偽名のリスク
「わかれば宜しいです」
日向も座ると、楽しそうに傍観していた金井が口を開く。
「こっちの話は終わったけど、彩香の方の進捗はどう?」
俺達の口論には一切触れずに聞く。
日向は腕組みしてうーんと悩んだ声をあげる。進展はしていないようだな。
「インスタやブログ、コミュニティには漢字平仮名カタカナアルファベットでの登録はないですね。どこかしらには本名での登録があると踏んでいたので、当てが外れたです。そうなるとあだ名での登録と言うことになるですが……厄介ですね」
厄介と言ったが、先程までの楽しんだ顔ではなく、苦々しく唇を尖らせる。
「あだ名だと厄介なのか?」
「厄介です。名前をもじったあだ名だけでも膨大な数あるですし、もじっていないあだ名を含めたら調べることなど不可能なほどの数があるですから」
確かにそうだな。火乃も真夜姉様や真夜ぴょんなんてあだ名から、赤眼赤髪の魔女なんて誰が思い付くんだと言うものまであるしな。
「今回のケースなら偽名の可能性はまず無いですから、小さなコミュニティまで含めれば見つけられると思っていたですが……さて、どうしようです」
日向の言葉に金井もそうですねと頷く。
「……なあ、偽名の可能性はどうしてないんだ?」
学校を偽っている可能性があるやつだ、名前くらい嘘をついていてもおかしくはない筈だ。
「大人の浮気。それもお金目当ての詐欺紛いの浮気ならば偽名を使うのが大半です。名前から足がつくですからね。ただ高校生程度の若造が偽名を使う事はまずないです。リスクしかないですから」
「リスク?」
「街でばったり友人に会うと言うリスクです。大人の世界に比べ、子供の世界なんか狭いです。特にこんな地方の町の子供の世界なんか猫の額ほどの狭さです。遊び場所なんか駅そばの数区画くらいのものですよ。いつどこで友人、同級生に会うか分からないです」
「友人が本名をばらすって事か?」
いまいちピント来なかった。
「意図的にばらすのではなく、当たり前の会話からばれてしまうのです。例えば水澤くんが西根優人と偽名を名乗っていたとするです。そして佐久間先輩と一緒に歩いていたとき偶然にも中学時代の友人に会ったとします」
頭の中で情景を描いてみる。
「すると、友人が話しかけてきます。あれっ、水澤じゃん。久しぶりじゃね。かれこれ百年ぶりくらいじゃね? って、俺達は何歳だって話だよ。ははは。ってなんだよ、めっちゃいい女つれてるじゃんか。お前のこれか? これか?」
小指を立てて彼女なのかと、俺の友達を装い言ってくる。
まあ、日向の言いたいことは分かった。
呼び方からばれると言うことだろう。しかし俺は分かったと伝える前に、言わなければならない事があった。
「俺の友達にそんなチャラくていたいやつはいねえよ」
「失礼したです。じゃあ訂正して……あれっ、攻君だよね? えっ、嘘。誰その男は……僕と言うものがありながら別な男に走るなんて最低だよ!」
「最低はお前だよ!」
さっきの日向の倍以上の音を奏でながら俺は立ち上がる。勢いが良すぎたせいで椅子が倒れるが俺は気にせず続ける。
「佐久間先輩とのデートの設定はどこに行った。登場人物全員男じゃねえか!」
「失礼。疲れたので、心のエネルギー補給のためムフフな設定にさせていただきました。因みに水澤くんは攻め役にしました」
満足げな笑みで言い切る。
「その後は、雨の中追いかけて、路地裏で壁に押し当て、友達だよ。俺が愛しているのはお前……受だけだ……と、続くのね」
そう続きをのべた金井にザッツライトと日向が答える。
「間違っているからな。展開から、お前らの花畑の脳みそも間違っているからな」
「……うん」
俺の否定の言葉に月城も弱々しくではあるが続く。相変わらず金井には強く反論しないようだ。俺に向けた牙を出せよ。
