第5話 誤解の尾ひれ背びれ
予定通り夕方頃に外回りから帰社すると、デスクに辿り着く前に雉村がいそいそと駆け寄ってくる。
なんだなんだ緊急事態かと警戒していると、彼女はにこにこと人好きのする笑みを浮かべながらスマホの画面を見せてきた。
「やよいせーんぱい! 今日一緒にマッサージ行きません?」
「マッサージ?」
彼女がスマホの画面を指差して「これこれ」と見せてきたのは、とあるマッサージ店のページだった。
「あたしここの常連なんですけど、いま無料モニターの募集してるから先輩どうかなって。ちなみにあたしは普通に今日予約してるから案内もできまーす」
そう言う彼女にあれこれ聞いてみると、どうやらそこは女性専用のマッサージ店らしい。
お店の人も女性のみ、お客側も女性のみ。一人一人個室での対応となるので、簡易的にカーテンで仕切られているお店のような不安もない。
そして終わりの時間はたぶん合わないから帰りはそのまま解散でと言われ、今日は同期会も行かないし他に予定もないし、まぁそれならいいかなとわたしは彼女の提案に乗ることにした。
「じゃあ行ってみようかな。身体バキバキだし」
「よしきた。じゃあ行けるって連絡入れときますね」
そんな会話の最中、少し離れた場所から小さく黄色い歓声が上がる。
なんだろうと思い振り返ると、そこには昼に別れた吉備が顔を出していた。
「先輩お元気でしたかぁ♡」
「ずっと日本に居られないからあたし達すっごく寂しかったですぅ♡」
「今日はどうされたんですかぁ♡」
距離的にはっきりとは聞き取れないけれど、おそらく吉備推しの子達が口々にそんなことを言っているのだと思う。
女性社員に囲まれてきゃいきゃいと言われている姿はなんだか久々に見た。
ただぼちぼち長い付き合いの中で、彼は女遊びをするようなタイプではないと知っているから、新婦の従姉妹からの目で見ても特に不安はない。
「わぁー相変わらずモテモテみたいですね」
「そうだねぇ」
本人はたぶん何食わぬ顔でしれっと上手く躱したのだろう。
フロアには軽やかな笑い声があちらこちらからじんわりと響いている。
小鳥のようにさえずる彼女達は、側から見ていてただただ可愛いらしいと思う。
わたしもあんなふうにできたら、もうちょっと違ってたのかな、だなんて。そんなありもしないことを思ってしまうくらいには微笑ましい光景だった。
ただ、結婚することを伝えたであろう瞬間に息を呑みような音がフロアのあちらこちらから聞こえ、彼の人気が全く衰えていないことを改めて目の当たりにした。
けれどわたしのデスクの周辺には雉村以外は男性ばかりなので、もしかしたらショックを受けている人ばかりではなく、吉備を取り囲んでいる中に意中の人が居るようなポジティブな場合もあるのかもしれない。
そんななかで吉備がわたしの姿を見付けたようで、手を振りながら近付いてきた。
「先輩、確か吉備さんって同期でしたよね? 仲良いんですか?」
「仲……は別に悪くないとは思うけど。まぁなんて言うか、ただの同期ではないというか」
だって彼はもうすぐわたしの義理の従兄弟になるのだから。
でもそういうことを勝手に風聴するのは良くないよなぁと言葉を濁すと、雉村はうーんと唸りながら腕を組んだ。
「あたしはなんて言うか綺麗系が好きなのでちょっと分かんないんですけど、大半の方はああいう感じが好きなんですかね? 人当たりが良くて、顔が良くて、背も高くて、出世株みたいな。夜宵先輩ああいう感じの人ってどうです?」
「どうって……考えたこともないなぁ。でも凄くモテるんだろうね」
「あー、ですよねー。えっと……今日連れて行きますっと、はい送信」
雉村は、よし、と小さく呟くとそのままポケットにスマホをしまった。
──あれ、さっきからずっとスマホを弄ってたからもうとっくにお店に連絡したのかと思っていた。
普段はかなり打つの早い為、まぁ他の用事も済ませてたのかなと思っていると、気が付けば吉備がすぐ側までやって来ていた。
「おっす。悪いけど今日の同期会のことで、いまちょっといい? ──昼に話してた件なんだけどさ」
申し訳なさそうに声を落としてそう言ってくる彼に、ぎょっとする。
「ちょ、っと待ってあの件はちょっと!」
流石にここではやめてくれと慌てて彼を廊下に引っ張り出す。
早歩きで給湯室まで連れて行き、小声で吉備に詰め寄った。
「ねぇちょっと勘弁してよ! ここ! 会社!」
別フロアとはいえ戌丸だって居るのに!
