〖第三十五話〗愛に生きる女の過去
女は、神に愛された。
女は、精霊にも愛された。
女は、あらゆる者に愛された。
然し、唯一愛さなかった者がいた。
それは、『自分』だった──────。
「ナターニャ。貴女は神に愛され、精霊に愛された者。いつも笑顔を絶やさず、あらゆる者に優しさを与え、そして世界を憂いなさい。それが貴女の役目なの…ね、分かるでしょう?」
幼き頃。
ナターニャの母親は常にそれを言い続けた。まるで、ナターニャを呪うかのように、繰り返し、繰り返し、自分が死ぬ日までそれを言い続けた。
ナターニャは母の言いつけを守り、全てを愛した。それが例え悪人だとしても、ナターニャは愛した。それが『愛されし者』の運命だと信じて疑わなかったのだ。自分に石を投げつけるいじめっ子や、気色悪いと悪態を吐く者、それらさえナターニャは愛した。
戦で村が死に、母が死に、父が死に、いじめっ子も全員が死んで行った時も、ナターニャは泣くことを許されず、笑顔を絶やす事はなかった。だが、自分でも分かっている。それは『異常』という事に。然し、気付いてもそれを変える事を許されない。
いつからか、ナターニャはそんな自分を嫌った。
腕を斬り裂き、足を傷付け、至る所に傷を付ける。
痛みはあった。その痛みに安堵する事もなかった。
然し、傷は直ぐに消える。
神の愛が、精霊の愛が、ナターニャの傷を許さない。
そして、精霊は『痛み』も奪っていった。
何度身体を傷付けようが、何度崖から落下しようが、痛みを感じる事はなく、傷すら付かない。神と精霊は、ナターニャが痛みに苦悶する表情さえ許さないのだった。
いつしかナターニャは、自分が自分ではなくなるような恐怖を感じるようになる。周囲、全てがお墓になった村から出る決意をし、ナターニャは旅に出る事にした。
そして、ナターニャは出会う。
運命の相手に───。
「ねぇ…なんで泣いてんのさ?」
「───え?」
旅の途中に寄った街を彷徨っていたナターニャに声を掛けて来たのは、褐色肌で、自分よりも背が高く、健康的な身体をした金髪の女性だった。
「私は、泣いてませんよ…?」
「嘘だね。あんたさ、表面だけ繕ったって、その表情の裏ではボロボロに泣いてるじゃない」
「あ、あ、ち、違う…私は泣いてない…泣いては…いけない…」
「話し掛けるつもりはなかったんだけど…流石にそんな顔してたら、無視出来ないよね。私の名前はフィクセス。フィクセス・アンブラウン。旅の剣士さ。あんたは?」
「ナターニャ…アンデルセンです…」
「そっか。それじゃ、取り敢えず呑もっか!」
「…へ?」
強引に連れられた酒場で、二人は意気投合した。これまでナターニャに何があったか、フィクセスがどういう人生を歩んで来たか…。
そしてその夜、気が付けば身体を重ねていた。
同性での行為は、仮にも聖職であるナターニャには許されない行為だったが、初めて自分を受け入れてくれたその人に、いけないと思いつつ、恋をしてしまったのだ。それは、フィクセスも同じで、二人はその夜、激しく愛し合った。
それからの日々は、ナターニャにとって宝石のように輝いて、素晴らしい日々が続いた。二人で冒険をしながら、夜には愛を確かめ合い、許されない行為と知りながら、許されない愛に溺れていった。
だが、そんな日々は直ぐに終わりを告げる。
「フィー…どうして…?」
宿を探し求めて立ち寄った町で、フィクセスは強姦に合って、ボロボロの姿でその命を落とした。犯人は翌日、直ぐに見つかった。
背後から、大振りの刃物で斬り裂かれ絶命したらしく、無残な姿で発見されたのだ。この強姦を殺した犯人は見つからなかったが、そんな事はどうでも良かった。愛した人は、もう…いないのだから。
「許さない…男なんて…」
全てを愛した女は、この日を境に全てを愛する事を辞めた。
「男なんて…全員死ねばいい…」
そう呟いた時、一振りの大鎌が、どこからともなく目の前に現れた。まるでその鎌は『死神の鎌』のように大きい。そして、それを手にした時、妙に手に馴染む事に気がついた。
まるで、昔から使っていたかのように───。
「知らなければ良かった…」
女は呟いた───。
「気付かなければ良かった…」
女は嘆いた───。
そう。村の皆を殺したのは戦ではない。
大鎌を使う、自分だったのだ──────。
今までの事が、まるで走馬灯のように頭の中に流れてくる。
母と父を斬り裂き、いじめっ子達をを斬り裂き、村の人々を次々に斬り裂いていった…まるで、子供が虫を殺して遊ぶかのように、万遍の笑みを浮かべて。
そして、愛する人の命を奪っていったその男も、ナターニャは笑いながら斬り裂いていた。
そう。これも愛なのだ──────
神が女を愛し、精霊が女を愛した結果なのだ。
無意識の内に呪っていた相手達を、神と精霊がナターニャの願いを聞き入れ、今、自分が手に取っている大鎌で、それらを排除したのだ。
そして、ナターニャは気付いたのだ。
この世界を歪めている存在に…。
それは『男』なのだ。
男がいなくなれば、世界は救われる。
「私はもう…ナターニャ・アンデルセンじゃない…。〝ナターニャ・フィクセス〟よ…」
これが、やがて『聖母』と呼ばれ五将入りをした、『愛に生きる女』の物語。
愛故に愛を拒み、愛故に愛を受け入れた女の過去の話である。
【続】




