ep31 夜鳴屋と獣王ライアン
獣王国の首都、その裏通り。
日が落ちると、細い路地の奥に、一軒の屋台が灯りをともす。
看板には墨で「魚魚魚」
魚3つでウォーズと読むらしい。
じゅうじゅうと焼ける魚の香りに誘われて、猫獣人たちが無言で長い列を作っていた。
だが、この屋台は表の顔にすぎない。
奥の階段を降りた先が、獣王国の闇を牛耳る裏組織、夜鳴屋の本拠地だった。
「偽造硬貨の流通は、どうなった」
地下の広間、奥の椅子で、痩身の黒豹獣人が煙管をくゆらせた。
頭目のバラン。
片眼鏡の奥に冷たい光を宿し、奴隷、詐欺、恐喝、密輸と、金になることは何でも請け負う男だ。
「アルトバイエルの国境市場に、三百枚。全て問題なく受け取られました」
答えたのは、副頭目で狼獣人のガルムだ。
「ゴーマン前国王の時代に築いた『お付き合い』が、国境の役人の間に、まだ生きております」
「ほう。あの男の置き土産か」
前国王ゴーマンは、かつての夜鳴屋の上客だった。
関税の免除と密貿易の黙認と引き換えに、珍しい品を貢いでいた男だ。
今は城の馬小屋番に降格され、「馬は裏切らん」が口癖の、幸せな毎日だと聞く。
「……使えんな。だが顔は広い。接触しておけ」
「かしこまりました」
「す、すべて、計画通りだ」
ガルムは、心の中で数えた。
失敗しても言う口癖だが、今回は本当に計画通りなので、少しだけ感動していた。
続いて、鼠獣人の少年チュウ吉が、麻袋を広げた。
シャウエッセルのダンジョンを五階層まで踏破した戦利品。
入場料は偽造硬貨で払い、後日の全額返金では、本物の金貨をきっちり返してもらったという。
「偽物で払って、本物で返金された、か。……す、すべて、計画通りだ」
(二回目だ。返金されるなど誰が思うのだ?)
バランは、壁の地図の前に立った。
「アルトバイエルとシャウエッセルは、何百年も争ってきた。我々は、その火に油を注ぐ。両国に取り入って情報を高く売り、密売品と武器を流す」
「戦わせるのですね」
「そうだ。ただし、流しているのは我々ではない。全ては獣王ライアンの仕業に見せる。武器の刻印は獣王家の工房のもの、木箱には王家の紋章、偽造硬貨も王家の造幣所から出たことにする。両国が疲れ果て、獣王を憎んだところで、我々がその首を差し出して和平を結び、英雄として玉座に就く」
「さすが頭目……!」
その時、一人の部下が、遠慮がちに手を挙げた。
「あの、シャウエッセルのギルドの受付が、アルトバイエル出身の人間だったんですが。二国は、本当に争っているのでしょうか」
広間が、しんと静まる。バランは片眼鏡を押し上げ、ゆっくり口を開いた。
「……人質だ。魔王とは、そういう男だ」
(会った事ないけど)
「なるほど!」
ガルムだけが、目を伏せた。(違う気がする)。だが、言わなかった。
バランが羊皮紙を取り上げる。
獣王ライアン名義の、両国への偽の宣戦布告文だ。最後の一文に、目が止まった。
――以上をもちまして、貴国に宣戦を布告いたします。何卒、よろしくお願い致します。
「ガルム。宣戦布告で『よろしくお願い致します』は、ありえん」
「す、すみません、つい丁寧に……!」
「だが、逆に敬語が怖いな。採用だ」
採用された。
「それから、獣王が魔王へ使者を送ったという情報がある。若い娘だとしか分からん。引き続き調べろ」
その時、屋台番が駆け込んできた。
「頭目! 客が暴動寸前です! 猫のおばさんたちが、静かに、すごい圧で!」
「ガルム、焼き台に戻れ」
「はいっ!」
傷だらけの副頭目が、階段を全力で駆け上がっていく。
「見ていろ、魔王ガノンザーク。獣王ライアン。新国王セレナ。すべては、計画通りだ」
「頭目ーっ! 魚が、焦げてますーっ!」
夜鳴屋の夜は、今日も更けていく。
時は遡り
その日の昼。シャウエッセルの湖畔。
ザークは、港の建設予定地に、セレナと並んで立っていた。ミーナの歓迎の宴は夜だが、港の話を早く詰めたいと、セレナが昼前に訪ねてきてくれたのだ。
「漁をして港を作る話、喜んでお引き受けします。漁師たちも喜ぶと思います」
「助かる。コストも下がるし、お互いに損はないはずだ」
「ただ、ひとつだけ、お願いがあるのですが」
セレナが、少し言いにくそうに切り出した。
「サメの捕獲だけ、頼めませんか? 最近、漁師から、サメが大量に増えて、思うように漁ができないと聞いていまして」
「サメ?」
「はい。アルトバイエルの漁師には、サメを捕える術がありません。一匹ならともかく、あの数では。鮮度が大事ですが、身も美味で、ヒレの部分は高級食材なんです」
(フカヒレだ!)
