55. 王宮
隣に立つヴィアは、目の前の光景に圧倒されているようだった。
口をポカーンと開けて。大きな建物を上から下まで眺める様子が可愛らしい。王宮は彼女の想像以上に大きかったのだろう——リーディエも初めて見た時には驚いたものだ。
馬車から降りる時には、ルドヴィーク殿下が手を差し伸べた。エスコートに慣れていないヴィアは、随分恐縮していたけれど……どうにか手を取って降りていた。
一方のエーファが降りる時には、何処からともなく魔族の男が現れて、殿下を押しのけて手を差し伸べる。
エーファ以外の全員が驚き、緊張が走る——騒めきが起こる周囲を面倒そうに眺めた後、手を取って馬車を降りた彼女が「帰りなさい。」と言うと、その魔族は恭しく膝を折って首を垂れ、姿を消した。
どす黒い貴族連中に対しては、良い牽制になったと思う。
(エーファって、実際魔族の中でどんな立場なのかしら?)
ヴィアに聞いてみたら、さぁ?多分、偉いのかも?という微妙な応えが帰ってきた——知らないのね。気にならないのかしら?と突っ込みたくもなるけれど、ヴィアだものね。
ヴィアが怖がらないようにとエーファが魔力を抑えている今、周りの人間が実力を推し量ることは難しい。彼のようなが魔族が現れて敬意を示した方が、エーファという人物の重要性を示すのには効果的だ。
(……はぁ)
正直なところ、今すぐこの場を去りたい。……だってリーディエ自身は、ただの貴族令嬢。間違っても、国王と国の重鎮が勢揃いした謁見の場に召集されるような立場ではないはず!
もし今朝に戻れたとしても、やっぱり付いて来たとは思うけれど。ヴィアとエーファを2人で行かせるなんて心配だもの……特にヴィアはリーディエ以上に不安だろう。私の方がまだ場慣れしているのだから、なんとか力になってあげたい。
気持ちを切り替えていると、シア様がすっと耳元に近づいてきて「大丈夫、なるようになるわ。」と言う。
(ほんと、この方は……)
時々リーディエを困らせるこの精霊様は、リーディエが不安な時や寂しい時には、いつも欲しい言葉をくれる——
「リーデ。」
この場で味方になってくれる人の登場に、少し心が休まる。
「はい、アル様。」
「謁見が終わったら、お茶して行かないか? 実は母上にも強請られてるんだ…」
「…第二王妃殿下が? はい、喜んで!」
「ありがとう。」
謁見が終わればお茶。そう考えると少し気分が上がる。
王宮の庭——あの庭の奥でアル様と出会い、『王宮の幽霊様』に捕まって……それからずっと交流が続いている。噂の幽霊様は本当に気さくな方で、肩肘貼らずにお話し出来る数少ないお人だ。
(今日は王妃様仕様かしら?それとも幽霊様仕様でいらっしゃるのかしら…?)
気が重すぎる状況に、リーディエはせめて謁見の間に入るまではと、現実逃避をしていた。そんな彼女をルクシアは微笑ましそうに見守る。
謁見の間に入ると、周りからの視線が一斉に集まった。穏やかに取り繕った視線の奥に混ざるのは、警戒心、好奇心、欲望に侮蔑……どの視線もヴィアとエーファを値踏みしている。
ビクっとしたヴィアの手をエーファが握る。私は、チラリとこちらを振り返ったヴィアを元気づけるように微笑んでみた。
シア様がヴィア達の側に寄って、軽い癒しの魔法をかける——
キラキラと暖かな光が舞って、気分がスッキリするだけの魔法。適正があれば初級者でも使える簡単な魔法だけれど、『ゾエの精霊』がわざわざ少女のためにこの魔法を使ったことの意味は大きい。
貴族たちは驚きの表情でヴィアたちを見つめた。これが今日の私達の役目——貴族の牽制。ヴィアを傷つけさせないように。エーファを刺激させないように——
玉座の前まで進み、頭を下げる私達。エーファは下げない……それからシア様も。
「おい、陛下に対して失礼だぞ!」
ええ…!?さっき牽制したのに……。怒鳴った貴族に対してシア様が氷のような眼差しを向ける。
「い、いや…ゾエの精霊様に申し上げたのでは…そこの娘に…」
「……よい。して、名はなんと言う?」
低く、威厳のある声。玉座に座るバルト国王陛下は、ルドヴィーク殿下によく似ておられる。相変わらず無表情で口を開く気配のないエーファの代わりに、ヴィアがおろおろと口を開く。
「ロダ村出身の…オ、オリヴィア・ベルカと申します。…こちらは、エヴァンジェリン・ベルカです……」
「ロダ?」
「ロダリガの街から奥地に進んだ『ヴィルシュタット』の森の入り口にある小さな村です、陛下。」
ルドヴィーク殿下が陛下に応える。
「ほう、あの『魔の森』の? では其方はそこから来たと?」
「………。」
「そ、そうです。」
「先程からその娘はなんなのだ!陛下の問いに答えぬ、頭も下げぬとは、なんと無礼な!」
ほら来た……どうしてこうも刺激するようなことを言うのかしら?エーファは敢えて答えない。自分が配慮するのはヴィアだけだと示すために——
(このパターンはシア様の時に経験済みのはずよね…?)
