56. 伯爵
「兵器のように…使うおつもりですか?」
柔らかな女性の声。突如割って入った魅惑的なその声に、誰もが耳を傾ける——
「シェイナ伯爵…」
「いけませんね。軍属でもないものを無理に戦わせるなど……」
シェイナ伯爵——滅多に人前に姿を現さないが、その姿は非常に美しく、魔術にも明るくて、王国での影響力も持っている女伯爵。
その美しさと大きな魔力から、実は魔女じゃないか?とか魔族じゃないか?という噂もある。色々と謎に包まれたお方。夜会にはいらっしゃらないから、リーディエも初めて見る。
菫色の髪に真っ白な肌の、妙齢の女性……に見える。何年も前から伯爵でいらしたと思うのだけど…いったい幾つなのかしら?
隣でヴィアが「ヴィオルカ、さん…?」と、小さく呟く——
「何を。人聞きの悪いことを……」
「先程から魔族だから…、学生だから…と、『都合の良いこと』をおっしゃっているのは貴方の方ですよ? それに貴方は、勘違いをしていませんか?」
「勘違い?」
「公爵は、どうして魔族を前に不用意な発言をなさるのですか? ここの警護兵の腕を信用しているから?——それとも、私がなんとかすると思っていらっしゃるの?」
魔族、と一括りで判断していいのかはわからないが、彼らは天災の扱いをされる程危険な種族。わざわざ怒らせるようなことをするなんて正気の沙汰ではないと思う。そう思っていたのはリーデや殿下方だけではなかったようで、少し安心した。
シェイナ伯爵は魔術に明るいと有名だけれど——魔族を相手に貴族達が安心できる程の力をお持ちなのだろうか?
そんな私の疑問を余所に、コツコツと小さくヒールの音を響かせながら伯爵がこちらにやって来る。ヴィアとエーファの前まで来ると上品に膝を折った。
「ヴィオルカさん……だよね? 伯爵様、だったんですか…?」
それにニコリと笑って答えたシェイナ伯はヴィアの手を取ると、騎士のようにその甲に口付けた。
「ええっ…!?」
「貴方は我が主様の契約者。私にとっても大切な…姫様のようなものです。」
ひ、ひめ…?と混乱するヴィア。シェイナ伯爵はふわりと振り返って陛下とペトラーチェク公爵を見据える。
「エヴァンジェリン様は私よりもずっとお強いですよ?この意味、お分かりになりますよね?」
シェイナ伯爵がいることで安心し、散々言いたい放題をしていた者たちが急に青くなる。公爵も少し顔色を悪くしているようだ。
「それに、この方は私の唯一の主。私は、彼女達の味方です。……ですから、よく、お考えになってくださいね?」
朗らかな表情で、国王を脅しにかかっている……
「な、国王陛下に従わぬというのか…!?」
「私が伯爵をやっている理由は陛下もよくご存知のはずですよ?」
「だっ…」
「公爵!……もう良い。」
やっと陛下が重い口を開き——そこから先はあっという間だった。陛下もヴィア達に何かさせるようなおつもりではなかったようだ。「なら最初から何とかしてくださいよ……」と内心では思ったけれど兎に角、無事に終わって良かった。
「リーデ、お疲れさま。珍しいね……」
「アル様も、お疲れ様です。」
疲れ切ってぐったりとシア様にもたれ掛かっていた私に、アル様が声をかけてくださる。こんな風にシア様に甘えるのは久しぶりかもしれない。あ、前に寝ぼけてなにか言ったような気もするけれど……
アル様のお顔にも疲れが滲んでいる。シェイナ伯爵のおかげもあって、とりあえず穏便に謁見は終わったけれど……古参貴族側との溝は深まったと思う。ほんとうに気苦労が絶えないわね……
エーファとヴィアは今頃馬車の中。街に寄ってから帰るらしい。甘い物でも食べて元気を出すのがいいと思う。ヴィアは魂が抜けた人みたいに気疲れしたようだったけれど、今まで通りの学院で生活を送れることになって、ほっとしていた。
ルドヴィーク殿下は残って陛下とお話をされている。あれもこれも背負って、民が平穏に暮らせるようにと尽力しておられる。せめて貴族たちが一丸となって陛下や殿下方をお支えしたら……もう少し、殿下方も穏やかに暮らせるのに……
とはいえ、元々平民として暮らしてきた自分にとっては、王侯貴族の社会はやっぱり遠くて、どこか他人事のように思えてしまう。
「リーデ、お茶にしようか?」
「はい、アル様。」
ああ、この方もそんな遠い存在の1人だったな……
小さな頃の自分は、お母さんと一緒に平民として生きていくのだと信じていたし、それ以外なんて想像もしなかった。
だから時々、こうして王子様とお茶をする自分のことを不思議に思う。
(だけど、アル様と話す時間は……楽しい。)
差し出された手を取って王宮のサンルームへと向かった。
***
「ヴィオルカさん!……あ、ヴィオルカ、様……伯爵様だったなんて聞いてません…」
謁見が終わった後、私はいきなり権力者として登場したヴィオルカさんに文句を言っていた。いや…文句とか言っていいのだろうか?不敬罪とかに…?
