29. 仲良し四人組 「ハグして良いですか?」
階段の踊り場の上に、純白の髪と真っ赤な瞳を持つ美しいひとりの令嬢が立っている。後ろの窓から差す光のせいで逆光になって、こちらからはよく顔が見えない。
今この階段と踊り場では、人々が見物する劇の一幕が催されている。
「無様なものね、虫食い姫。誰の子かも分からない卑しい身で、尊い王太子殿下に近づかないでくださる?」
美しい彼女の台詞の後に、彼女を囲ってこちらを見下ろす四人の令嬢たちがくすくすと笑う。階段から落とされたエリエノールの姿は、さぞや滑稽なことだろう。
レティシアは階段を下りると、ぐっとエリエノールの手を靴で踏みつけた。
「っ……」
「人の婚約者に手を出そうとするなんて、本当に意地汚いわ。貴女なんて、蛆虫に食われて死ぬのがお似合いよ」
エリエノールがレティシアを見上げると、彼女はものすごく申し訳なさそうな、今にも泣きそうな顔をしていた。
最近は、こんなことが日常茶飯事だ。
「ごめんなさいエリエノールさん痛かったですか?!」
「全然大丈夫です。ぴんぴんしてます」
「本当にごめんなさい……また止まれなくて……っ」
学校医に診てもらったエリエノールは、ぎゅっとレティシアとハグをする。最近のエリエノールは医務室の常連客だ。
瞳をうるうるとさせているレティシアの頭を、背伸びをしてよしよしと撫でた。髪からいい匂いがしてドキドキしてしまう。
「……アベル、今週これで何回目だ?」
「月曜日から水曜日までの三日間の間で見ると、これで四回目ですね」
「なかなかまずいよな……」
医務室にはサイードとアベルも来ていて、ふたりとも深刻に悩んでいるような顔をしていた。
彼らの会話の通り、エリエノールが階段から落ちるのは今週はこれで四回目――つまりレティシアが血の匂いの後に自分の意思で動けなくなるのも、これで四回目のことだった。
あのナイフぶっ刺し事件の次の日にサイードは無事に風邪を治しきり、その次の日に左手も完治させた。
エリエノールはサイードにお供してアベルとレティシアにもサイードのときと同じように説明をして、それからは四人で協力して血の匂いの謎を解決しようと日々奮闘している。
しかしみんなで図書室の本を調べたり、それぞれ信頼できる知人に手紙を送ってそれとなく探ったりもしているのだが、なかなか解決の兆しが見えない。
それどころか協力を始めた次の日の土曜日からは、サイードだけでなくレティシアまで血の匂いの後に変な行動をするようになってしまい、事態は悪化しているとも言えた。
レティシアの場合、彼女は血の匂いの後に友人四人と一緒になって悪女のようにエリエノールを虐める。
そこにサイードが乱入してきて、気障な台詞でエリエノールを守るようなことをしたときも一度あった。
きちんと話をしていなければ本当に仲違いしてしまったかもしれない。けれどみんな血の匂いのことを分かっているから、操られる時間が終わればすぐにいつも通りの仲に戻れる。
エリエノールとレティシアとサイードの関係についての噂は、「王太子殿下がレティシア様との婚約を破棄なさって虫食い姫を王太子妃にする」噂が最も白熱していた。
「レティシア様が虫食い姫を虐めている」噂は信憑性を増す一方、普段はレティシアとエリエノールが仲良くしている姿から、一部の生徒は「ふたりは虐めの茶番劇を演っている」と噂している。
レティシアは奇怪な行動をするようになったせいで友人四人から疎まれるようになり、血の匂いの虐めのとき以外は彼女たちと一緒にいることが少なくなった。
その結果レティシアの隣にはエリエノールが居座るようになり、最近はエリエノール、レティシア、サイード、アベルの四人組が仲良しグループになっている。
「エリエノール、ここ教えて」
「どこですか?」
「ここ」
「ああ、そこはですね――」
放課後の図書室にて、エリエノールの隣にはジャンがいた。
ジャンだけでなく、仲良し四人組となったレティシア、サイード、アベル、さらに他の古代魔術メンバーのユーゴ、ルイズ、エレーヌもいる。
八人で図書室のテーブルのひとつを陣取り、試験勉強――ときどきエリエノールは血の匂いの謎解き――に励んでいた。
