第7話 私達、街から逃げ出しました
「間一髪だったね……ディレ、重くなかった……?」
「魔法で強化してるから大丈夫……。そんなことよりもハイゼルだ。ヤツはなんで追って来たりしたんだ……」
ディレザリサは肩で息をするように、ゼエゼエと息を漏らす。
それは何故かと言うと、ハイゼルの追走を逃れるために、フローラを抱えながら、壁と壁を飛ぶようにして、宿屋の屋根へと移動したからである。
ハイゼルが追ってくるような真似はしていないし、ディレザリサは予想外の事態に困惑の色を隠せなかった。
「そんなに私達と食事がしたかったのか……? 人間の雄の思考はよくわからん……」
右腕で額の汗を拭き取って、もう一度眼下の街並みを眺めると、ハイゼルが辺りを見回しながら宿屋の前で小首を傾げていた。しかし、まだ諦めていないようで、近くの通行人に聞き込みをしているのだろう──まあ、有力な情報は集められていないようだが……。まさか、自分が探している人物が自分の頭上にいるなど誰が予想できるだろう? 『灯台下暗し』とはよく言ったもので、今のハイゼルにはその言葉がピッタリと当てはまる。
予想外の事態は起きたものの、フローラの企てた作戦は成功と言って良いだろう。
この街で宿泊できる施設はこの宿屋しかない。故に、ハイゼルはこの宿に泊まることが想定できる。あとは、タイミングを見計らって、ハイゼルが部屋から出てきたところに『偶然』を装って通り、これ見よがしに転べば、騎士であるハイゼルは、当然のように倒れた相手に手を貸すだろう。その際、ハイゼルの手に触れることになるので、『ハイゼルの手にふれる』という目的は達する。
「作戦は上手くいったは良いんだけど……フローラ。即日の騒ぎに便乗すれば、こんな苦労せず済んだんじゃないか……? それとも、この作戦には他にもなにか意味があったりするのか?」
ディレザリサはフローラに異議を唱えたのだが、フローラは「わかってないなぁ」と呆れた顔を向ける。
「それじゃ駄目だよ。自分の容姿をもっと有効活用しないと!」
「容姿を、有効活用……?」
なにを言っているんだ、この娘は──と、ディレザリサも呆れ顔を返す。
「うーん……、ディレはもう少し乙女心を勉強しないとね」
そんな勉強は御免だ──とディレザリサは訴えたが、きっとこの作戦はフローラにとって重要な作戦だったのだろう。確かに、この作戦無くしてハイゼルの滑稽な姿は拝めなかったはずだ。
「だがな、フローラ。奴に私達の存在を認識されては、これからの行動は更に慎重に……ん?」
フローラは「そこだよ!」と、得意げに言う。
「つまり……、ハイゼルに自分達を印象付ける事で、ハイゼルと因縁ができる。そして、ひと里離れた場所へ呼び出して……か。よくそこまでよく考えたものだ。フローラにしては上出来だぞ」
「〝フローラにしては〟ってどういうこと!? ま、いいけど……それで、ハイゼル様に触れた感想、一番重要だった〝ハイゼル様の力を知る〟っていうのはどうなったの?」
「実は……よくわからなかった」
「えッ!? 触れたらわかるって言ってたのはディレだよッ!?」
「そうなのだが……」と、ディレザリサは言葉に詰まる。
確かにハイゼルには『強者特有の感触』があった。
手の皮は分厚く、剣の稽古をしっかり行っているように思う──だが、それは一般的な戦士も同じで、ハイゼルだけが特別という訳でもない。
強大な魔物を一撃で仕留めるような強さがあるのなら、触れた瞬間に背筋がゾワリと冷える感覚を覚えるのだが……。
(やはり、噂は単なる噂ということか……? それとも、ハイゼルの名を語る偽物か……もう少し様子を探るしかないか)
ハイゼルの名を語る偽物だとするなら、それも頷く事が出来るのだが──昨日の騒動がそれを否定している。
「結局、骨折り損ってこと?」
「作戦は成功したが、内容は失敗といったところだろうな。ハイゼルの情報があまりに少な過ぎた……すまない」
「しょうがないよ。でも、これでまたふりだしに戻っちゃったね……」
これ以上、ハイゼルに接触するのは悪手だろう。
街の様子も知れたので、ここらが引き際かもしれない。
街を襲撃するのは後日、ハイゼルが街から去った後の方が容易い。
今は、戦略的撤退を──と、ディレザリサは提案しようとしたが、当人はまだ諦めきれないのか、これからどうするべきなのか黙考している。
現状は手詰まりだ。しかし、ここで手を招いたところで事態は一向に進まない。
(アプローチの仕方を変えるべきなんだ。もっと、私達らしいアプローチの仕方があるはず……考えろ、私達の武器はなんだ? 形成をひっくり返す奥の手はなんだ……奥の手?)
