閑話 気難しい貴公子と煤色の友人 前編
「アレナ様、ずっと気になっていたんですけど…」
「ん?何が、でしょうか?」
ある日のマナーレッスンで、ヴィアはずっと気になっていたことを遂に口にする。
「グスタフ君って昔から平民に冷たかったんですか?こうして友達になってみて、元々彼がそんなことするような性格だとは思えなくて…」
今の彼は身分に関係なく紳士に人と接している。態度が180度変わったことに戸惑う者や、逆に警戒する者もいるが、平民の中にも今の彼を歓迎する者が少しずつ増えていた。だけど、ヴィア達に対する認識が変わったからといって、元々の性格は急に大きく変わったりしないはずだ。気の良いお兄さんみたいな彼。それがあんな風に平民を詰っていたのが今となっては信じられない。
「グスタフ様は貴方達と出逢って変わられましたわ。けれど、今より少し気難しい所はありましたが以前のグスタフ様も紳士的な方でした。」
「それじゃあなんで…」
「ふふ。では、今日のマナー講座は、淑女の長話に付き合う練習にしましょうね?」
そういってふわりと微笑んだアレナ様は、アレシュ君の淹れた紅茶を一口飲んで、「美味しいですわ。」と褒めた後、懐かしいことを思い出すように語り始めた——
「ザイーツ家とコチー家は昔からある程度交流がありました。コチー家は基本的に中立派なので、そこまで深いお付き合いではなかったようですが。歳の近い子供がいるということで、父に連れられて彼と始めて会ったのは私が7歳の時。2つ年下の彼はまだ5歳でした。『こんにちわ、僕はグスタフ・マレク。ザイーツです。本日は、ようこそおいでくださいました。』ってお父様を見習って丁寧に挨拶してくれたグスタフ様はとっても可愛らしかったですわ。」
「僕もその頃のグスタフ君を見てみたかったな。」
「あの方は色白ですし、小さな頃は女の子に負けないくらい愛らしかったんですよ。可愛いって言うと気にするから本人の前では言えませんでしたけれど。」
ふふふっと微笑むアレナ様。きっとアレナ様もグスタフ君も可愛かったんだろう。
「その頃の彼はお父様を慕っていて、好奇心旺盛な明るい子でした。そこからどういうわけか婚約することになって…。私はそのうち少し引け目を感じるようになりました。」
「どうしてですか?」
「コチー家とザイーツ家は同じ伯爵家だけれど、家格はザイーツ家の方が上。それに私の方が年上なのですもの。グスタフ様にはもっと良いご縁がいくらでもあるはずだと思うようになりました。」
アレナ様はとても素敵な方だと思うのだけど…。年が違うとそんなに駄目なのかしら?腑に落ちないでいるとリーデちゃんが説明してくれる。
「貴族同士の婚姻では、男性の方が年上というのが一般的なの。女性が年上の婚姻はそこそこあるのだけど、恋愛結婚だとか、女性の実家の方が家格が上だとか、何か事情がある場合が多くて。2人のようなパターンは少し珍しいわ。」
「そう。けれど彼の方は有り難いことに年上の婚約者に抵抗はなかったみたいでした。気にする私を気遣ってくれたのか、一生懸命背伸びした態度をとってくれて…それがまた可愛かったわ。どちらかというと仲の良い姉弟みたいな関係でした。」
懐かしそうに微笑むアレナ様の目はとても暖かい。今は、どうなんだろう?
「ある日、彼は平民のお兄さんと友達になったのだと話してくれました。『アレナ、内緒だよ。僕友達ができたんだ!』って。とっても嬉しそうだったわ。正直どこの誰かわからない方と仲良くするのは心配でもあったけれど、あまりにも嬉しそうに話すものだから私は家の人に黙っておくことにしました。それが良くなかったのかもしれませんね…。」
「何か、あったんですね?」
「ええ、彼らの友情は続かなかったんです。」
純粋なグスタフ少年に何があったのか…
「平民の彼とは、街で迷子になったグスタフ様を助けてくださったのがきっかけで知り合ったそうです。グスタフ様よりもいくつか年上で煙突の煤掃除の仕事をしている彼は、いつもシャツが灰色だったそうよ。まだ子供だったはずだけれど、弟さんのためにお金を稼いでいたらしいの。偉いですよね?どこで覚えたのか魔法がとっても上手で、物知りお兄さんなんだってよく自慢げに話してくださいました。話を聞くだけの私にとっても素敵な方に思えたわ。」
「グスタフ君が意外に面倒見いいのって彼の影響?」
「それもあるかも知れませんね。そのまま仲良く出来ていたら良かったのですけど……」
アレナ様の表情が曇る。
「ある日グスタフ様を訪ねたら、彼は部屋に閉じこもっていて…泣き腫らした目をしていたの。『僕のせいで、お兄ちゃんが…。僕が、僕が…平民と仲良くしたから…。父上…どうして…』そう泣き続けて、結局本人はそれ以上は話してくれなかった。周りから聞いた話だと、仲良くしている所をお父様に見つかってしまったようでした。お父様は平民の彼を酷く打って、酷い言葉を浴びせて追い払ったのだとか。グスタフ様も打たれて散々説教をされたそうよ。」
みんなの中でザイーツ伯爵に対する印象が一気に急降下する。
「大好きな友達に、尊敬していたお父様が非道なことをして随分ショックだったのでしょう。彼はそれから変わってしまいました。平民と接するのを恐れるみたいに避けて……お父様との関係もギクシャクし始めた。初めは自己防衛だったのでしょうね。平民に関わらないのが彼らの為でもあると考えるようになった。そこから、やるせなさを拗らせたみたいに平民を見下すような態度を取ることが増えて——ちょっと気難しいお方に成長してしまわれたの。」
「なんて言ったらいいか…。」
「トラウマになってたんだね。」
「平民に対する話題は頑なに避けて聞いては下さらなかったけれど、それ以外はずっと変わらず紳士的な方でしたのよ。」
「だから、貴族の間では悪い評判ばかりじゃなかったのね。」
リーデちゃんに同意するように頷くアレナ様。
「心の底では平民を嫌ってなどいなかったのでしょう。グスタフ様は性格が変わったというより、貴方達に出逢ったおかげで昔みたいに自分の気持ちに素直になれるようになったのだと思いますわ。だから、皆さんには本当に感謝しています。」
こちらに向かって頭を下げるアレナ様。慌てて頭を挙げるように言うエヴァ。
「そんな私達は何も…。でもその平民の彼は今どうしているんでしょうね?」
「彼はほんとに平民だったのかしら?その年齢で魔法が上手に使える子なんて滅多にいないと思うけれど…」
「あのさ…その彼は何て名前で、どんな容姿だったかご存知ですか?」
顎に手を当てて何やら難しげな顔をしているアレシュ君。
「えーっと、お兄ちゃんの名前は確か、『サー君』っておっしゃっていましたわ。綺麗な顔立ちの子で、瞳はアレシュ君みたいな蜂蜜色だったはず…」
「それって、姉さんのことなんじゃないかと…。僕小さい時は今より体が弱くて、姉さんは煙突掃除とか他にもいろいろ仕事をやってお金を稼いでくれていたから。」
「でも、サシャ様なら女の子じゃ…」
「煙突掃除とか、小間使いとかって男の子の方が仕事を貰いやすいんだ。だから姉さん、昔は男の子っぽい格好してたんだよね。」
「そんなことってある?でもサシャ様なら魔法が上手かったのも納得だよね?」
「世間は狭いわね…」
感慨深げにリーデちゃんがつぶやく。




