39. 夜会
シモンの腕に手を掛けてゆったりと会場に入ったサシャ。2人がガッツリと衆目を集めてゆく。王宮魔術師の中でもかなり実力のあるサシャと親しくしたい貴族は多い。けれど彼女もその婚約者も社交に積極的なタイプではなく、夜会に顔を出すことは少ない。珍しい2人の登場に自然と人々の視線が向かう。ざわざわとひとしきり場が騒つくと、今度は2人が引き連れている見慣れない娘達へと関心は移る——
クリーム色のドレスを着た少女。あんな娘いたかしら?立居振る舞いはしっかりとしているし、顔立ちも良い。会ったことがあれば記憶に残りそうなものだけれど。隣にいる緑のドレスの子もなかなか愛嬌がある。シモン様の遠縁の子かしら?
そんな憶測を含んだ視線の多くを受け止めるのはエヴァ。『ヴィアを最高に可愛いくしつつ、視線はエヴァに集まるように。』これがリーデとユディ、エヴァの3人で考え出した作戦だ。
今夜サシャ様が着ているのは深い青系のドレス。シモン様はグレーのジャケット。ヴィアは緑で、クリーム色のエヴァだけが浮き上がって見える。だから珍しく参加した2人の次に自然と視線が止まるのはエヴァになる。貴族っぽい彼女をシモンの縁者か何かだと推測して満足すると、4人目までは注目しない。
『満足すれば興味も失せる。だいたいそんなものよ。』
リーデの言う通り、なかなか上手く行っている。ヴィアの可愛い姿は私たちだけ気づけばいい。変な男が近づいても困るし。
緑のドレスはヴィアにとても良く似合っている。時間が限られていたので、サイズの合う既製品をユディおすすめの仕立屋さんに頼んで上品にリメイクしてもらった。全体的には大人っぽい印象だけれど、スカートの白いレースが可愛い。ちなみにエヴァのものはリーデが貸してくれた。『時間があればウチで用意したのに…』とラザさんは残念そうにしていた。
お化粧をして髪を編んだヴィアは普段よりも少し大人っぽくて、慣れない姿に気恥ずかしげな表情もとても愛らしい。会場に入った後は緊張して強張ってしまっているけれど…
「ヴィア、見て。すごい装飾だね。」
えっ?と言って顔を上げた彼女の表情が変わる。天上の世界が描かれた美しい壁画が部屋の天井を飾る部屋。あちこちに花が飾られ、テーブルには手軽に口に出来る軽食や菓子が並ぶ。色取り取りのドレスが華やかで、視線を受けるのは御免だけれど隅から眺めるのは楽しい。ヴィアは天井の壁画が気に入ったよう。後で側に連れて行ってあげよう。
「ご機嫌よう。ようこそおいでくださいました。」
せっかくヴィアの緊張が解れてきたというのに。聞きたくない人の声が耳に入る。ヴィアに嫌がらせをしていた方々だ。流行を取り入れて飾り立てた姿は華やかだが、正直お化粧がちょっとケバ過ぎると思う。眉間にシワが寄らないように気を付けなければ…
「ご、ご機嫌よう。本日はお招きありがとうございます。」
「隣の貴方はお招きした覚えがないのだけど?」
「はい。知人の方に親友が初めての夜会に出ると話したら一緒に参加したらどうかと勧めていただいたのです。」
(何であんたまで来てんのよ。)
(貴方には関係ありません。)
そんな副音声が聞こえる。本当は服装や振る舞いを存分に批判してやるつもりだったのだろう。けれど今夜のドレスは最新の流行とは違うが、分不相応な程に豪奢でもなければ、見窄らしくもない。所作もマナー違反となるような所はない。非難するところが見付からず相手も困惑しているようだ。出鼻を挫けたことに満足しつつも、まだまだ気は抜けない。
「ヴィアさん、こちらの方々は?私にも紹介してくださる?」
グスタフを伴ったアレナが声をかけ、ヴィアが令嬢たちを紹介する。
「何度かお見かけしたことはございますがご挨拶するのは初めてですね。コチー伯爵の娘、アレナ・ジャネタ・コチーと申します。ヴィアさん、エヴァさんとは親しくしていただいているの。よろしくお願いいたしますわ。」
彼女にしては大胆にヴィアの腕に両手を回してグイッと引き寄せると、そのままにこりと令嬢たちに微笑みかける。シモンとサシャに続いて貴族の知り合いが出てきたことに面食らったのか令嬢たちは引き下がっていった。
「アレナ様、ありがとうございます。」
「お礼を言われるようなことは何も。それより、2人とも今日は一段と綺麗ですわ!」
「おう、似合ってるじゃないか。」
アレナ様は予想通りお淑やかで、グスタフ君は髪を撫で付けて普段より大人っぽい。2人が並んで歩く姿はとてもお似合いだ。彼は少し気恥ずかしそうにしながらも、『その調子でいれば大丈夫だ。』と私たちを励ましてくれた。
このまま終われば良かったのだが、ご令嬢たちにとってはそうでは無かったようだ。誤ってぶつかったフリをしてワインを掛けようとしてきた。直前に気づいたエヴァがグイッとヴィアを抱えてワインの軌道から逸らしたことで床に吸い込まれていった。
またその次は足を引っ掛けようとしてきた。これもエヴァが危なげなく支えてやり過ごした。エヴァとヴィアが2人になったタイミングを狙ってはチクチクと嫌がらせを仕掛けてくる。
それらを冷静にかわし続けていると令嬢たちは痺れを切らしたのか、遂には楽器の演奏をしろと迫ってきた。
規模の小さい夜会で出席者が流行の曲を披露する事はあるけれど、絶対に演奏しなければならないなんて決まりはない。楽器に触る機会の少ない平民のオリヴィアにわざわざそんな要求をするなんて…
「何か聴かせてくださいな。もちろん手習いくらいなさっているでしょう?」
「当然ですわよね。ピアノとヴァイオリンくらい。」
「ここにない楽器でも貸してくださると思うわ。ねえ、何になさいます?」
クスクスと笑いながら、わざと周りに聞こえるような声で告げる彼女たち。他の貴族もこちらを見始め、「出来ない」と言い出しづらい雰囲気を作り上げていく。エヴァが知る限りヴィアは楽器に触れたこともない。ぎゅっと握りこんだヴィアの手がぶるぶると震えている。
「どうなさったの?」
「まさか、何も出来ないなんて事はないでしょう?簡単な曲でよろしいのよ?」
「あの、私は…」
『出来ません』と言おうとしたのだろう。それを遮るようにそっとヴィアの手に触れる。硬く握り込まれた拳を緩めるように優しく優しく両手で包み込む。
我慢の限界なのは令嬢たちだけではないのだ——
(大事な私のヴィアに何度も何度も嫌がらせをして…)
——ドクン、ドクン。
(…さり…たい。——ああ、いけない。そんなとんでもないことを考えては。)
信じられないような黒い感情が湧き上がっては否定する。私がなんとかすればいいの。そうすればこの気持ちも…
「私が演奏いたしましょう。ヴィアは楽器よりも歌う方が得意ですから。」
「まあ、貴方が?」
お前が変わったところで何が出来るの?と、嘲笑うような声音。
「ええ。少し音の確認をさせてくださいね。」
令嬢たちは、エヴァのしっかりとした返答に驚き、本当に演奏ができるのか?と困惑した表情を浮かべている。それらを一切無視して試しに幾つか鍵盤を叩いたエヴァは、ヴィアの元に戻ってくると手を差し伸べる。
「さあヴィア、おいで。」