こっちでも高級なのか。前世では、一度も食べたことがなかった。フカヒレもどきの春雨は食べたが、本物とは違うのだろう。
だが、ふと疑問が湧いた。
(湖の秩序を保っているクラちゃんは、何をやっているんだ?)
「セレナ、少し待っていてくれ」
ザークは額に指をあて、湖の魔力を探った。
クラちゃんの気配が、ある。
瞬間移動。
「ん?」
着いた先は、湖にかかる橋の中腹だった。
「行くよー!」
ガレオンが、おやつのウインナーを、湖面へ放り投げているところだった。
水面が盛り上がり、触腕が、ぱくりとそれを受け止める。
クラちゃんだ。
ずいぶん懐いている。
ザークは、AIに尋ねた。
(クラちゃんが秩序を保つとは、具体的にどういうことなんだ)
《――おそらく、生態系を指すと思います》
(具体的に?)
《――クラちゃんが餌として捕食することで、ある一種だけが増殖するのを抑制している、ということです》
(具体的に?)
《――サメですね。クラちゃんの大きさでは、小さい魚は主食になりえません。サメが主食だったと考えるのが自然です》
(小さい魚は食べないのに、ウインナーは食べるんだな……)
ザークは、ゆっくりと振り返り、ガレオンの手元を見た。
「……ウインナーを与えているから、サメを食べなくなって、サメが増えたんだな」
湖面に、サメが一匹、ひれを出して泳いでいる。
ザークは、そこへ飛んだ。
ボカン。
サメが、白目をむいて浮かんだ。
(水上なら、怖くないな)
魔力で気絶したサメを、クラちゃんの前まで運ぶ。
「食べるか?」
クラちゃんは、プイ、と向こうを向いた。
「…………」
今まで主食にしていたのに、人工物のウインナーを覚えたせいで、見向きもしない。
「何てこった」
(小さい頃飼っていたワンコも食卓で人間の食べ物を与えてからドッグフードに見向きもしなくなったな。あれと一緒だ…)
《――原因判明ですね》
「ザーク様、何の遊び? 僕もー!」
ガレオンが服を脱ぎ捨て笑顔で湖に飛び込んだ。
ボカン、ボカン、ボカン。
水中から、サメが数十匹、次々に吹っ飛んでくる。
「ザーク様ー! 水中、サメだらけー!」
「ガレオン!服着ような。身のやり場に困る。」
「だって水着ないからー」
「無邪気は罪だ。」
クラちゃんも、楽しそうに触腕で、ボカン、ボカンとサメを吹っ飛ばしている。
殴るのは好きらしい。
「大量だな。調査は、これで終わりだ」
サメが絶滅しないようにと価格の問題もあるのでクラちゃんにサメは1日10匹までと約束。
言葉は交わせないが多分伝わったはず。
気絶した一匹をマジックバッグに入れ、ザークは、セレナのもとへ瞬間移動した。
「お待たせした。原因は、俺のせいだった」
事情を話すと、セレナは、お腹を抱えて笑った。
「それなら、回収は私にお任せください。漁師たちを総動員して、あとで運び出します」
「頼む。これで、港の件も、サメの件も、片付いたな」
「はい。夜の宴が、楽しみです」
夕刻。魔王城の厨房は、戦場のような忙しさだった。
「キャロット、さっきの獲れたサメだ。これを料理してもらえるか」
「サメですか!? お任せください! ええと……ざくざくサメフライに、こんがりサメの網焼き、それから、とろとろフカヒレのうま煮にします。」
「全部、擬音だな」
