12,
「敬語はやめませんか」
タイラーの提案に、ソニアが目を丸くする。
「俺は、ソニアに親近感がわく」
「シーザーには俺も困っている部分があって。彼は友人と言ってくれても、俺は本来不動産の営業なんですよ。やはり営業職として距離を取っておきたい。
違うかもしれないけど、ソニアもロビンに振り回されているように見えてしまって……」
亡くなった恋人に似ているとまでは、タイラーも言いにくい。
「自分と重なって見えてしまうんですよ」
ソニアが食いつくようにタイラーを見つめる。
「やっぱり、困っているように見えます?」
その反応にタイラーも苦笑する。
「距離感にね。困るんだよね」
「そう。そうなの。
ロビンはすぐ友達のようにふるまいたがるけど、一応立場はあるもの。でも、彼女の状況を考えたり、私のこともあるし。ちょっとだけ、ちょっとだけね。どうしたらいいかわからなくなるの」
「俺も一緒。シーザーに友人と言われてて、面食らった」
「同じね」
「同じだ」
二人で少し笑った。
「朝食を食べて、買い物行くの。楽しみだわ」
ソニアは食事作りのため戻っていく。
俺も。と、タイラーは心の中で返した。
大きな窓を開けると、潮の香りをのせた風が流れる。庭も丁寧に掃除され、囲む草木も整えられている。デッキには椅子が二脚あり、プールには水が張られていた。ここの維持費はどれほどのものなのだろうとタイラーは考える。一般人には想像できないなと腕を組み、苦笑した。
室内に戻り、食堂とキッチンが併設された部屋に向かった。ロビンとソニアが談笑しているかと思えば、ソニアだけだった。髪は後ろで一つにまとめ、ライトグレーのワンピースの上に、ベージュのエプロンをつけ、せっせとキッチンで料理を作っている。
「朝から忙しいね」
挨拶しながら、タイラーはアイランド型キッチンの端に立った。
「本来はこういうのが仕事だもの」
ソニアは手際よく動く。
「この仕事は長いの」
「そうねえ、三年くらいになるかしら……」
ふとソニアの手が止まった。
「おはよう」
眠そうなロビンのか細い声がした。キッチンに近い、テーブルの椅子に座り、少しうとうとしている。まだ体が十分に起きてはいないようだ。
ソニアが手をふき、ロビンのそばに寄る。
「水のみますか」
ロビンがこくんと頷く。昨日の夜見せた元気というか、癖のある雰囲気がなりを潜めている。
ソニアがキッチンに引き返し、冷蔵庫から冷やされたガラス瓶を出す。輪切りにされたレモンときゅうりが浸されていた。
「タイラーもいる」
「いただくよ」
ソニアはグラス二つ取り出し、水を注ぎ入れる。両手にそのグラスを持ち、一つをタイラーに渡すと、ロビンの横にある椅子に座り、彼女にもう一つのグラスを差し出した。うっつらうっつらするロビンに、「起きるのつらかったら、呼んでね」とソニアが声をかける。
「大丈夫よ。今日はね、少し眠いだけ」
ロビンは、両手でグラスを握り、一呼吸置く。ゆっくりと持ち上げ、唇へ寄せ、なめるように飲み始める。
タイラーは手にしたグラスを傾け、一気に飲み干す。空いたグラスをキッチンの台へとのせた。
ロビンは水を飲むごとに、息を吹き返していくように見えた。とろんとした紫の瞳がタイラーをとらえる。
「見苦しい姿を見せてしまったわ」
弱々しくも、癖のある一面がのぞき、タイラーは少しほっとする。
「朝はと言わず、私はこうなの。体がね、弱いのよ。生まれつき」
タイラーは首を振った。気にしていないし、気にしないでほしかった。
ソニアが「いいの、話して」とロビンの横から心配そうに口をはさむ。
「隠しても仕方ないことよ。驚かせるなら、早いにこしたことないわ」
ロビンが背筋を伸ばし、しゃんとする。長い黒髪をかき上げた。
「タイラー。私ね、昔、お兄様と病院からホテルへ戻る時に、もっと楽にすごせる自分専用の部屋が欲しいとわがままを言ってしまったの。
ただの愚痴だったのに、お兄様ったら、その場ですぐにマンションを買ってしまったわ。
あなたは覚えていないかもしれないけど……」
「覚えていますよ」かみしめるようにタイラーは答える。「俺の仕事上の大きな転機だった」
「あの時、車から見てたのよ、私」
ロビンが、ふっと笑った。
「体が弱いの。母に似たのだわ。私を産んですぐに亡くなっている。どうしてかはわからないけど、こういうよくわからない体の弱いのが、うちは時折産まれるのよ」
凛とした見た目より、すぐれないのだろう。言葉が朴訥とし、抑揚が少ない。ソニアがロビンの背を撫でる。ロビンが気持ちよさそうな表情で目を閉じた。
「ロビン。休みたいなら、部屋の方がいいわよ」
「いいのよ。ここの方が気が紛れるわ」
「人がいるのはいいわ。本当に、気が紛れる」
ソニアがため息をつく。
タイラーがロビンの前に座った。
「ソニア、俺が見ているよ」
でも……と視線泳がすソニア。大丈夫とタイラーは笑む。
「じゃあ、お願い……」と呟いて、ソニアはキッチンに戻った。
「ロビンがいたのは気づいてはいなかったけど。シーザーと始めて会った時はよく覚えているよ」
「そう」
「とても印象的だった。あれから、だいぶ、なんと言うか。運が上向いていった」
「なによりね」
タイラーの話を気持ちよさそうにロビンは聞き入る。話す内容が面白いとは思えないが、少しは彼女の気を紛らわせられてほしいとタイラーは願う。
「あの取引から、俺は営業で一位になることが増えた。なぜか、シーザーによく使ってもらえてね。彼は俺の転機にかかわている」
雰囲気だろうか。ロビンの静けさに、するりと言葉が誘われる。こうやって言葉にして、少しづつ過去に変えていくものなのかもしれない。そう思うタイラーはゆっくりと話し続ける。
「今回の別荘への滞在も……、なんというか。俺の転機になっている。
俺はね。三年前に、恋人を例の海難事故で亡くしているんだ」
ロビンが自らの弱みをさらしたからかもしれない。抵抗なく自分のことを口にできていることにタイラーは内心驚いた。
「シーザーが無理に誘ってくれなかったら、きっと今も吹っ切れずにいた。
いや、本当は、今もちゃんと吹っ切れてはいないんだ。
この海辺の街にいる間に、吹っ切りたいなと、そう、思っている。
この旅行の真の目的は、とてもプライベートなことなんだよ」