そして、フローラの頭の中でパズルが揃い、一枚の絵が完成するように閃いた。
「ねえ、ディレ」
「なに?」
「乙女心、勉強しよっか!」
「……は?」
* * *
一方──未だに少女ふたりの行方を掴めない英雄、ハイゼル・グラーフィンは、通行人にふたりの行方を訪ね回っていた。しかし、どんなに訊ねてみても有力な情報は一切掴めず。
「まだ、そう遠くには行っていないはず……どうしてみつけられない? 姿を消したのか? まさかな……それとも、あのふたりは幻だった……いや、それはあり得ない!! 私は彼女の手を握った。柔らかくて、聖女のような滑らかで美しい手……な、なにを考えてるんだ私は!?」
中央大陸の英雄ハイゼル・グラーフィンが、手を触れた少女に欲情しているなど、誰にも言えるはずがない。
これは欲情ではない!! 違う!! 絶対にだ!! と、ハイゼルは頭をぶんぶん振りその欲情を振り払った。
「消えたのではなく、幻でもない……もしかすると、なんらかの犯罪に巻き込まれた可能性も……」
この国で一番発生している『人的被害』は、『人身売買』である。
これはどの街でも起こり得る犯罪だ。
先代の王により『奴隷売買』は禁止されたが、裏社会ではまだ、奴隷売買が秘密裏に行われている。
もし、あのふたりが人さらいに会っていたら──それだけは、英雄としてではなく、ひとりの騎士として、何が何でも阻止しなければならない。
ハイゼルは路地裏に隠れるように入ると、首に下げている蒼い光を放つ石を取り出した。
「〝汝 我が盟約に応えよ〟」
呪文のような掛け声と共に、石蒼く発光して、その光がハイゼルの全身を包み込む。
「今助けるぞ……グラーフィン家の名誉に賭けてッ!!」
* * *
ハイゼルが壮大な勘違いをしている頃──ディレザリサ達は、ハイゼルの姿が無いことを確認して屋根から降りて、堂々と正面から宿屋に入り、談笑をしながら部屋へと戻った。
「乙女心はディレにとって、絶対に必要なものなんだよ!?」
ディレザリサは窓際にある木製のベッドの縁に座って、立ちながら熱弁しているフローラを退屈そうな目で見ていた。
「それはもう〝あの山子屋〟で飽きるほど聞いた。まだなにかあるのか……?」
「女の子はみんな〝お姫様〟なんだよ!! ディレにはその自覚が全く足りてない!! 言葉遣いだって、いつの間にか戻ってるし!!」
「そうは言ってもだな……!? フローラ、少し黙れ」
「へ? なになに? いきなりどうしたの……?」
一瞬だったが、確かに空気が騒ついた。
ゾワゾワ──と、死神の冷たい手が背筋を撫でるかのように、緊迫した表情を浮かべているディレザリサは、寒そうに両手で両腕を摩る。
この空気、紛うことなき強者の力。それも──あの白銀と同等か、それ以上の力だ。
(この感覚を覚えるのは久しぶりだ……私としたことが、まさか武者震いまでするとは)
もし──自分がまだ竜の姿だったら、一目散にその者の元へと向かい、戦いを挑んでいただろう。だが、今は人間……竜の力を半分も出せないディレザリサは、初めて『死の恐怖』を感じていたのだ。
「ハイゼル・グラーフィン……まさか、これほどの実力の持ち主だったとは」
「ディレ、なにが起きたの……?」
その感覚は一瞬だったが、気づいた瞬間に、その気配は消えていた。
この強大な波動に対して、今の自分では到底敵わない。
「フローラ……一旦引こう」
「え? どうして?」
「理由は後で話す……急ぐぞ!!」
血相を変えて慌てるディレザリサを目にするのは初めてだったフローラは、そうなるに値する『何か』が起きたのだろうと思いながら、手を引かれて、逃げるように部屋を飛び出す。途中、宿屋の女店主が「そんなに慌ててどうしたんだい?」と訊ねてきたが、それに返答する余裕もなかった。
なるべく人通りが少ない道を行くしかないが、この街には人混みと言える人混みは無いので『木を隠すには森』のような逃走は出来ない。
宿屋の裏手に周り、物陰に隠れながら慎重に街の出口を目指す。