私がゾエの精霊であるルクシア様に気に入られたという噂が広まった時も、王宮に呼び出された。利用しようとあれこれ言ってくる貴族たちを、シア様は全無視したのだ。あの時のシア様は穏便に済ませてくださったけれど、エーファもそうだとは限らないでしょうに。
ヴィアを守るため——
その方向性が危ない方に傾けば、貴族の首も……この国だってへし折られてしまう。この国の貴族たちがすべきなのは、エーファを刺激することではなく、共存する方法を探すことだというのに……
愚かな古参貴族の剣幕にルドヴィーク殿下も、アル様も困ったような顔をしている。
「どうして、ですか?」
私もしっかりしないと!……なるべく威厳のある声を意識する。
「フォジュト侯爵令嬢……どうしてとはなんだね?」
「彼女は『魔の森』から来たのです。この国に属しているわけではありません。彼女に礼を尽くせと言うのは、ゾエの精霊様に頭を下げろと言うのと同じことですよ?」
「なっ!しかしっ…!?」
柄にも無く口を挟んだ私を、シア様が労うように腕の中に仕舞い込んで古参貴族を見返す。彼はグッと喉を詰まらせて言葉をなくす。
「だが、そこの娘は学院に通っているそうではないですか。」
そこに新たな声がかかる。古参貴族の中でも特に力のあるペトラーチェク公爵。ルドヴィーク殿下は眉を寄せた。
「ええ、その通りですが?」
「ならば魔術学院に通う生徒の義務は果たしてもらわねばなりませんな。」
「何が言いたいのか?」
「魔術学院の生徒は有事の際、国防に協力する義務があります。」
「ああ、そうだな。彼女は十分過ぎる程、協力してくれたではないか。この場はその成果に報いる場でもあるはずだと思うが?」
「十分?殿下はお優しすぎる。そこの娘は随分と強いそうではありませんか。では、このまま魔王を倒して貰えば良いのです。」
なんと大胆な……
「何を言い出すかと思えば……有事であっても学院の生徒に課せられるのは人命救助や防衛の補助。魔王を倒せだなど…無茶苦茶だ。」
「はて?おかしな事などないでしょう。人命救助や防衛を任されるのは、それが学生の能力に見合っているからです。ですがそこの魔族は違う! 出来る力があるからやってもらうだけの事……それがこの国にとっても、ひいては彼女たちの為でもあるのです。」
自信たっぷりに言い切ったその目は、エーファでは無く隣のヴィアに向いていた。意味ありげに、舐めるようにヴィアを見遣る。それを見たエーファの目は一段と冷ややかになる。
「……お前たちの指図は受けない」
「ほう、やっと喋ったか!人の言葉を理解出来ないのかと思ったぞ?」
何やら調子付いた他の貴族まで野次を飛ばし始める。
「オリヴィアと言ったか。お前の指図なら受けるのだろう?ならお前が命じたらどうだ?」
「そうだそうだ!契約しているのだろう? 危険な魔族を飼っているのだから、従順である事を証明するべきでだ、なぁ?」
「魔族と一緒にいたいなら——ひっ…!!」
ぞわりと、魔力を抑えるのを辞めたエーファの存在感が大きくなる——
エヴァは落ち着いた子だけれど、ヴィアが絡むと人が変わったようになっていた。エーファもそうゆうところは変わらないのね。
(いいえ——エーファの方が酷いのよね……?)
人の営みに溶け込めるようにと、エーファは記憶も魔力も封じたのだから——
圧倒的な強者の気配に公爵に追従していた貴族たちは口を閉ざすけれど……
「都合が悪くなると力に訴えるのか?」
「ペトラーチェク公爵!」
不味いと思った殿下が公爵を遮るが……
「ははっ、だんまりか? ルドヴィーク殿下、貴方は少し甘いのではありませんか?」
「公爵!兄上に失礼ではありませんか?」
雲行きが怪しくなってきたところでアル様も口を挟むが、公爵は止まらない——
「アルトゥル殿下、この国の未来を憂う老いぼれの忠言でございます。ルドヴィーク殿下、貴方様は生徒会長としての人望も厚いと聞き及んでおります。生徒を守ろうとする姿勢は素晴らしいですが、少し肩入れし過ぎではありませんかな?相手は魔族ですぞ。一生徒と同じ扱いをすべきではありません。これはこの国の存亡にも関わる問題なのですぞ。」
ぐっと押し黙る殿下達。きっと今私達が何か言っても、2人を庇っていると言われるのだろう。
「君も守られているだけかね?魔術学院に通っているんだろう? それも奨学生として国の金を使ってな。ならその分、国のために働くべきだとは思わんかね?」
(狸じじい……やはり一筋縄ではいかないわね……)
尤もらしいことを言いつつ、自分たちの都合のいいように誘導する。それがとても上手いのだ。ある意味とても貴族らしい人……だから苦手なのよね。
ヴィアはガチガチに固まっている。純粋なヴィアは公爵に言われたことを真に受けているのでしょう。王宮に連れてこられて、こんな風に言い募られて……可哀想だわ。
エーファの手をぎゅっと握りしめて——周りからは彼女がエーファに縋り付いているようにしか見えない。
(見えないのだけど——ずっと見ていると。だんだんヴィアがエーファのリードを握りしめているように思えてくる……)
ヴィアの手が離れた途端に、貴族達の首が落ちるのではないか?という、物騒な考えが頭に浮かぶ。流石にエーファもそんなことはしないと思うけど——しないよね?
エヴァなら、この状況に歯痒い思いをしていそうだけれど……エーファはどうだろうか?私はまだ、そこまで彼女のことを知らない——
だから、こんな風に漠然と不安になのだと思う……
(陛下も何もおっしゃらないし……この状況どうしたらいいのかしら?)




