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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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34. 虫料理を貴方に 「君に、死なれたくない」



「はぁっ……はぁ……殿下、まじで無理です。限界です……っ」


 翌日。さっそくサイードに朝から運動させられはじめたエリエノールは、ものの数分でへばっていた。


 まずは走り込み(ランニング)からということで、サイードは手加減してくれたつもりらしかったが、エリエノールには少しばかしきつすぎた。じっとりと汗をかき、足は痙攣けいれんしてもう立つこともできない。


 汗の一粒もかかずに余裕そうなサイードは、エリエノールのそばにしゃがんできた。ハンカチを取り出して汗を拭ってくれるのは、優しさなのかただの子ども扱いなのか。


「ひ弱だな、エリエノール」

「はい。生粋の、引きこもりっ、ですから」

「もう外に出てからつきは経つだろう。いい加減慣れても良いとは思うが」

「これでも、頑張ってるんです……っ」


 なかなか息の整わないエリエノールを、サイードはにやにやとして見つめている。絶対に汗臭いだろうにこの距離感だなんて、相変わらず配慮デリカシーのない男だ。


「エリエノール」

「なん、ですかっ」

「疲れているだろうから、今日は料理はしなくても――」

「いえ、絶対に、食べさせます!」


 サイードが表情を変え、大きくため息をつく。こっちはこれでも頑張って運動をしているのだから、彼にも約束は守ってもらわねばなるまい。エリエノールは絶対に、今日サイードに虫を食べさせてやるのだ。


「料理をするにしても、調理場まで行けないと話にならないだろう。ほら、手を貸してやるから立て」

「それは、どうも、ありがとうございます」


 エリエノールは差し出されたサイードの手を取って立ち上がる。しかし真っ直ぐ立っていられたのも束の間のことで、すぐにバランスを崩してサイードの胸に倒れ込んだ。


「君から抱きついてくるとは珍しい」

「わざと、じゃない、んですけど。本当に、立って、いられないんです」

「じゃあ、運んでやろう」

 

 サイードは軽々とエリエノールを抱き上げた。やはりこいつ、接触を避ける気がまるでない。エリエノールはサイードの腕から逃れようとする。


「そう暴れるな。危ないだろう」

「殿下こそ、触らないでくださいって言ったじゃないですか」

「君は僕に反抗的な態度ばかり取るが、度が過ぎると不敬罪で咎められるぞ」


『不敬罪』という言葉に、エリエノールは藻掻くのをやめた。たしかに言われてみれば、最近のエリエノールの態度は、王太子に対するものとしては失礼すぎた。


 身分や適切な関わり方をうまく考えられていなかったのは、むしろエリエノールのほうだ。いつの間にこんなに調子に乗っていたのだろう。走り疲れて火照っていた体が、さっと冷えたような気がした。


「……申し訳、ございません、でした。王太子殿下」

「別に謝ってほしいわけではない。嘘をつかれるよりかは、素直に言ってくれたほうがよっぽど良いからな。それに、君と僕とはクラスメイトでもあるし」


 クラスメイト。たしかにサイードの言うとおり、サイードとエリエノールはクラスメイトだ。それは完全なる事実だったのだけれども、エリエノールには、どこか心がもやもやとする言葉に聞こえた。


 しばらくふたりとも無言になる。エリエノールはもう自分で歩けるような気もしてきたが、なんとなくそう言い出す気にはなれなかった。


 ぼんやりとサイードの顔を眺めていると、彼と目が合う。サイードは「そういえば」と口を開いた。


「エリエノール。先程から聞こうと思っていたのだが、君は何故走るのにそんな長袖を着ているのだ。それでは余計に暑いだろう」

「……殿下が火傷痕や切り傷の痕を見ても不快になられないのでしたら、袖の短い服も着れますけど」


 エリエノールが小さく呟くと、サイードは申し訳なさそうな顔をした。傷だらけのエリエノールと、まばゆいばかりに美しいサイード。


 やっぱり届かないな、と思った。エリエノールは、彼に近づくことができない。


「君が差し支えないようだったら、僕が治してやっても良い。君のためなら、いくらだって治癒魔法を使ってやる」

「わたくしの体には、殿方には見せられないようなところにも傷がありますよ」

「……そうか」


 エリエノールのやんわりとした拒絶を、サイードはしっかりと受け取ってくれたようだ。この体の傷をサイードの目の前に晒すのは、エリエノールは嫌だった。


 治してもらえれば嬉しいことには嬉しいが、醜い姿を彼に見られたくない。できるだけ、綺麗な姿を見られていたい。


 エリエノールはサイードに抱えられて自室に戻り、彼が部屋から去ったあと、汗を流すためにお風呂に入った。




 学生寮の自室にあった虫はこちらに持ってきているし、王宮庭園の虫もいくらか分けてもらっている。


 エリエノールはいつも学校の自習室でやっていたように虫を料理した。出来上がったものをひとくち食べてみると、まあ美味しいと思う。


 エリエノールは約束した通りに、料理を載せたお盆を持ってサイードの部屋を訪ねた。部屋に入ると、サイードは昼食をとっているところだった。


 宮廷料理人の作った素晴らしい料理たちのなかに、エリエノールの虫料理も参戦させてもらう。見た目は誰がどう見ても劣っているし味も負けるとは思うが、食べられないことはないだろう。