一言も話さず、物音を立てないように。
フローラはディレザリサの横顔を見た──その額からは汗が垂れている。
冷や汗か、焦りによる焦燥の汗かわからないが、握り締められている手は力強い。
宿屋の裏手からパン屋の裏へ、パン屋の裏から家の裏へ、裏へ裏へと進んで行き、ようやく門まで辿り着いた──だが、そこには、今、一番会いたくてない相手が待ち構える。
「ハイゼル・グラーフィン……勘のいい奴め……」
門番と話をしているが、何を話しているのかは分からない。もしかすると、自分の正体がバレて、指名手配の申請をしているのか──いや、フローラの事がバレたのか? だが、今はそんな心配をしている暇は無い。
ハイゼルをどうやって撒くか、どうやって気付かれないようにこの街から出るかだ。
先のように、壁伝いに屋根へ上り、門の上から突破する方法もあるが、ハイゼルの指示だろうか、門の上には兵士が数人、辺りを見張っている。
(他の方法を探すしかないな……)
門の前は厳戒態勢が取られていて、正面衝突は先ず不可能。
上からの突破も無理そうだ。
寂れた街ではあるが、腐っても『街』だ──東西南北に見張り塔が建ててあり、そこから監視をされている。
(万策尽きたか……)
最終手段は自分一人が囮になり、その隙にフローラを逃がすという手がある。だが、自分が囚われてはフローラの『復讐』を果たす事が出来ない。例え捕らえたられたとしてもディレザリサの力があれば容易く逃げる事は出来るが、それ以降、街はディレザリサを警戒して守りを固めるだろう。つまり──囮作戦も使えない。
(無傷で脱出することは不可能か……?)
そんな時、少し離れた場所から、ゴトゴトと荷台を引く馬車が進んでくる。
(鍛冶屋の……確かグロッツォとか言ったな。あの馬車は使えるかもしれない!!)
フローラも同じ答えに辿り着いたようで、ふたりは物陰に隠れながら、グロッツォの元へと向かった──。
* * *
「おう、ダイル! 今日はかなり忙しそうだな」
グロッツォは馬を止めて、門番に話し掛けた。
「この街で〝人攫い〟があったらしい。英雄さんの指示でなぁ……俺らはもうてんてこ舞いだぜ。そんで、お前さんは街を出るのか?」
「この街にいても商売上がったりだからな。場所を変えてまたいちから稼ぐ事にするわ。ったくよぉ……売れの残りが多くて困ったもんだぜ。見てくれよこの数を」
グロッツォは荷台の中を門番に見せた。
「こりゃまた……かなり残ったな。もうこの街には来ないのか? お前と呑む酒はなかなか楽しかったから、少し寂しくなるぜ」
「またそのうち来るさ。それまで、女のひとりくらいはべらせとけよ?」
「うるせぇ! 早く行っちまえ!」
「おう! またなダイル!」
「グロッツォも元気でなー!」
こうして、グロッツォは門を抜けて、馬車を走らせた。
「ディレちゃん、もう大丈夫だぜ?」
荷台に詰んだ箱の中に潜んでいたディレザリサとフローラは、ようやく狭い箱の中から出られると安堵して、ゆっくりと箱から首を出した。
「ありがとう、グロッツォさん」
ディレザリサはお礼を言いながら箱の外に出て、フローラに手を貸した。グイッと引っ張られたフローラは、「ひゃうっ!?」という小さな悲鳴を上げて、箱から転がるように飛び出した。
「にしても、どうしてこんな回りくどいやり方で街を出るんだ? まるでお尋ね者みたいじゃねぇか」
「ちょっと言い難いんですけど……その、ハイゼル様に言い寄られてしまって」
──嘘である。
「ハッハッハ! なるほどなるほど! ハイゼルの野郎、だから兵士を使ってまでディレちゃん達を探してやがったのか! いくら英雄といえど、男ってこったなぁ……」
フローラは思った。この男──きっと馬鹿なのだろうと。
こんな単純明白な嘘──正直、信じ難いものなのだが、グロッツォはディレザリサの言う嘘を見抜く事が出来ず、剰え信用までしているような口振りだ。
「そんで、本当にこんな場所で降りるのか?」