「おい。日向。とりあえずその顔やめろ。想像するのをやめてくれ」
日向は口を半開きにし、うふふと恍惚の笑みを浮かべている。何かを想像しているのが丸分かりの顔で、今にも涎を垂らしそうだった。
「とっ、失礼」
袖で涎をぬぐう。実際に垂らしやがったよ。
「冷静沈着、眉目秀麗が売りの私としたことが、涎とは。お見苦しいところを見せてしまったです」
「自分が見えていないにもほどがあるだろ」
お前の店にはそんな売り物なんかないよ。
「時に水澤くん。リスクの話は理解できたですか?」
俺の言葉には一切触れずに会話を強引に本線に戻した。
「えっ、あっ……ああ」
つまりは、本名を呼ばれれば偽名を使っていることが直ぐにばれてしまう。偽名を使う理由などない以上言い逃れは出来ないだろう。
「だけどさ、偽名を使ってなく、なおかつ本名での登録もないんだろ? どうやって情報を集めるんだ?」
また脱線しないよう、俺は話を更に本線に乗せる。
「方法だけならいくつもあるですよ。ネットに潜って、然り気無く西根優人って知っている? と、聞いても良いですし、うちの学校の生徒に同じ中学にいなかったか聞くのもありです」
俺がなるほどと思っていると、日向はただと続けた。
「それをすると本人に探していることがばれる恐れがあるですし、出来れば最終手段にしたいですね。学校内で広まることも佐久間先輩は望んでないでしょうから、校内で聞くのだとしても信頼のおけるうちのクラスくらいにしておきたいです」
「なるほどな」
今度ははっきりと口にし、俺も何か手はないかと腕組み考える。
名前から高校名を導き出す方法を必死に考え、思い付いたことを言ってみる。
「中学の時バレー部って言ってたから、うちの学校のバレー部のやつに見た事ないか聞いてみたらどうだ?」
「それは男子バレー部と言うことですか?」
日向がすぐさま聞き返してくる。
「そうだけど」
「却下です。うちの学校には男子バレー部がないので聞けないです」
ここは女子が九割の学校だったことを思い出す。
「じゃあお前らの中学の時の友達とかはどうだ? 男子バレー部だった友達くらい一人はいるだろ」
質問をすると部室に変な空気が流れた。
「……」
「……」
「……」
そして俺の質問に誰も答えを返しては来なかった。
なんだこの空気と思いながらそれぞれの顔を見る。
すると代表したかのように金井が口を開いた。
「誰も中学校時代に友達と呼べる人間がいなかったので……その方法をとるのは無理ですね」
金井は気にしていないのか一切表情を崩さずに柔和な笑みを浮かべていたが、日向と月城は露骨に表情を暗くしていた。
「悪い……」
少し俯き謝罪の言葉を述べる。罪悪感と切なさで胸が苦しくなった。
「……謝らないでください。友達がいなかったのではなく、作らなかっただけですから。勉学に本を読むことに忙しく、作る時間がなかっただけです」
日向の言葉が更に俺の胸を締め付けた。
それって友達が出来なかった人の言い訳だよ。
「けど、中学校時代に男子バレー部のマネージャーだった生徒を探すのはありかもしれませんね」
俺がなんとか話を友達の話題からそらそうと考えていると金井が口を開いた。ナイスタイミングだ。
「月城さんほどではありませんが、西根さんも美しい顔立ちですから、どこの中学なのか、知っている方もいるかもしれません」
美しいと言われ月城の顔が嬉しげに紅葉する。この流れの会話に続こうと思い俺も口を開く。
「そうそう。それに選抜に選ばれるくらい上手いやつならきっと知って……あっ」
話をしていて俺はあることに気づき声を上げた。
「……どうしたですか?」
目を見開き固まる俺に日向が怪訝そうな目を向けてくる。




