14. 大切なもの
冷え切った両手に息を吹きかける。悴んだ指の先は感覚がなくなっている。日が傾き始めてまた少し気温が下がった。家の窓から漏れる光に、にっこりと顔が緩む。
家族を失って、寂しくて、でも毎日生きるのに必死で…。いつの間にか1人が当たり前になっていた。エヴァと暮らすようになって、帰りを待ってくれる人がいるのがこんなもに心を暖かくするって、初めて知った。
「ただいま!」
「おかえり。うわっ、寒かったでしょ。暖炉の前で暖まって。」
オリヴィアの手に触れたエヴァは、冷たさにビクッとした後、そのまま両手を包み込むようにぎゅっと握り直して、暖炉の前へと促す。
ニコニコしていると『何笑っているの?』と言いながら、ハーブティーを作って渡してくれる。
「んと…、エヴァが来てくれてよかったなって思って。」
「…そう。私も、最初に出会ったのがヴィアで良かったって思うよ。」
少し、はにかんだエヴァはとても可愛い。出会ってすぐの頃ほんの少し単語しか喋れなかったエヴァは、あっという間に言葉を覚えた。1ヶ月経つ頃には、喋れなかったのが嘘のように流暢に会話ができるようになっていた。
家事も裁縫も次々と覚えてしまい、今ではオリヴィアよりも得意になっていて、家の仕事を半分以上手伝ってくれている。本当はもっと自分でするべきなんだろう。
けれど、彼女は『自分の方が年上だし、身体も丈夫だから気にしないで。』と言って、さっさと済ませてしまうのだった。
オリヴィアにとってのエヴァはどこまでも『優しい子』。面倒見が良くて、そして心配性で…。物事の飲み込みが早くて、賢かった。村のみんなにもすぐに馴染んだ。けれど、少し内気なのか、人付き合いはどちらかというと受け身みたい。
『エーファ』とは違う…。彼女よりもずっと柔らかい雰囲気で、人見知りで、表情は豊かで。それでも時折見せる横顔が、私を心配してくれる時の表情が、抱き寄せられた時の安心感が——2人が重なって見える瞬間に、いつもどきりとして。
そんな姿をエヴァに見せたくなくて、いつもそっと顔を逸らしてしまう。
『エーファ』と似ているところは他にもあった。エヴァは、あまりご飯を食べようとしない。うちの食事は、他の家と比べても質素なのに、オリヴィアの半分程しか食べない。子供だけでの生活はどうしても他の家より貧しくて、だから食べるのを遠慮しているのかな?とも思った。
けれどオリヴィアが自分の器から彼女に分けようとすると、決まって彼女は悲しそうな、困ったような顔で首を横に振る。エヴァの分を無くしてでも、まずオリヴィアに食べさせようとするのだ。
食べなくて大丈夫なわけない!と、思って、モヤモヤしたままだけれど、問い詰めてはいけない気がした。矛盾した考えだけれど、『エーファ』と同じだから、そうゆうものなのかも?と、心のどこかで納得してしまっているところもあった。
降り積もった雪が深くなり、日差しが当たっても溶けない季節。雪解けまで、まだ1ヶ月以上はなんとかしないといけないのに、食料が少なくなってきた。子供2人で準備しただけでは限界があった。 きっと食べ物が無いと泣きつけば、村全体用に蓄えてある備蓄から、食べ物を分けてもらえるだろう。けれどそれは本来、災害など何かあった時の為に蓄えられているものだ。だから、村の備蓄に頼るのは最終手段にしたい。
少し前に1度に食べる量を減らし始めたら、すぐにバレてしまった。彼女はすぐに自分の分も食べさせようとし始めるから、ご飯の度に食べ物の譲り合いが起こっている。
元々エヴァは少食で、それでも元気だった。けれど、近頃は以前よりも良く眠るようになった気がする。朝、時々オリヴィアより起きるのが遅かったり、ふと椅子に座ったまま目を閉じていたり。『少し気になる。』という程度のちょっとした変化。具合が悪いのかと聞いても『大丈夫。』と微笑むばかり…。
けれど、それなら体調の変化は何なのか?やっぱり食べ物が足りてないからか、それとも彼女の主食はオリヴィアと違うのか?ハーブティーや果物はよく食べていたから、本当は植物が主食だったり?——冬になってから保存食ばかりで、あまり野菜を採ってないのが良くないのかもしれない。
結局考えても答えは判らない。けれど、とにかく何でもいいから食べ物を増やさないことには、エヴァは自分の分を食べてくれないから、まずはそこからだ。
頭に何度も浮かぶのは魔の森のこと。あの森ならば、探せば寒い冬でも食べれる食物があるかもしれない。弓を威嚇ではなく、獲物に当られれば、肉だって手に入る。オリヴィアにだって、小さな鳥や、小動物なら仕留められるかもしれない。
『エーファ』は、あの森に居たのだ。ならばエヴァも、森で採れたものならお腹いっぱい食べてくれるかもしれない。男たちに追われたことを思い出すと、本当は今でも森が少し怖いと思っている。
それに本来『魔の森』は雪解けまでの間立ち入りが制限されているのだ。制限の理由は、薬草の殆どが冬以外に採れるだとか、雪の積もった森の移動は過酷だとか、魔獣が普段よりも浅いところで出没する可能性があるだとか——単純に冬はリスクが高くなるので、あまり行かないようにという方針だった。エヴァに相談したら、心配性な彼女は絶対に反対するだろう。
ふと、エヴァを目で追うと、火かき棒で薪を動かして暖炉の火が長持ちするようにしている。視線に気づくと振り向いて、『どうしたの?』と首を傾げてくる。何でもないと返事をすると、不思議そうにした後、また暖炉に向き直る。
(私は、ただ…この生活を失いたくないだけ…。)
家に帰るとエヴァが居て、今日あったことを互いに話して、一緒にご飯を食べて。そんな毎日を手放したくない——そのために、できることがあるのなら…
翌日まだ薄暗い中、すやすやと眠る大事な家族に向かって、心の中で『行ってきます。』を言うと、オリヴィアは静かに家の扉を閉めた。