人気者だって自覚はないのかと憤っていると、彼はパンっと手を合わせて頭を下げた。
「悪い! でも早く伝えなきゃって思ってさ」
いやいやいやいや、だとしても!
悪気がないのが分かっているから余計にタチが悪い。
けれどわたしの為にわざわざなにか言いに来てくれたことは分かったので、一旦深呼吸してから改めて聞いてみることにした。
「……んで、ぺいたろうさんはそんなに慌てて一体なんの急ぎのご用事だったのかなぁ」
「ぺいたろう言うなって。いやさ、さっき経理部に行って改めて戌丸のこと同期会に誘ってみたんだよ」
「……うん」
「そしたら今日はものすごく大切な予定が入りそうだから来れないって。なんか珍しくちょっと、浮かれた感じで言われた。あと、今後もたぶん来る予定ないって」
改めてその答えを聞いて、わたしは頭から水を浴びせられたような気分だった。
あー、そっか。そりゃそうだよね。そういうこともあり得る話だよね。
いや大切な予定といってもいろいろな種類があるとは思うんだけど、浮かれてるとか聞いちゃうとなんかもう、ねぇ。
「……悪い! やっちゃんからも頼まれてるしなんとかアシストしたかったんだけど」
「あー……いや。そういうことならどうしようもないでしょ。わざわざありがとね」
あー、やばい。ちょっと泣きそう。
だって浮かれるような大切な予定って、大切な予定ってさぁ。
唇を噛み締めてぐっと堪える。
ちょっともう悪い想像しかできなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで。
でもいつまでもこうしてる訳にもいかないので、わたしは震えそうになる唇を抑えながら無理矢理口角を上げた。
「……ごめん気使わせちゃって。でも大丈夫だからさ、夜凪にもなんか上手いこと言っておいてよ」
気まずそうに頷く吉備を見届けてから、ゆっくりと深く深呼吸をする。
──うん、大丈夫。
しばらく引き摺るだろうけど、そんなにはっきりとさ、ものすごく大切な予定なんて言われちゃったらね。
もう、諦めた方が良いのかなってやっぱり思っちゃうな。
「ごめん、そろそろわたし戻るわ」
給湯室から出ようとして丁度歩いて来た女性社員にぶつかりかける。
あ、この人確か経理部の。
いや、いまはそんなことちょっとかまってられない。
俯きがちに「すみません」と謝り、足早にそこから離れる。
トイレに寄って化粧が崩れていないか確認してから、また深呼吸をひとつ。
それから自分のデスクに向かいながら、今日は涙の失恋記念日じゃ〜い! と自身を鼓舞し、せめて身体だけでも癒してもらおうと、なんなら無料モニターで済ませず、高いコースをお願いしたって許されるはず。
そんな思いを支えに定時まで普段通りに過ごしたのだった。
そんなわたしは、吉備とあだ名で呼び合うような仲だという噂が出回っていることも、さらに尾ヒレがついてわたしが泥沼二股の末にこっ酷く振られて会社で泣かされたというとんでもないデタラメな噂が夕方までに社内中に広まってしまうことを、そのときはまだ知る由もないのだった。