「擬音は、おいしさの共通言語です!」
否定しにくかった。
その横で、リリアは三本目の眼鏡を磨いていた。
今夜は一本で足りると言うが、足りる気はしなかった。
やがて、淡い緑のドレスに着替えたミーナが、緊張した面持ちで入ってきた。栗色の髪にも、ふわふわの尻尾にも、おそろいの細いリボンが結ばれている。
(……可愛い)
《――ザーク、五秒経過》
「ようこそ、ミーナ。堅くならなくていい」
広間の奥から、セレナが、手を振った。胸の名札は「こくおう」。
「アルトバイエル国王の、セレナです」
「ええええ!? 人間領の国王陛下が、魔王様の宴に!?」
「先日は、ウインナーを半分こしましたしね。違うウインナーもいただきましたが」
(セレナさんまさかの下ネタ)
「半分こ……!?違う!?」
ミーナの耳が、ぴーんと直立した。
「なな何でもないんだ。さあ楽しんでくれ。」
乾杯のあと、運ばれてきたサメ料理を一口食べて、ミーナは目を潤ませた。
「おいしい……! うちの国では、新鮮な魚は高級品で。アルトバイエルの魚が入ってくるようになって、国中が大騒ぎなんです」
「猛獣の森を迂回しなくて良くなったからな。」
「それなら、ちょうどいい。シャウエッセルに港を作って、アルトバイエルの漁師から直接買い付けることになった」
「あの、その取引に、獣王国も混ぜてください!」
ミーナが、がたんと席を立った。
尻尾が、ぶんぶん揺れている。
ザークとセレナは顔を見合わせて笑った。三国での取引、悪くない。
そして、ザークの前に運ばれてきたのは、とろりと艶めく、フカヒレのうま煮だった。
箸を入れただけでほぐれるヒレ。
透き通った一本一本の繊維。
トロッとした黄金色のスープに見事に絡まる。
一口食べる。
とろりとした食感、深い旨味。
前世で食べ損ねた味が、舌の上でほどけていく。
「……うまい。春雨と全然違う…」
「キャロット!おかわり!」
「はーい」
念願の一皿だった。
宴の中盤、ザークは、リリア、セレナ、ゴルドリックを隅に呼び、懐から偽造硬貨を取り出した。
ゴルドリックが片眼鏡で覗き込む。
「刻印が、ほんの少しずれておりますな。重さも微妙に違う。……前国王の時代に、国境の役人が、やけに羽振りが良くなった時期がありました」
「調べておきます」
セレナが静かに頷き、四人は、小さく視線を交わした。
宴も終盤、ザークは、杯を片手に尋ねた。
「ミーナ。獣王陛下は、どんな方なんだ」
「一言でいうと、とても大きな、猫のような方です」
ミーナは、ふふっと笑った。
「獅子の獣人で、見た目は迫力満点なのに、中身は優しくて涙もろくて。国民が笑っているだけで泣いちゃうんです。それから、字がすごく下手で」
「字が?」
「手紙が大の苦手で、いつも一行『頼む!』と書いておしまいにするんです。
側近の方が丁寧な文章に直すと、『こんな堅苦しいの、わしの言葉じゃない』と、ぶつぶつ言うんですよ」
リリアが、ぷっと吹き出した。
「それから、お忍びが大好きで。夜な夜な城を抜け出して、裏通りの焼き魚の屋台に通っているんです。変装していても、耳と尻尾が隠れていなくて、みんなにバレているのに、本人は『わしの正体には気づいていないはずだ』と信じているんですよ」
「可愛い王様だな」
