第8話 私、敗北しました
この世界の栄光と、繁栄の象徴とされるディザルド城。
中央大陸に位置するこの城は、首都レイバーテインの中央に存在する。
純白に包まれているこの城の外観は、名工の手によって仕上げられたもので、今まで一度も陥落したことがなく、汚れを知らぬ乙女のように、今も堂々とそびえ立つ。
その城の一室、グラハンド・ザン・ディザルト十三世が座す『王の間』の扉を、ひとりの近衛兵が叩いた。
「陛下。ランダにいるハイゼル・ルーブェルンより書状が届きました!」
それに反応したのは、玉座の隣に構える側近、この国を国王と共に支えている男、王の右腕、国の脳、レウター・ローディロイ。
一見、ただの執事かと思われる佇まいだが、ローディロイ家は代々王に支える騎士一族であり、頭脳だけでなく剣の腕も一流。鎧を身に付けないのは、相手の攻撃を全て無効化する『ローディロイ流剣術』がある為、身を守る武具は必要無いのだ。
レウターは一度、王に目配せをすると、王は頷きだけで返した。即ち──良し、という了承の合図である。
「入れ」
扉の横にいるふたりの兵士が扉を開くと、目の前に赤い絨毯が敷かれていて、その直線状に玉座があり、その絨毯を列に成して、王直属の屈強な兵士達が王を守護している。
玉座の間に入った兵士は一歩だけ前に進むと、絨毯を踏む事なくその手前で跪き、要件を伝えるために大声を出した。
「失礼致します。ハイゼルより書状が届きました。内容は、〝ランダにて怪しい兆し有り、滞在の延長を申請〟との事ですが……どう致しますでしょうか?」
「怪しい兆し……ですか」
レウターは、眉間にしわを寄せながらボソリと呟きながら、俯きながら瞬時に思考を巡らせる。
ハイゼルが『滞在の許可』を申請した──となると、それだけの事象が発生した事になる。噂の『精霊騒動』と何らかの関係が? というのが必然的な答えだが──ならば、怪しい兆しという言い回しをするのは何故だろうか? と、レウターは疑問に思った。
もう一度、伝令を伝えに来た、奥にいる近衛兵に目を向けて、他になにか記載されていないか、と、確認を取る。
「いえ! それ以上の情報は書かれておりません!」
ハイゼルが出した書状にしては、情報量があまりに少ない。それだけ切羽詰まった事態になっているのか──或いは、情報を開示するだけの情報を得られていないのか。どちらにしても、一度自分の目で確認したいレウターは、手紙をこちらに渡すように促す。
近衛兵は、近くにいた兵士にその手紙を渡すと、その手紙は右へ右へと渡されて、やがてレウターの手に渡った。
レウターは受け取った書状を両手で広げて、伝え漏れている情報はないか──と、探ってみたが、どうやら先ほど近衛兵が言った通りの内容しかない。
「ふむ……、確かにそれ以上の報告は無いですね。陛下、如何がなさいますか?」
レウターから書状を手渡しされた王は、その書状に一通り目を通してから、鋭い眼光で前を向いた。
「ハイゼルは〝精霊王の聖石〟に選ばれた男。とりわけ心配する事も無かろう……だが」
王は少し間を置き、まるで興味を失ったかのように、「レウター、貴様に託す」とだけ言い放った。
「畏まりました、陛下──ハイゼルの次の報告を待つ。いつでも出撃できるように準備を……と、兵士長に伝えて下さい」
レウターは無表情で、奥にいる兵士に告げると、兵士は大声で「ははっ!!」と返す。そして、後ずさりするように玉座を出ていった。
「陛下この件、私が受け持って宜しいでしょうか」
王は沈黙と、僅かな頷きだけで返す。
「感謝します、陛下。では、準備に取り掛かります」
レウターは王の間の奥、王直属の者しか使う事が許されない扉から外に出たあと、扉を閉めて、周りに誰もいないことを確認してから「何やら、面白い事になりそうですね……」と零し、表情を歪ませながら、悪魔のように笑った……。
* * *
ディレザリサとフローラは、なんとか無事に山小屋へ戻る事が出来た──のは良いものの、帰宅するや否や、ディレザリサはベッドに寝転がって手持ちぶたさにしている。
「ディレ、これからどうするの?」
