第6話 弟子が、覚悟を決めました
「ただいま。フローラ」
部屋に戻ったディレザリサは、未だベッドに蹲っているフローラに声を掛けた。
嗚咽は聞こえない。
涙は止まったようだが、ショックで立ち上がれず……という所だろうか。
ディレザリサはベッドの近くへ椅子を運び、その椅子にちょこんと腰を下ろした。
盛り上がっている毛布の中にはフローラがいるのだろうと、憂いを帯びた微笑みを浮かべながら、山のてっぺんから坂を下るようにゆっくりと撫でながら優しく語りかける。
「朗報があるんだけど……聞く?」
毛布がカサリと揺れる──だが、出て来る気配は無い。
「じゃあ、この音……なーんだ?」
手に持っていたのは、丸々と太った茶色の革袋。
ディレザリサは、それを悪戯っぽく、いやらしい手つきで揉みしだくと、革袋は吐息を漏らすかのように、シャリシャリと喘いだ。
その音が気になったのか、勢いよく被っていた毛布からガバッと飛び出したフローラは、丸々と肥えている皮袋を見て目を丸くさせた。
「フフフッ……」と笑うディレザリサは、フローラを挑発するかのような艶かしい視線を向けて、右手に持つ皮袋を手渡した。
それを受け取ったフローラは、ずっしりとした重みのある皮袋をまじまじと見つめてから「これ、どうしたの……?」と、不安に掻き立てられながら問う。
「稼いで来たんだよ……ちゃんと働いて、ね?」
エッヘン、と、胸を張るディレザリサ。しかし、喜んで良いのかわからないフローラは、これをディレザリサが働いて稼いだとは到底思えなかった。
彼女は異世界で『邪竜』と恐れられた最強にして最凶の竜である。そんな彼女が人間に雇われて「いらっしゃいませ!」と、笑顔を振り撒きながら働くとは、失礼ながら到底思えない。そんな想像を膨らませていたフローラは、ひとつの答えに辿り着いた。
「ディレ、もしかして、それ……、奪ってきたの……?」
受け取った皮袋を自分の手元に置いて、恐る恐る訊ねた。
「失礼にもほどがあるだろう……」
「だって、数時間で稼げるお金じゃないよ……?」
「フローラ。私の生活態度を見ていればわかると思うけど、そんな簡単に人間を襲うように見える?」
今までの生活態度──と言われて、フローラはこれまでの生活を振り返ってみる。
確かにディレザリサの生活態度は至って真面目だし、勉強熱心で、途轍もなく可愛い笑顔を見せるし、水浴びをする時に水が冷た過ぎて「ひゃう!?」と悲鳴をあげるのも可愛いらしいし、そんな子が異世界で『邪竜』と呼ばれて恐れられていたとは絶対想像もつかない──人間を襲うなんて尚更だ。
しかし、持ってきた額があまりに多額。
こんな大金を数時間で稼ぐとしたら、店を襲うくらいしか思いつかない。
「全然信用してないな? アクセサリーを売っている露店があったのを覚えてる?」
「この街に来てから初めて話した相手だし、それくらいは覚えてるよ」
「その店主に、竜がどんな姿をしているか、こと細かく説明してあげたんだよ。その報酬としてくれた……それだけ」
「それだけで、こんなに……?」
本当はこの金額の中に『魔法薬代』も含まれている。しかし、そのことをフローラに伝えたら「今すぐ返してきて!」と怒られそうなので黙っていることにした。
「あと、これね」
ディレザリサは果実商のエドがくれた、果物が沢山入った籠を自慢げに見せた。
籠は竹を短冊状に編んだもので、これだけでも高い技術が使われていそうだが、その籠いっぱいに色とりどりの果物がぎっしり詰められている。
「これ……は、あの果物屋さんの?」
「食べて貰えないと腐るだけだから……って、くれたんだよ」
自分が拗ねている間、ディレザリサが資金調達と食料調達をしてくるなんて、誰が想像できただろうか? 気前の良い果物商に感謝をしながら、そのお金の使い道をディレザリサに訊ねる。
「でも、そのお金どうするの?」
「もう一泊する事になったから、旅費の足しにする」
「もう一泊? 二泊するの?」
ディレザリサはいつになく真剣な表情を浮かべている──何か思うことがあったのだろう。
「明日、中央大陸で名の知れた英雄? が、この街に来るらしい。私達の計画の邪魔になるかもしれない存在だから、どんなものか見ておきたい」
「中央大陸で名の知れた英雄って……誰?」
