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魏帝国崩壊の序曲:曹宇後見体制構想の挫折と権力構造の変遷  作者: えいの
第二章 帝権の黄昏と絶望の防衛線――明帝・曹叡の曹宇後見構想

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第一節 能力主義の破綻と血統主義への回帰(後編)

※前編からの続きとなります。

 曹宇が過去にいかなる軍事的実績も挙げていないという事実は、この「血統による防衛」という極限の文脈においては、全く欠点とはならなかった。むしろ、実績がないからこそ、彼は純血の象徴としての役割を完璧に果たすことができたとも言えるのである。なぜなら、彼が過去に何らかの軍事的失敗や政治的失態を犯していれば、士大夫たちはその「無能さ」を明確な法的根拠として彼を激しく攻撃し、大将軍の地位から引き摺り下ろす大義名分を容易に得るからである。しかし、曹宇は曹丕以来の厳しい監視社会の中で、ただひたすらに息を潜め、一切の政務に関わらず生きてきた。彼には誇るべき功績もないが、同時に一切の失点も存在しなかった。政治的に完全な空白であるからこそ、明帝はその曹宇という無垢な器の中に、建国者たる曹操の威厳という巨大な幻影を、自らの都合の良いように注ぎ込み、投影することができたのである。

 さらに、正史『三国志』の記述が伝える曹宇の個人的な気質こそが、明帝が彼を選んだもう一つの決定的な積極的理由であったという深読みが可能である。正史は、曹宇の人物像について「性、恭敬温順(その性質は、恭敬にして温順なり)」と極めて簡潔かつ象徴的な四文字で表現している。この「恭敬温順」とは、目上の者を敬い、控えめで、大人しく従順であるという性質を指す。

 歴史書において「温順」と評されることは、平時の文官であれば美徳かもしれないが、他国と血みどろの死闘を繰り広げ、国内の反乱分子を武力で鎮圧しなければならない乱世の「大将軍」に求められる資質としては、致命的なまでの欠格事由である。かつての夏侯惇や曹仁、あるいは次世代の曹真や曹休といった猛将たちは、皆一様に苛烈な気性と、他者を力でねじ伏せる圧倒的な覇気を持っていた。彼らの持つ暴力性こそが、軍隊を統率し、他姓の重臣たちを畏怖させる最大の武器であった。しかし、曹宇にはその覇気や暴力性が完全に欠落しており、良く言えば善良な好人物、悪く言えば権力闘争を生き抜く腕力を持たない極めて柔弱な人物であったことが、この四文字から明確に読み取れる。

 では、極めて聡明であり、人を見る目に長けていた冷徹な君主である明帝が、なぜ覇気も持ち合わせない温順な叔父を、国家最大の危機において大将軍に抜擢したのか。もし仮に、曹操の息子の中に、かつての曹彰のように強大な武力と野心に満ち溢れた「異端の士大夫」としての気風を色濃く残す皇族が生き残っており、彼を大将軍に据えたと仮定してみよう。確かに他姓の重臣を威圧することはできるかもしれない。しかし、その圧倒的な武力と野心を持った強力な皇族は、果たしてわずか八歳の正体不明の養子である幼帝に、永遠に忠誠を誓い続けるであろうか。幼い皇帝を廃し、自らが新たな皇帝として玉座に座ろうとする、身内からの簒奪という最悪の悲劇を引き起こす危険性が極めて高い。曹丕が兄弟たちを過酷に監視したのは、まさにこの身内による簒奪を防ぐためであった。

 明帝が求めていたのは、外敵を打ち破る軍事的才能でも、他姓の重臣を腕力でねじ伏せる政治力でもない。ただひたすらに、己の野心を一切持たず、自らが死んだ後も幼き皇帝の玉座を己の命に代えて守り抜くという、完全なる無害性であった。大将軍という絶対権力を手に入れても決して幼帝を脅かさないというその性質こそが「恭敬温順」の真の意味である。曹宇の極端なまでの人の良さと、権力闘争に不向きな従順さという、本来であれば指導者として致命的な欠陥が、この極限の状況下においては、幼帝の安全を保障する最も確実な担保となったのである。

 これこそが、皇帝権力の黄昏の中で明帝が導き出した、極めて論理的かつ悲壮な権力方程式の全貌である。実力ある他姓の重臣は国を奪う。実力ある皇族もまた、玉座を奪う。したがって、幼帝を守るための唯一の正解は、「建国者の直系という最強の血統の盾を持ちながら、自らは玉座を奪う野心を一切持たない、極めて温順な無実績の皇族」にすべての権限を集中させることであった。

 実績主義という「能力の論理」で合法的に攻め上ってくる士大夫層に対し、明帝は曹宇という「血統の論理」の極致を大将軍としてぶつけることで、国家の根幹のルールそのものを強制的に書き換えようとしたのである。それは、魏帝国が建国以来依拠してきた有能な官僚機構と軍隊の指揮系統を大混乱に陥れる、極めて危険な劇薬の投与であった。実務能力を持たない曹宇が全軍の頂点に立てば、当然のことながら最前線の軍務は停滞し、防衛体制には深刻な綻びが生じるであろう。しかし、明帝にとって、外敵の侵攻による領土の喪失よりも、内部からの権力簒奪によって帝国の中枢が奪われることの方が、比較にならぬほど切迫した絶対的な恐怖であった。彼は国家の機能不全をある程度犠牲にしてでも、曹氏一族の玉座という絶対領域だけは死守しなければならなかったのである。

 かくして、病床の明帝によって、国家の法手続きを半ば無視する形で、温順なる無実績の皇族である曹宇を大将軍とし、全軍の統帥と幼帝の補佐を命じる強固な意志が示された。魏の宮廷における絶対的な権力の天秤は、実績という重りを完全に排除され、血統という純粋な質量のみでその均衡を保とうと激しく揺れ動いたのである。しかし、明帝のこの絶望的なまでに精緻な血統防衛の構想は、曹宇ただ一人の存在のみによって完結するものではなかった。曹宇の「無能なりの純血」を中央に据えながら、実務としてそれを支え、外敵と他姓の重臣から防衛するための、さらなる多層的な皇族間の防衛網が必要とされていた。その精緻なる相互牽制の制度設計の全貌については、次節において詳細に論証する。


【引用文献・史料】

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書・武文世王公伝(巻二十)

 (燕王曹宇の出自、母である環夫人と兄の曹沖に関する記述、ならびに曹宇の「恭敬温順」なる性格的特質に関する記録)

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書・明帝紀(巻三)

 (景初二年末から三年にかけての明帝の病状悪化の経緯と、幼帝曹芳を後継者とせざるを得なかった政治的背景に関する記録)

杜佑撰『通典』職官典

 (大将軍という官職が持つ軍事と政治における絶対的権威と、独自の幕府を開く特権に関する法理的裏付けとして)

房玄齢等撰『晋書』帝紀第一・宣帝紀(巻一)

 (同時期における司馬懿の圧倒的な軍事的功績と、それが皇室にもたらした潜在的な簒奪の脅威に関する比較検証として)

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