36. 脆い心
『——っ。エヴァのばか!』
あれから、仲直り出来ないまま…。彼女に酷いことを言ってしまったオリヴィア。けれど『ヴィアには関係ない』と突き放したのはエヴァ。寮の部屋は気まずい空気。顔を合わせる度に何か言おうと思って、何も言えずに目を逸らす。
教室でも気まずいのか、エヴァは休憩時間になるといつの間にか姿を消していることが多い。すれ違ったまま時間だけが流れていく。
悪いことって重なるものなんだ…。
以前から少し心配していたこと——ラザを慕う貴族令嬢からの嫌がらせが始まった。食堂でキャーキャーと騒がれるラザを見た時に、あまり親しげにするのは控えた方が良いかもしれないと思っていた。ラザも王子殿下達といる時は、人目が多いからヴィア達に話かけないようにしてくれていた。
それでも道ですれ違えば会話をするし、ラザの実家のベルディフ商会はオリヴィアとエヴァの後見をしている。それに加えて王都で一緒にいるのを見られていたのだから、令嬢達から恨まれるのも仕方ないのかもしれない。
『なんの取り柄もない平民のくせに。』
『後見をしてもらっているだけの分際で、調子に乗るな。』
『リーディエ様やグスタフ様にまで擦り寄っているなんて…』
手が届かないはずの高嶺の花に、平凡なヴィアが接点を持っていることがお気に召さないらしい。そんなこと言われたって、と思うけど。
嫌がらせに気づいたユディやアレシュはオリヴィアが1人にならないようにしてくれる。けれど平民の2人が貴族令嬢に強く出ることは出来ない。事の発端のラザやリーデ、グスタフが表立って庇うと事態が悪化する恐れがあるし、みんなどうしたものかと頭を悩ませていた。
呼び止められてチクチク嫌味を言われたり、嘲笑われたりするだけで実害はないけれど、全然平気ってわけじゃない——身分が上の人に囲まれて酷い言葉をかけられ続けて、オリヴィアの心はすり減っていく。こんな時、エヴァがいてくれたら…
「ベルカさん、ちょっといいかしら?」
言葉とは裏腹に拒否は許さない!という表情の令嬢達に絡まれてしまった。弱った所に追い打ちをかけられているような気持ちになる。とても行きたくないけれど、仕方がないので人気の少ない場所まで付いて行く。
「あの…。前にも言いましたが、ラザ先輩とは特別な関係では…。後見している相手として良くしてくださっているだけです。」
「貴方、ちっともわかっていないようね?それが気にいらないと言っているの。貴方のような取り柄のない子がラザ様に親しくして頂くなど!」
「そう、仰いましても…。」
「いいわ、これをあげる。」
手渡されたのはパーティーへの招待状。
(どうして平民の私を?)
本来1番来て欲しくない相手のはず。それをわざわざ誘うなんて嫌な予感しかしない。
「自分の立場を知るのに良い機会ではなくて?」
「そんな、私が貴族様のパーティーになんて…」
「私達がわざわざ正式にお誘いしているのに、まさか断ったりしないわよね?」
リーダーらしき令嬢がニンマリと意地悪そうに告げ、周りの令嬢がクスクスと笑う。『楽しみにしていますわ。』という言葉を残して令嬢達は去っていった。
午後の授業は全然頭に入ってこなかった。なんとなくそのまま寮に帰る気にもなれず、植物園のテラスへと足を向けていた。植物園の爽やかな空気が広がるテラスのテーブルに招待状をのせ、指でつんつんとつつきながら思案する。
招待状は上質な厚みのある白地の紙に縁取りの模様が美しく、貴族様の家紋まで入った正式なものだった。ご令嬢の口調からして、平民が顔を出すと浮いてしまうようなパーティーなのだろう。つまりは、貴族の夜会にのこのこと現れたヴィアを見世物にでもするつもりなのだ。
(どうして仲良くするだけでこんな目に合うの?平民なのはそんなに悪いこと?別に貴族になりたいだなんて思い上がってはいない。私に取り柄がないからいけないの?どうして身分が違うだけで仲良くしてはいけないの?…種族が違うから、エヴァともすれ違ってしまったの?——どうしてエヴァと私は違うの……)
取り留めもなくいろんな気持ちが溢れてくる。もう…限界だった。何が限界なのかはわからない。自分でも、もう何が何だかわからなくて…ただただ、今まで抑えていた感情が決壊する。
(王都に来たのがいけなかった?ロダ村に留まっていれば、今もエヴァは隣にいてくれた?——なんで、なんで…)
友人達と仲良く過ごしていたい。エヴァと一緒にいたい。ただ、それだけなのに!何もかも上手くいかない…頬をポロポロと涙が伝う。動く気にもなれなくて、テーブルにペタリと頬を付ける。傾いた視界でぼんやりと植物を眺めていると…寂しさが込み上げてきて、涙も次から次に勝手に溢れてきて——
*****
(ヴィアと話そう!)
みんなのおかげでそう決心したエヴァは、そわそわした気持ちでその日の授業を終えて、部屋でヴィアの帰りを待つ。決心したのはいいけれど、どう切り出すべきか?エヴァは緊張していた————
帰ってこない…。いつもならとっくに寮に帰っているはずの時間になってもヴィアが帰ってこない!ユディやアレシュ、ラザ、貴族用の寮に行ってリーデやグスタフにも尋ねたが、誰のところにもいなかった。
誰もいなくなった学院の教室を探し回る。ヴィアの姿は何処にもなかった。1人になりたい時、ゆっくり何かを考えたいとき、ヴィアなら何処へ行くだろう?ふと思い立ってテラスへと向かう。植物園の外れ、テラスのテーブルに突っ伏したヴィアの姿を見つけ、その体が呼吸に合わせて上下するのを確認してほっとする。
ゆっくりと近づきスヤスヤと眠る彼女の顔を覗き込む。夜が来る度に眺めた大切な人の寝顔、その頬には涙の跡が——
ずきりと、心が痛む。
2年前、ロダ村の近くで手を差し伸べてくれたヴィア。エヴァを拾って家族になってくれて…。彼女はエヴァの帰る場所…とても大切で愛しくて、そして絶対的な守護者。
けれど、ヴィア自身はまだ幼い少女に過ぎない。エヴァよりも背丈が拳1つ分低くて、肉親を亡くしてしまって、それでも必死に明るく生きているただの14歳の少女。そんなに多くのことを抱え込めるはずがない。
それなのに小さな手で得体の知れないエヴァのことまで守ろうとして…なのにエヴァはその手を振り払った。傷つけたくなくて避けて、もっと傷つけて…
(ほんと最低…)
そっと涙を拭うように手を滑らせる。榛色の髪の間から覗く、白くてモチモチのほっぺ。美形揃いな友人に囲まれているせいで気づいていないけれど、ヴィアはかなり愛らしい顔立ちをしている。性格も素直で身内の贔屓目を抜いても守ってあげたくなるような可愛らしい子。それが余計に令嬢達の嫉妬心を掻き立てるのかも知れない。どんな気持ちで1人で泣いたのか、どうしてヴィアが辛い時に側に居てあげられなかったのか…
「…ん。」
——っ!
つらつらと考え事をしながら頬を撫でていると、ヴィアが目を覚まし、碧色の瞳にエヴァの姿を捉える。