退屈そうな顔で、自分の髪の毛を指に絡めているディレザリサに、ちゃんと耳元まで届くような声量で聞いたのだが、ディレザリサは無反応で、髪の毛を右手の人差し指にグルグル巻き付けては解き──を、繰り返していた。
「ねぇ……聞いてるー?」
「聞いてる……、ちょっと待って」
傍目から見ればやる気を失くして、ただ呆けているようにしか見えない。だが、その実、ディレザリサは考えを巡らせていた。
あの時──ハイゼルは、ディレザリサも知らない『未知なる力』を発動したに違いない。
ディレザリサが死を覚悟するほどの力、を、ハイゼルが解放したというのが正しいだろうか。
何の為にハイゼルはその力を解放したのか──そこが一番の気掛かりである。
ディレザリサは帰宅してからずっとベッドに寝転びながら熟考していたのだが、フローラは、ディレザリサからあまりにもやる気を感じないので、若干、憤りを感じていた。
そんなフローラのことなど構いもせずに、ディレザリサは自分が抱いた懸念に答えを出そうと黙考する。
(私達を探す目的で力を解放した……? あんなに膨大な力を、か? いやいや、そんな馬鹿げた話があるものか。わざわざ人探しにそんな力を使う馬鹿もいない……)
自分より強い相手が現れたから、ハイゼルはあの力を解放した──という他に、考え得る答えは見つからないのだが──それこそ、あの場にいたディレザリサが、その力を感知しないはずがない。
相手を仕留めるのに、わざわざ大きな音を立てながら近ずく暗殺者がいないように、常識的な観念で考えると、そんな馬鹿みたいなことをしたハイゼル・グラーフィンという英雄は、なにより阿呆に思える。
だが、あれほどの英雄譚を持つ者が、そんな愚行に走るとは思えない。
(やはり、私の正体に気づいたか……?)
しかし、それもおかしい話ではある。ディレザリサは、竜の身体に戻りたくても戻れないからだ。
何度か竜の姿になろうと試みてはみたが、人間の身体の構造上、竜の姿に変わるような身体の構造はしていない。
その理由が魔力の不足によるのだとするなら、竜の身体に戻れるほどの膨大な魔力を、この身体が耐えられるはずもない。
元来、竜は『擬態魔法』を使うことができない──それは『擬態して相手をやり過ごす』ことや、『擬態して背後を取り、攻撃する』ような真似をせずとも、全てを焼き尽くす炎の咆哮があるため、姑息な手段は不要なのだ──ゆえに、人間の姿になったり、竜の姿に戻ったりという考え自体がない。
しかし、この世界でのディレザリサは『竜』ではなく『人間』という立場であり、それを逆手に取って『人間ディレザリサなら竜の姿に擬態出来るのではないか』という考え方に行き着き、実際に試してみたのだが、それも失敗に終わっている。
(つまり、私の正体に気づいたわけではない……。とするなら、私の思い違いではあるけど、奴の力に気圧された私の敗北、か……)
ここまで数多の選択肢が存在したが、その全ての選択を誤った。引き際、立ち回り、そして考え方を誤った。だが、一番の敗因は、自分が死の恐怖に怯えたことだろう。
それゆえの、敗北──。
まさか自分が敗北するとは思っていなかっただけに、頭の中をモヤモヤとした『なにか』がグルグルと駆け巡り、心臓をギュッと握り締めるような苦しさが襲う。
「ディレー? そろそろ夕飯にし……」
フローラが初めて見た竜の泣く姿は、まるで少女が悲しみを堪えきれなくて咽び泣いている姿だった。嗚咽こそ出ていないが、きっと我慢しているのだろう──じっと蹲り、瞳からポロリ、ポロリと涙が落ち、枕を濡らしている。
「ディレ……泣いてるの……?」
「へ? あ、あれ……?」
ディレザリサは驚きながら溢れてくる涙を裾で拭いているが、それでも止まらない涙に、どう対応したらいいのかわからない。
「ど、どうして……止まらない、の……? ふろーらぁ……どうすれば止まる……?」
「ディレッ!!」
何が起きているのか分からなくて狼狽えているディレザリサの元へ走り、勢いよく抱き締めた。
「さ、触るなぁ……」
「バカ。そんなに泣くまで自分を責めてたの……?」
「ち、違う……これは、違う……」
フローラの言葉を否定しようとすると、更に涙が溢れてくる。
「何なのこれ……? ああもう……くっ付くなフローラ……ッ!!」
