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15. 魔の森

 足を踏み出す度に足が雪に沈み込む。辺りに立ち並ぶ木々は雪を被り、枝の先まで霜が凍りついている。それらが昇り始めた朝陽を跳ね返しては、キラキラと煌めいていた。

 澄んだ空気は冷たさで一層鋭さを増し、吸い込むと痛いくらいに肺を刺激する。口元をマフラーでしっかりと覆い、直接外気を吸い込まないようにしながら辺りを見回す。雪に覆われた森の中の移動は思った以上に体力を奪い、歩みはとても遅くなる。


 出来ればエヴァが目を覚ます前に戻りたいけど、こんな雪深い季節に森へ入るのは初めてだった。どこに冬でも食べられるものがあるのか検討もつかない…。そろそろ帰らないとエヴァは起きてしまうだろう。

 けれど辺りが薄暗い内から家を出て、森の浅い部分を必死に探し回って見つかったのは、食べられそうな小さな茸が2株。これでは今日のご飯の足しにしかならない。


(もう少しだけ。)


 そう思って、辺りに動物はいないか、木の実が無いか目を凝らす。すると遠くに小さなリスが1匹、木から降りて雪を掘り返しているのが見えた。そっと、背中に手を回すと、静かに弓矢を構え、息を殺して矢を引き絞る——




*****




 朝日に目を覚ますといつもの天井が目に入る。物音が聞こえないから今日はヴィアより早起き出来たのか、とぼんやり考えて——違和感に気づく。


 物音がしないのでは無く人の気配がしないのだ。隣にあるはずのヴィアの姿はなく、一気に頭が冴えて他の部屋や家の周りを探した。

 起き抜けに彼女が感じたように家の中にヴィアの姿はなかった。不安に駆られて異変がないかと室内を探すと、弓矢や防寒着、採集の時に彼女が持ち出す麻袋、ナイフ、それから護身用の小剣がなくなっている。


(——まさか!)


 嫌な予感がして急いで身支度を始める。防寒用の靴を縛っていると、不意にドクンッと体の中で何かが沸き立つのを感じた。ヴィアとお揃いのブレスレットが淡く光っている。それが目に入ったエヴァは、細身の剣を掴み、すぐに家を飛び出した。


(早くヴィアのところへ。早く行かないと——)


 それしか考えられなかった。一刻も早く行かなければエヴァの大切なヴィアが『壊されてしまう』。理由もわからないのに、どうしようもない焦燥感に心が急いた。




*****




——ビュン。


 風を切った弓矢は、標的のリスから少し外れて木に刺さる——始めての狩りが失敗に終わったのに、オリヴィアはどこか安堵した気持ちになってしまっていた。

 仕留め損ねたリスは、一目散に逃げてゆく。せめてリスが土の中に隠していた木の実を掘り起こそうと、弓矢の刺さった辺りに近づく。『リスさんごめんね。』と呟いて、雪をどけて土を掘り返す。土の中には数粒の木の実が埋まっていた。

 これっぽっちでは、大してお腹の足しにはならないだろう。だけど、自分には生き物を殺す覚悟ができていない、と思い知ったから——今日はもう家に帰ろうと決める。


 ところがその時、『エーファ』にもらったブレスレットが光った。


 『危険な時に光る。』と教えられたブレスレットが光っている——急いで周りを確認すると、数匹のノーツブルクがいた。遠目に見ると狼に似ているが、狼よりも大きくて凶暴な魔獣。鋭い牙と爪を持つ。単体では魔獣の中でも弱いノーツブルクだが、群れで行動するので初心者には注意が必要だといわれる。まともに狩りもできないオリヴィアにとっては1匹でも十分に脅威だった。それが3匹も……

 涎を垂らしながら、狙いを定める様にこちらを見つめる視線。逃げなきゃいけないのに体は硬くなり、心臓の鼓動がうるさいくらいに早くなる。


(怖い。怖い…)


 目を逸らせば直ぐにでも襲ってくるだろう。体は馬鹿になったかの様に勝手に震える……

 番えた弓の照準がブレない様に必死に震えを抑え——1歩、また1歩と後退していく。そのまま数歩下がった所で雪に足を取られ、体制を崩してしまう。グラリと体が傾き、弓の構えが崩れた隙に間合いを詰められる。


 急いで体制を立て直し、慌てて弓を引く。ヒュンと跳んだ矢は狙いを外してしまったが、1番手前まで迫っていた個体の牽制にはなった。ほんの少し落ち着いて放った次の矢は肩に命中する。ノーツブルクが怯んだ隙に踵を返して逃げる。


 雪のせいで思ったように走れない……それに比べて雪に慣れた魔獣達は、たやすく迫ってくる。致命傷には程遠い傷しか与えていない。ノーツブルクたちは先程よりも鋭い眼光で、オリヴィアを仕留めにかかって来た。

 苦し紛れに振り抜いた小剣の切先は、目前まで迫っていたノーツヴルクの前足を掠め——思わぬ切れ味に魔獣は雄叫びをあげる。続けざまにもう1頭が飛びかかって来る。しかし、体制を崩したヴィアは片腕でガードの構えを取るのが精一杯。


(避けられない——)


 ぎゅっと目をつぶって襲いかかる衝撃と痛みに備えていると「バチッ!」と激しい音がする。ブレスレットから溢れた光に魔獣の体が弾かれていた。そのまま、ビクビクと苦しそうにしている魔獣から目を離して辺りを見ると、他には前足と肩を負傷したものが1匹ずつ。

 

(これなら、逃げ切れるかもしれない…)


 微かな希望は直ぐに絶望に変わる。


 ——ワオーン。


 遠吠えが響いて、木々の影から、新たなノーツブルクが姿を現したのだ。数はちらっと見えるだけで10匹以上。仲間を呼び寄せられてしまった。

 もう、とても逃げ切れはしない。諦めたというより怖過ぎてまともに動ける状態でもない。ノーツヴルクの群れはオリヴィアを嬲るようにジリジリと距離を詰めてくる。ギラついた目と口から垂れる涎に怯えながら、頭に浮かぶのはエヴァのこと。


 何も言わずに家を出たことをエヴァはきっと怒るだろう。森の中で私の死体が見つからなかったら、彼女はオリヴィアに捨てられたと勘違いしてしまうかもしれない。それは嫌だなぁと思う。


(そうじゃないよ、エヴァ。一緒に居たいから森に入ったのに……)

 

 いよいよ側まで迫ってきた魔獣の牙——


「エヴァ…死にたくない。」


 溢れ落ちた大切な家族の名前。思い浮ぶ彼女のいろんな表情——時間は急に引き延ばされた様にゆっくりと感じられて。恐怖を紛らわすようにブレスレットを強く握りしめ、目をぎゅっと瞑った——


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