「ハイゼルって名前の騎士らしい」
「ハイゼル……? うぅん……知らないなぁ」
ハイゼル・グラーフィンという騎士の名は、世界的に轟いているわけではないらしい。
果実商のエドも知らなかったとすると、近隣諸国で有名な程度。
もしかすると、魔物達を一撃で倒した──というのは、噂に尾ひれはひれがついただけの偽情報かもしれない。
それが仮に真実だと言うのなら、これから障害になり得る相手だ──油断はできない。
場合によっては、先に消した方が良いかもしれない。
そうなると、ディレザリサの『咳払い』では派手過ぎる。
殺るなら一撃で、しかも静かに殺すことが重要になる、の、だが……そう簡単に事が運ぶ可能性は──格段に低いだろう。
「ディレが人間の男に興味持つなんて……初めてだね」
「フローラが思っているような感情ではないって事は、先に言っておこう……」
「ふふっ、素直じゃないなぁ」
「……」
フローラはいつもの調子を取り戻したようだ。
この街に来てから、ずっと緊張していたのだろう──顔が強ばっていたのだが、今はすっかり落ち着いている。
「まだ日没まで時間があるけど、どうする?」
「もうちょっと…日が暮れたら動こうかな」
「分かった。それまで私はこの街についてもう少し調べてみるね」
「うん。何か分かったら教えて?」
そして、ディレザリサはまた街へと繰り出して行った──。
* * *
いつもの小屋よりも狭く、この部屋は一人でいるにはそこそこ快適ではあった。
窓は一つ、その窓からは中央通りの街並みがずらりとよく見える。
部屋の中には壁掛けランプが入口付近に一つ、ベッドの傍に一つ。合計二つ設置されていて、両方付けるとなかなか明るい。机と椅子もあるのだが、こちらはかなり簡単に作られた物で、左右のバランスが取れてないせいかグラグラと揺れる。
ベッドと机と椅子とランプが二つある部屋。豪華な部屋ではない事は確かだ。
これでも500ルーダすると言うのだから、ぼったくりも良い所だろう──間の宿屋事情を知らないので、もしかしたら安いのかもしれないが。
そんな事を思いながら窓の外を眺めていると、鮮やかな淡い青色の長い髪をはためかせながら歩く少女が目に止まった。
「あ、ディレだ」
見知らぬ街を堂々と歩くその姿は、すれ違う男の目を引いている。
この部屋から外の声を聞こえないが、きっと「おい、見た?」「ああ、かなり上物だ」とか──そういう下品な話をしているんだろう、と、フローラは思った。
本当は、フローラも一緒に行きたかった。しかし、日中活動するのは怖い。
もし、誰かに見つかってしまったら……「はぁ…臆病者め…」と、自分で自分を蔑む。
然し、恐怖を感じるのは仕方が無いだろう。
あの夜の光景は、絶対に忘れる事など出来ないのたがら……。
* * *
誰が噂したのだろうか。なんの為にそうしたのだろうか。
自分達は何も悪くない。それなのに……まるで仇敵を見つけたような目で、自分達を追って来る。
片手には包丁、ナイフ、農作業で使う鍬などを持ち、更には弓矢を射る者までいる始末だ。
「誤解です!! 私達家族は魔女ではありません!!」
母親の悲痛な叫びは、誰の耳にも届かない。
「た、頼む!! 娘だけは助けてくれないか!!」
父親の願いは、追い立てる群衆の声に掻き消された。
周りを取り囲む悪意の塊達は、ジリジリとその距離を詰めて行く。
「エヴァン……残念だ。君が魔女と組みするとは」
「ロナルド・ビンゴッド……」
この街を仕切る長、ロナルド・ビンゴッドは、フローラの父親であるエヴァン・カジスの友でもあった。だが、今はその関係も断ち切られてしまっている。
「悪く思うなよ。これも〝街の為〟だ」
「街の為……? お前の為だろ………ロナルドッ!!」
エヴァンはこの街で医者をしていた。心優しく、街人からも愛される程に人気があった。
やがて、エヴァンこそがこの街の長に相応しいのではないか? という声が、チラホラと囁かれ始めた。このまま放置していては、自分の立場が無くなる……そう思ったロナルドは、エヴァン達家族を『魔女と魔女に組みする者』という噂を流し、エヴァンの名声を消し、そして……今、処刑しようとしている。
「皆、聞いてくれ!! 俺は…魔女に組みする者ではない!! それに、俺は知っている……この男の〝真の目的〟をッ!!」