「来たな、エリエノール」

「はい、参りました」


 引きつった表情のサイードと、にこにこ笑顔のエリエノールの目が合う。


 そーっと逃げようとするアベルに虫入りスープの入ったマグカップを渡して落ち込ませたあと、エリエノールはサイードの前のテーブルに虫料理を置いた。虫入りポタージュスープとむしパンである。


「はい、殿下。約束通り、わたくしは腕によりをかけて虫料理を作りました。どうぞお召し上がりください」

「これは、本当に食べ物か……? 手入れされていない池の色のようではないか」

「まったく、失礼ですね。それは、ほうれん草の色です」


 やや白濁した緑色のスープを見て、サイードはかなり萎えているようだ。作ったエリエノール本人も、美味しそうな色ではないなと思っていたが。


「食べ物かどうかお疑いでしたら、わたくしが先にひとくち食べましょうか? 先程味を確認してはいますけど、目の前で確認された方が殿下もご安心できるでしょう」

「なら、頼む」

「御意」


 エリエノールはスプーンでポタージュスープを掬って飲み、むしパンを千切って食べた。サイードの眉間には未だに皺が寄ったままだ。


「はい、安全ですよ。宮廷料理人の監視のもと作りましたし、わたくしは魔法が使えないので監視の目を逃れて毒を入れることなどできません」

「毒の心配はしていないし、毒が入っていそうなものなら君に食べさせるつもりはない」

「はい。それは、ありがとうございます……?」


 エリエノールが首を傾げながら礼を言う。手に持っていたスプーンをサイードにすっと取られ、エリエノールは、あっと声を上げた。サイードが怪訝そうな顔をする。


「なんだ?」

「あ、いや。わたくしが口をつけてしまったスプーンなので、殿下がお使いになるのはどうかな、と」

「特に気にしないが」

「あら、そうですかー……」


 他人が口をつけた食器で、王太子ともあろう彼がものを食べようとするなんて。とエリエノールは驚いた。それになんとなく、こういう食べ方は親しい人同士ですることな気がする。


「そうだ、エリエノール」

「なんですか、殿下」

「君が僕に食べさせてくれないか?」

「はあ……まあ、良いですけど」


 サイードの手に渡ったスプーンが、またエリエノールのもとに帰ってくる。いったいなんなんだと思いながら、エリエノールはポタージュスープを掬って彼の口元に運んだ。彼は渋い顔をして、それを飲み込む。


「……まあ、悪くはない」

「良くもないと?」

「どちらかと言えば、美味しい」


 微妙な反応だが、まあ食べてくれるならそれで良い。しばらくスープを彼の口に運ぶことを繰り返していると、ふと思い出したかのように、彼は尋ねてきた。


「なあ、エリエノール。これは、どこに……その、虫が入っているのだ?」

「どこって、器のなかにですけど」

「いや、さすがにそれは分かっている。もっと詳細な話だ」

「スープに芋虫いもむしのペースト、具材の鳥の肉団子にすり潰したコオロギ……と言っておけば良いでしょうか。むしパンにはありがそのまま入っています」

「……なるほど」


 頷いたサイードに、エリエノールはまたポタージュスープを食べさせていく。肉団子のなかには粘液餅スライムも入っていることや、この蟻は甘みが強い種類なのだという話などをしながら、彼に虫料理を食べさせ終えた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした……。あの、どうでしたか?」


 正直なところ、ひとくち食べてもらえれば万々歳だと思っていたエリエノールは、すべて食べてもらえたことに驚いていた。サイードが口元を拭きながら、ちらりとこちらを見る。


「意外と、美味しかった。見た目はかなり悪いが」

「……本当、ですか? 美味しかったですか?!」

「ああ、美味かった」


 サイードの言葉に、エリエノールの口元はにやにやした。今回のは虫の成分が少なめな料理だったからというのもあるかもしれないが、この国の王太子に虫を食べてもらえたことは、昆虫食普及のための大いなる一歩となっただろう。