「ヴィア、お顔が面白いことになっていますよ?不敬罪とか気にしているなら心配いらないわ。」
「え…」
なんでわかったの?というか、隣でエーファも笑っている。顔に書いてあるのだそうな。そんなにわかりやすい顔してた…?
「今まで通りでいいですよ。ヴィアは私にとってもお姫様みたいなものだし。姫様って呼びましょうか?」
全力で首をブンブンと横に振った。ていうか、なんで伯爵様?魔族だよね?
「ヴィオルカ。そもそも私は主になったつもりは…」
「え、そうなの?じゃあ、ヴィオルカさん自称…」
「ヴィア?やっぱり不敬罪にしようかしら…?」
黒い笑顔を浮かべるのはやめてください。悪女っぽくてめっちゃ似合ってるから……
「……ごめんなさい」
「よろしい」
「で、なんでヴィオルカが人間の国の伯爵なの?」
私の代わりにエーファが気になっていたことを聞いてくれた。
「その方が都合がいいと思ったからです。」
エーファが目覚めた時に力になれるように。権力と財力はある程度持っておいて損はない……とのことらしい。エーファ本人は権力に興味なさそうだしね。ヴィオルカさんも興味があるわけではないらしい。あったらとっくに王様になってるのだそうな。
「そ…そう。」
少し困ったような顔のエーファ……。まぁ自分のために貴族やってるとか言われても困るよね。
「エーファ様は気になさらないで結構です。ハヴェルと違って、私はそれなりに楽しんでもいますから…」
「ハヴェル……」
『ハヴェル』というのは、今朝エーファが馬車から降りる時に現れた美しい魔族のことだろう——
ヴィオルカさんやハヴェルさんの中には、ずっと遠い昔にエーファと過ごした思い出が残っている。そこには私の知らないエーファがいる——
ぎゅっと引き止めるように手を掴んだ。大事な人を取り上げられないように……エーファは私の手を優しく握り返してくれた。
(あ、子供ぽいことしちゃった——エーファは誰のものでもないのに……)
恥ずかしくなった私は俯く。ヴィオルカさんはそんな私を咎めるでもなく優しげに眺めて、また落ち着いたら一緒に茶をしましょう?と誘ってくれる。
人間の私にも歩み寄ってくれるヴィオルカさん。エーファもヴィオルカさんも、かなり温厚な魔族なのだと思う。
(ハヴェルさんは、どうなんだろう……)
私は昔のエーファを知らない。どんな風に考えてどんな風に過ごしてきたのか…?エーファにとっては知られたくないことなのかも知れない。
今朝、ハヴェルさんがエーファを見つめる瞳はとても印象に残っている。強い、強い感情が宿っていたように思う。
ヴィオルカさんが歩み寄ってくれたように、私も彼らに歩み寄れるだろうか?
今みたいに取られてしまわないように引き留めるんじゃなくて、彼らとも一緒に手を繋げるようになれたらと…そう思った。