「黙れ!! 貴様のその医者の腕、それこそが魔女から与えられた恩恵の証拠だ!!」
「ロナルド……ビンゴッドオオオォォォ!!」
そして、ついにエヴァンは、背中から、前から、左右から、刃物により身体を貫かれた。
「あ、アナタ……」
「アリアーナ、フローラ……すま、ない……」
「後は魔女のみだ!! 張り付けにして燃やせ!!」
「「うおおおおおおおっ!!」」
暴徒化した民衆は、己の正義を遂行するかのように、アイリーンを羽交い締めにし、十字架に組んだ木に貼り付けにした。
「お母さん!! お母さん!! 嫌だ!! お母さん!!」
「フローラ!! フローラ!! お願い……フローラだけでも助けて!! 私は燃やされてもいい……フローラだけは!!」
両腕をがっしりと捕まれ、身動きの出来ないフローラは、ただ、母親が担がれて行くのを見ている事しか出来ない。
「ロナルドさん。どうします?」
「……山にでも捨ておけ。魔物の餌がお似合いだ」
「お母さん……お父さん……」
両親を最後に見た光景は、真っ赤な血を流して倒れる父親と、担がれ運ばれる母親の姿。
フローラは、男共に手を縛られ、そして、夜のゴロランダへと捨てられた。そして、その後……街では泣き叫ぶ女の声と、煉獄の炎が立ちのぼり、やがて静寂が包まれる。
「お母……さん……、嫌だ、嫌だあああああぁぁぁぁ!!」
山奥…遠くに見えるランダに、少女の叫びは届かない。いや、もしかしたら届いていたのかもしれない。ただ、その声に耳を傾ける者は、ランダにはいなかった。
どれくらい歩いただろうか──。
手を縛っていたロープを岩に擦り付けて切ったはいいが、自分が今、何処にいて、何処に向かっているのかも分からない。ただ──無心に歩き続けた。
このまま奴らが言うように、魔物の餌となって死ぬのも悪くないかもしれない。もう生きる希望なんて、無いのだから…と、無気力放心状態で彷徨い続けたフローラは、やがて、月の光に照らされた山小屋を見つけた。
「……」
鍵は開いている。どうやら、もう使われていない山小屋のようだ。
埃っぽい山小屋の中に、ボロボロなベッドを見つけ、そこに倒れるように寝転ぶ。
そして──少女は祈った。
「もし叶うのなら、いつか……奴らに復讐出来る程の力を、私に……」
それは呪いだった。神ではなく、精霊でもなく、悪魔に祈る呪い。
この世界の誰にも届く事は無い呪い。たったひとり──の小さな呪い。
この呪いが『邪竜』を招いたのかは分からない。
だが、二年後のあの日──彼女が姿を現したのだった。
「嫌な事を思い出しちゃったな……」
今はもうあの時無力だった自分ではない。この身体には、復讐を果たす力がある。
「必ず、復讐を果たすよ、ディレ……」
その瞳は人間の瞳の色を消し、まるで邪竜のような、冷たい、冷酷な光を帯びていた……。
* * *
日が暮れてチラホラと街に明かりが灯る頃、ディレザリサとフローラは宿から出て、街の様子を探っていた。
「ディレ、あれから何か情報はあった?」
適当な路地をぶらぶらと歩きながら、隣を歩くディレザリサに話しかけた。
「〝魔女狩り〟についての情報は無いね……今は〝英雄〟の話で持ち切りだったよ」
この街の住人は、よほど真相が漏れるのを恐れているのだろう。
魔女狩りという言葉さえ聞くことが出来なかった。
「ハイゼル……って人だっけ…殺すの?」
「フローラ……?」
まさか、フローラの口からそんな言葉が出て来るとは思っていなかった。
ディレザリサは、その言葉の冷たさに驚きを隠せない。
(復讐者の良い目になったな……)
まるで獲物を見据える竜のような冷たい瞳。あの時出会った少女の瞳は──今は無い。
「その可能性は高い。然し、いつ何処で事を運ぶか…それが肝心だな」
「そうだね」
ディレザリサの口調がいつの間にか『竜の頃』に戻っていたが、フローラはそれを指摘しなかった。
「どうすればその……ハイゼルって人の力を見極められるの?」
「うむ……強者なら触れたら分かる。竜の感というやつだ」
「それなら、こんな方法はどうかな……?」
夜の街の片隅で、少女と邪竜はひっそりと、明日の作戦を練っていた。
そして翌日、今に至る──。
【続】