街から離れて約ニキロほど進んだ平野に馬車を止めたグロッツォは、荷台に座っているディレザリサ達に聞いた。
「えぇ。ここで大丈夫です。この近くに珍しい薬草があって、それを採取したいんです。この子に効く薬草なんですよ」
「ああ…そういやディレちゃんのお友達? は、病気だったっけか。それならその薬草の採取が終わるまで待ってるが……どうする?」
「いえ。そこまでして貰わなくて大丈夫です。またここを通る馬車がありますから、それに乗せて貰います。丁度、お金も沢山ありますし」
「へへっ……なるほどな。それじゃ、また何処かで会おうぜ? その時はまた竜の話を聞かせてくれや!」
「えぇ、もちろん。グロッツォさんの商売が繁盛するのを祈ってますね」
こうして、グロッツォは再び馬車を動かし進んで行った。
その後ろ姿を見送りながら、フローラは「ねぇ、ディレ…どういう事?」と、ディレザリサに訊ねた。
「小屋に帰ったら話す。今は、先ず帰る事が先決だ」
「なんか腑に落ちないなぁ……」
* * *
時間は少し遡る──。
ハイゼルは焦っていた。
人知を超える力を与える宝石の加護の力を使い、街全体に魔力を干渉させてふたりの存在を探ったのだが、その反応すら無いのだ。
自分がこの門で見張りをしている以上、ネズミ一匹通す事は無い。空間移動魔法なんて夢物語な魔法を発動させない以上、この街から出る事は不可能なはずだ。
「なぜだ……どうして発見できないッ!!」
グランドゴーレムを一撃で倒し、ビッグサンドスネークを討伐し、姫を野党から救い出した英雄ハイゼルが、まさかふたりの少女すら救い出せないなど、あってはならない。
「君達、悪いが少し離れる。その間、警備をしっかり行ってくれ」
近くにいた門番兵にそう言い残し、ハイゼルはその場を離れた。
野党ならどう動くか──そう考えると、裏手から回り込むのが定席。
暗闇に紛れ、一瞬の隙を突いて逃走するというのが奴らの常套手段だ。ならば──と、ハイゼルは街の裏手に回り込んだ。
その時、ディレザリサ達を乗せて、堂々と荷台を引く馬車が中央通りを通る事に、ハイゼルは全く気づかなかった──。
日も暮れだし、兵士達をずっと厳戒態勢にしている事も難しくなった頃、ハイゼルは自分の負けを認めて、兵士達の厳戒態勢を解除する。
ハイゼルは失意の中、宿泊先の宿屋へと戻った。
「おや? ハイゼル様、お疲れですねぇ……」
宿屋の女店主はハイゼルに労いの言葉をかけた。
「えぇ……私とした事が重大な失敗をしまして。この宿に宿泊していたふたりの少女を覚えていますか? 彼女達が人さらいにあったのです。それを阻止出来ませんでした」
「えぇ!? そうだったんですか!? 私はてっきり急用が出来て、急いで街から出たのかと思ったんですけどねぇ」
「急用……?」
ハイゼルは女店主の元へと駆け寄った。
「詳しくお聞かせ下さいませんか!」
女店主は少し困った顔をしながら、朝に起きた出来事をハイゼルに話した。
「───それで、私は急用かと思ったんですが……」
「どういう事だ? 何故、そんなに急いで街を離れる必要があった? いや、店主さん、貴重な話をありがとうございました」
そう言い残し、ハイゼルは部屋へと戻った。
「人さらいではない。なら……何故、彼女達はこの街を早急に離れるなければならなかった? それに、私の魔力に反応すらしないという事はどういう事だ? あの可憐な……いや、まだ幼さの残る少女が、どうやってこの街から私の魔力を掻い潜り、外に出たの言うんだ……?」
幾ら考えを広げた所で、その答えに辿り着く事が出来ない。だが…もしかすると、今回の少女と、精霊騒動は何か繋がりがあるのではないか──と、ハイゼルは思考を巡らせた。
「もう少し、滞在期間を増やす必要がありそうだな。この街には何か〝秘密〟があるはずだ」
ハイゼルは鳥籠の中から一羽の鳥に手紙を括り付け、夜の空へと飛ばした。
「必ず見つけ出そう。グラーフィン家の名誉に賭けて」
鳥は羽ばたく、漆黒の闇を切り裂くかの如く──。
【続】




