクリと背筋を震わせた。
「ど、して——?」
「は、貴族の事情なんて知らん。死ね!」
それを合図に四方から一直線に飛んでくる矢をエーファが魔法で叩き落とす。ぞわりとエーファが殺気を出した。衝撃波でも受けたかのように襲撃者たちは身体を揺らして一歩下がる……が、冷や汗を滲ませながらも刃は引かない。
(……いけない、怒ってる…エーファ…)
「エーファ、だめ…」
すっと、エーファが後ろからヴィアを抱きしめて目と耳を塞ぐ。次の瞬間にはゴキゴキっと何かが壊れるような音と、くぐもった悲鳴——
「……ぁ、…。」
何が起こったのか知るのが怖くなるような、耳につく嫌な音だった——エーファが離してくれた時には、襲撃者たちの姿はなくなっていた。
残っているのは何かを洗い流したような水の跡だけ…
「エーファ……」
楽しかった気分はどこかへ吹き飛ぶ。エーファが目の前で人を……
「殺してない。」
予想していたのと違う言葉。
「え……? ほ、ほんとう?」
「ヴィアは嫌がると思ったから……いいなら今から殺す。」
「よ、良くないからっ! ほんとに……してないんだね!? じゃあこれは…?」
足元に残る水跡を指差す…
「……腕を潰した。あ、骨は折れてるけど…繋がってる。隣の路地に放ったけど、もう襲っては来ないと思う。それは汚れを水で流したから……」
血を流したってことかな…たぶん。
「……うん。わかった……ありがと。」
エーファはちゃんと私の気持ちも考えて撃退してくれたんだよね。怖いところは見せないようにして……
耳に残る骨が潰れるような嫌な音——この音も聞こえないように出来たんじゃないかと思う。そうしてくれていたら、こんな気持ちにはならなかったかも……
——でも、聞こえなかった方が良かったんだろうか? 全部全部やってもらって、知らないままの方が良かったのか?
(良くない…ね…)
迷ったのかな?エーファも…どうするのがいいのか。
エーファは私に怖がられることを恐れてたと思う。それでも全部は隠さない方を選んでくれた——でも私はエーファを非難するような態度を取って……
「ヴィア……大丈夫。いいから…」
「エーファ……」
「ヴィアが争いごとを嫌いなの、知ってる……本当はもっと穏便に済ませて欲しいのでしょう…? でも……私のヴィアを傷付ける者を、許せない……」
長い刻を生きる種族は時に無情だとか、残酷だと言われる。簡単に人の命を奪っていくことがあるから。でも彼らに心がないわけじゃない。ただ人間とは少し感覚が違う場合があるというだけ。人間のように沢山のことに心を揺らしていたら、疲れ切って長い刻に耐えられないから。
その彼らが一度心を揺らしたのなら……それはとても強い想いになるのだとか。強い想いは時に人に恵みを与え、時に人を絶望に叩き落とす。だから彼らは人に崇められ、恐れられる。
(エーファは私に…)
エーファは自分の感覚と私の感じ方が違うことをわかっているから、ボコボコにするだけで抑えてくれた……それはエーファの譲歩。
「恐いなら、今度から目も耳もしっかり塞いでいてあげる…」
「う、ううん!……いいの。ごめんね、エーファ。いろいろ考えてくれたのに…」
「気にしなくていい。一緒に考えよう?ヴィアの嫌がることは……しないから……」
私の頬を優しく撫でるその表情は、ホッとしたように緩んでいる。
「うん、ありがとうエーファ。」
やっぱり、エーファは私に甘いと思う……
さっきの襲撃が貴族の仕業だとしたら、また狙われるかも知れない——考え始めると怖くて仕方がないけれど、でも今は……
(学園に戻って、みんなに今日のことを話して、それからまた考えればいいよね!)
現実逃避万歳!と思いながら、私に甘い甘いエーファの腕を引っ張って一緒に広場へと入った。
お目当のジンジャークッキーを売っているお店を見つけた後は、ぐるぐると他のお店を見て回った。リゴーのパイや、ホットチョコレート。甘いお菓子の匂いに混じって何処からかウィンナーの焼けるいい匂いが漂ってくる。
エーファの好きなものも知りたいから、これは好き?と何度も聞いた。彼女が選んだで買ったのは柑橘とハーブが入った飴。瓶詰めされた琥珀色の飴玉を見て満足そうなエーファ。自分用に何かを買って満足そうな顔を見ると、私もなんだか嬉しくなった。
クッキーも買って、広場の隅のベンチに座ってホットチョコレートを飲みながら一休み。
露店が立ち並び、多くの人で賑わう広場。荷物を抱えて早足に横切って行く人や、何か値切っている様子のおばさん。食べ歩きしながらわいわいと露店を見て回る若者たち——
小さな村で育ったヴィアは人の多さにびっくりしたし、未だに慣れないのだけれど……こうして活気のある場所を隅から眺めるのは、結構好きかも知れない……
広場の中心には、いつの間にか道化の格好をしたおじさんがいた。側にはたっぷりと液体の入った小振りの樽と棒状の道具。2本の棒の道具の間には、縄が幾つもの輪の形に結ばれていて、おじさんはそれを樽に浸けるとゆっくりと持ち上げて広げた。
すると、輪っか状の縄の間に張った膜が、風に押し出されてグニャリと飛び出し。縄を離れる瞬間にポンっ、と丸い球体になると、そのまま風に乗って上空へと登っていく。
——シャボン玉だ!
「わぁ!見て、すごいね!」
「うん、綺麗だね。」
ふんわりと広げられた縄の間から次々と新しいシャボン玉が生まれ、風に流される。
小さな子供が1枚の銅貨を道化のおじさんに渡す。お金を受け取った彼はその子供が満足するように何度も何度も、シャボン玉を作った。
ふわふわと揺れる透明な球体がそこかしこで光を受けて虹色に輝きながら空へと登っていく。それはとても幻想的で別の世界に入り込んでしまったかのよう——綺麗な泡の玉は、すぐに何処かへ消えてしまう儚さもまた美しくて——
(私も……この泡みたいなものなのかも……)
目の前に飛んできたシャボン玉をつんと指で押すと、パチリとあっけなく弾けて消えてしまった。
儚い泡が創り出した幻想的な煌めきを目に焼き付けるように、シャボン玉が遠く見えなくなるまで目を凝らしてじっと空を眺めた——