「嬉しそうだな」

「はい、嬉しいです」

「そんなに昆虫食が好きか?」

「はい。……楽しい、です」

「そうか。君が楽しいなら、良いと思うぞ」


 サイードが微笑んで、エリエノールの頭を撫でた。真っ向から否定することなく昆虫食も受け入れてくれる、サイードのこういうところが好きだなと思った。


「殿下。……あの、昆虫って、筋肉に良い成分が多く含まれていたりするんですよ。味や品質を改良できたら、騎士の育成なんかにも役立つと思いませんか? まあ、他の食べ物で代用できるって言われたらそれまでなんですけどね。それに山で遭難したときに、食べられる虫が分かっていたり、虫の美味しい調理法が分かっていたら、生き延びやすいとも思うんです」

「ああ、そうだな」

「それに、魔法薬にもよく使われるのが虫ですから、さらに調べてみたら、新しい薬効も見つかるかもしれません。そう考えると、夢があるなって思って……だからわたくしは、昆虫食を究めたいと思ってます」

「うん。応援する」


 昆虫食の話なんて、他の人にとっては楽しくないかもしれない。けれどサイードは、以前も今日も頷いて優しく話を聞いてくれた。昆虫食談義の相手としては、サイードが一番だとエリエノールは思う。


「なあ、エリエノール」

「なんですか、殿下」

「……もし、僕が、君をそばに置きたいと言ったら……どうする?」


 オレンジ色の瞳が、鋭さをもってこちらを見つめる。エリエノールはしばし言葉の意味を考えたあと、サイードに問うた。


「それは――殿下にお仕えする侍女として、でしょうか?」


 サイードは目を見開いたあと、ふっと口元を緩めて笑い出した。何かが面白かったらしい。エリエノールも、なんとなくつられて笑った。


「侍女か。面白いことを言うな。〝神の血をひくお姫様〟に侍女をやらせるなんて言ったら、陛下に怒られそうだ」

「毒見役とかなら良いかなって思ったんですけどねー」

「僕は君には毒見役にはなってほしくないがな」

「何故です?」

「君に、死なれたくないからだ」


 その言葉は少しの時間差のあとに、衝撃をもってエリエノールに受け入れられた。エリエノールはしばらく何も返せなくなる。サイードの表情が心配そうなものになるのを、やや歪む視界で捉えた。


「どうした? エリエノール」

「……えへへっ、いえ。別に」

「何かを誤魔化してるのか、喜んでいるのか、よく分からんな」

「どっちもですよ」

「そうか」


 エリエノールは、泣きそうになりながら笑う。彼に『死なれたくない』と言われたことが、嬉しかった。サイードが小さな声で呟く。


「……毒なんて、毒見役がいても盛られるときは盛られるからな」

「へっ?」

「いや、なんでもない」


 サイードがなにやら不穏な感じのことを言った気がするが、なかったことにするかのように流されてしまった。


 サイードは昼食をすべて食べ終えると、「庭園の散歩でもしてから、また運動しようか」と言ってエリエノールの手を取り立ち上がる。


「行こう、エリエノール」

「……はい、殿下」


 サイードに取られた手を、彼から離そうと思えない。彼と繋いだ手を、振りほどく気になれない。


 彼に手を引かれて、エリエノールは部屋の外へと出た。お付きの者たちは、ほどほどの距離を取って後ろを歩いている。


 これくらいなら良いだろうかと、甘えていた。いつしかサイードが、エリエノールが自分らしくいられる相手になっていた。


 これは、きっと友愛だと思う。身の程知らずだとは思うが、エリエノールはサイードを友人のひとりに数えたいと思っていた。


 彼のそばにいることが、なんとなく好きになっていた。けれどレティシアとも仲良くしていたいから、サイードと恋愛関係になる気はなかった。それは一見遠慮しているようでいて、実は我儘で欲張りなだけだった。


 エリエノールは、ふたりと仲の良い関係でいたかった。みんなで仲良くする幸せに浸っていたかった。



✽✽✽



 あの小説のことや血の匂いのことを、もっと真面目に考えていれば良かったのかもしれない。現実にある問題を、もっと見るべきだった。


 サイードと一緒に明るい外の世界を走った。太陽の下を彼と一緒に堂々と歩けていた。


 夏休み、彼と過ごす時間が長い時期。馬鹿みたいな噂をする学園の生徒たちがいない、平和な空間だった。


 この束の間の幸せを、今となっては遠いこの思い出を、エリエノールはひどく愛している。曖昧な関係性の頃が幸せだった。嵐の前の静けさ、と言うか。



「エリエノール」


 サイードに名を呼ばれる。暑さと疲れで流れる汗を、彼が拭ってくれる。汗の粒は日差しで光る。まぶしくてキラキラとした夏だった。


「はい、殿下」


 彼は何度もエリエノールに手を差し伸べてくれる。エリエノールは何度もその逞しい手を取っている。


 暑さが脳を駄目にしていたのか、このときは溶けるような幸せを、何も考えずにただ受け入れていた。


 ――これが、彼と過ごす、最初の夏のことだった。彼と同じ時間に生きられた、ひと夏の思い出だった。

 




 第2章 おわり

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