「はい! わたし、そんな陛下が大好きで……あ」
ミーナは、はっと口をつぐんだ。
「小さい頃から、お城で、ずっとそばで見てきたので……」
「ミーナ様は、ずいぶん獣王陛下と親しいのですね」
リリアの目が、すっと細くなる。
「ぶ、部下ですから! 使者ですから!」
尻尾が、ぼん、と大きく膨らんだ。
《――ザーク、ミーナ様は、ただの使者ではない可能性が高いです》
(だろうな。名札に肉球しか書いていないしな)
ザークは、あえて何も言わなかった。いつか、彼女の口から聞けばいい。
「会える日が、楽しみだ」
「は、はい……!」
宴が終わり、ザークは、ひとりバルコニーに出た。
夜風が頬を撫で、ヴルストブルグの灯りが静かに揺れている。
「涙もろくて、字が下手で、屋台の常連、か」
《――ザーク、そのような方が、偽造や密売を企むとは思えません。誰かが、獣王の名を借りている可能性があります》
「ああ。夜鳴屋の狙い突き止めないとな」
ザークは、懐の硬貨を握りしめた。
そのころ、獣王国の裏通り。
「魚魚魚」の屋台の前に、フードの下から獅子の耳をはみ出させた大男が、無言で順番を待っていた。
「いらっしゃい、旦那」
焼き台の前で、バランがにこやかに会釈をする。
「うむ。いつもの、頼む」
「へい。今日も、いい魚が入ってますよ」
焼きたてのカッツォを受け取り、獣王ライアンは、ふうふうと息を吹きかけて、かぶりついた。
「……うまい。うまいのう」
ぽろり、と涙がこぼれる。
だが、その胸の内は、穏やかではなかった。
(夜鳴屋の実態が、まだ掴めん。一体、どこにおるのだ)
近ごろ、国の裏側で、妙な動きが続いている。
密売、偽造、行方の知れない者たち。
その背後にいる組織の名は、夜鳴屋。
名前だけは耳に入るのに、尻尾すら掴めない。
獣人だけに…
(ミーナを偵察の任務に出したのだが……無事だろうか)
目の前の屋台の親父は、そんなことは知らない様子で、のんびりと魚をひっくり返している。
気のいい男だ。
獣王である身分も内密に客として扱ってくれる。
ここへ通い始めて、もう長い。
愚痴も、世間話も、この男にだけは、つい漏らしてしまう。
「旦那、今日は元気がないですね。お疲れですか」
「うむ。城の仕事が、立て込んでおってな」
「大変ですなあ」
「そうなのだ。来月には、武器工房の刻印の型を、新しく作り直すことになってな。王家の紋章入りの木箱も、新調せねばならん。造幣所の印は、鍵のかかった棚にしまっておるのだが、鍵が重くてな。いつも、城の廊下の植木鉢の下に、隠しておるのだ」
「へええ。植木鉢の下ですか」
「うむ。我ながら、うまい隠し場所だと思っておる」
「それは、さすがは旦那だ。誰も気づきませんや」
バランは、焼き台の魚を、ゆっくりとひっくり返した。
片眼鏡の奥で、冷たい光が、ほんの一瞬だけ、きらりと瞬く。
(……計画通りだ。バカが)
それを知る由もなく、ライアンは、焼きたての魚をもうひと口かじって、また、ぽろぽろと涙をこぼした。
「うまい……。この魚があるから、わしは、まだ頑張れる」
「へい。いつでもお待ちしてますよ、旦那」
獣王は、満足そうに頷いた。
そして、目の前の屋台の親父こそが、探している夜鳴屋の頭目であることには、最後まで、微塵も気づかなかった。