「ごめんねディレ……ごめん」
「うぐぅ……」
ディレザリサはこの時、初めて『人の温もり』を感じていた。
温かくて、優しい──人間という種族が、魔力無しで使える最強の治癒魔法。
相手を包み込み、髪を撫で、言葉をかけるだけの簡単な行為が、こんなにも嬉しくて、こんなにも辛い……。
やがて二人でわんわんと泣き、いつの間にか力尽きて眠ってしまった。
* * *
微睡みの空間。懐かしく、戻れない日々───
まだ邪竜が邪竜であり、その力を振るって、世界を我が物顔で蹂躙していた頃の夢。
宿敵である白銀と、初めて相対した日の出来事──。
当時の白銀の騎士は、あまりにも弱かった。
ディレザリサからすれば最後まで弱かったのだが、力の弱さではなく、心が弱かったのだ。
「邪竜……ディレ、ザリサ……ッ!!」
白銀の騎士は、焼け付いた大地に倒れていた。
満身創痍、絶体絶命、疲労困憊……三拍子揃い、もう立ち上がる事すら出来ない。
自分がいた部隊は、ディレザリサにより呆気なく壊滅し、自分も──もう、虫の息だ。
まだ、辛うじて剣を握る力が残っていたのが不幸中の幸い。
これで、仲間達の元へ行ける──と、剣を身体に突き立てようとした時だった。
空を見上げると、そこに、絶対的な恐怖がいた──。
自ら命を絶とうとする白銀の事を、上からじっと見つめている恐怖の存在は、まるで奇妙な光景を見るように首を傾げていた。
「貴様、何をしている?」
「……」
答えられるはずがなかった。恐怖で──声が出なかったのだ。
「自ら死を選ぶか? 愚かな人間よ」
「だ、黙れ……」
「死というのは、自害しようが、私に焼き尽くされようが結果は変わらぬ。だが、貴様は私に立ち向かう事なく、死を選ぶというのか? ……つまらぬ男だ」
「黙れ……、黙れ黙れ黙れえええええッ!!」
白銀の騎士……この時はまだ精霊の加護も、白銀の鎧も、聖剣も持っていない、ただの捨て駒の兵士。それを白銀も自覚していて、戦う前から負けを認めていたのだ。
こんな化け物に、勝てるはずがない──と。
「なんだ、話せるのではないか。だったら私を殺せるほど強くなって私の元へ来い。その時、私はそれ以上の力を持って貴様を殺してやろう」
「なんだと……俺を見逃すのか!?」
「見逃す? 違うな。貴様の死が先延ばしになっただけだ。哀れな人間よ。自ら死を選ぶくらいなら、せめて、少しは私を楽しませてから死んでくれないか? これでは張り合いというものがない」
そして、邪竜はまた天高く飛び立つ。
「生き、延びた……?」
だが、喜びなど微塵も感じなかった。
人類の天敵である相手に情けをかけられ、さらには、自ら死ぬ事も許されなかった。
「俺は……俺はあぁぁッ!!」
これは、負け犬の遠吠えに過ぎない。だが、それでも叫ばずにはいられなかった。
「必ず……、お前を殺しに行くぞおおおぉぉぉッ!!」
両の目から涙を流し、飛び去ろうとする邪竜ディレザリサに剣を向け、高らかに咆哮した。
「楽しみにしているぞ。弱き者よ……」
これは、邪竜の気紛れだったのか、それとも悪戯だったのかは分からない。
もしかすると、この男はもっと強くなると思って慈悲を掛けたのかもしれない。
屈辱に塗れ、顔を歪ませる人間を見たかっただけなのかもしれない──ただ、邪竜はその咆哮を聞いた時、思った。
──面白い、と。
* * *
目が覚めたディレザリサは、今しがた見た夢の意味について考えていた。あの時、白銀は今の自分のように、悔しさを噛み潰していたのだろうか──だが、今のディレザリサにはその答えが明確にわかった。
自分が初めて敗北したことで、ようやっとその答えを導くことができたのだ。
(結局、貴様は私を殺せなかったな。白銀……)
白銀の最期はどうだっただろうか?
必ず殺すと誓った相手に殺され、悔しかっただろうか?
ただ、あの時の白銀の顔は、笑っていたような気がする。
人間が邪竜の気持ちを理解できないように、邪竜も人間の気持ちを理解出来ない。しかし、今、自分が人間になったことで、少しだけ──あの時の白銀がなにを思ったのか、理解出来そうだった。
(ならば、私は……)
今日は、やけに月の光が眩しい夜だった──。
【続】