本日は、七月六日の水曜日。一学期期末考査まではあと一週間を切っている。
以前約束した通り、エリエノールはジャンと勉強会を始めた。サイードがレティシアとアベルを連れて、「僕らも混ぜてくれ」とやってきた。ジャンを発見したユーゴが「俺も良いですか?」と来て、さらにルイズとエレーヌもやってきて、今の形ができあがったのだ。
「おい、エリエノール」
「ぴゃっ! 何ですか、殿下」
ジャンに勉強を教えていると、物凄く険悪なサイードの声が聞こえた。なにかまずいことをしてしまっただろうかと、彼を見上げる。
「ジャンとの距離が近すぎる。適切な距離感を保て」
「えっ、ごめんなさい……?」
授業中に絡んでくるサイードと比べたら全然近くないのだがと思いつつ、注意されたので少し距離感を見直してみることにした。教えるのに困らない程度に、ジャンから離れる。
「エリエノール、そんな離れられたら寂しいんだけど」
「ごめんなさいジャン様、わたくしももっと近くでお教えしたいのですが……!」
いちいち口を出してくるサイードに文句をつけるように、ちらりと横目で見てやる。サイードはレティシアと一緒に、実戦魔法の実技試験の対策法を練っているところだ。
「そんなに近づく必要はない。その距離感で良い」
「ったく。殿下、心狭いですね」
「ですよね、わたしもそう思います。面倒くさい主です」
「ジャン、アベル。不敬にあたるぞ」
ジャンとアベルがサイードに毒づき、サイードがふたりを睨みつける。たしかにサイードは心が狭くて面倒くさい人だよなと思いながら、エリエノールはジャンに尋ねられたところを教えた。
「――エリエノール様。きりがいいところでしたら、ちょっと良いですか?」
「はい、エレーヌ様。ジャン様、また何かあったら言ってくださいね」
「うん、ありがと」
ジャンに質問されていたところを教え終えたエリエノールは、今度はエレーヌの方を向く。今回も試験範囲の内容はすでに頭の中に全て入っているエリエノールは、みんなの勉強を手伝うお助け要員だ。
「このところが、ちょっと分からなくて……」
「ああ、そこはですね、この……五十七頁の、この内容の応用です」
「……ああ、なるほど! そうだったのですね。おかげ様で分かりました、ありがとうございます」
「いえいえ」
みんなの様子を見て、今は誰も困っていなそうなことを確認すると、エリエノールは本を開いた。聞かれたら教えて、暇なときは血の匂いの謎を解くために本で調べ物をする。そんなふうに過ごしている。
「そいえばさ、エリエノール。ミク嬢と最近一緒にいなくない?」
「……ミクさんは、ダルセル様――神官見習いの先輩と、一緒にいるそうで。勉強会もお誘いはしたのですが、断られてしまったんです」
本を読みながら、ジャンの問いに答える。
ミクはエリエノールが男子寮に侵入した日から、めっきりエリエノールに関わってこなくなった。喧嘩したわけではないのだが、何故か避けられているようである。
まあ友人なんてずっと同じ人と仲良しというばかりではないとは心得ているので、多少寂しくはあるがそこまで気に病んではいない。
今はレティシアとかなり仲良くなれたし、他にもそばにいてくれる人がいるから十分幸せだ。
「今日も皆さん頑張りましたね」
「そうですね、お疲れさまです」
放課後の勉強会を終え、エリエノール、レティシア、ルイズ、エレーヌの四人は女子寮に向けて一緒に歩いていた。
こんなふうに女の子数人で連れ立って歩いていると、本当にエリエノールも女の子になった気分だ。いわゆる「女の子らしい」ものに、エリエノールは憧れる。
エリエノールはずっと、「普通の女の子」になりたかった。友だちがいて、一緒に勉強したりお喋りしたり、学食でご飯を食べたり。
屋敷の自室や地下室に引きこもりながら、そういう生活を夢見ていた。
「ではまた明日、エリエノール様、レティシア様」
「はい、また明日。ルイズ様、エレーヌ様」
ルイズとエレーヌと三階で手を振って別れ、五階へとレティシアとふたりで上がっていく。
「レティシア様」
「なんですか、エリエノールさん」
部屋の前でレティシアに話しかけると、彼女はふわりと花のように微笑んだ。
「レティシア様、大好きです」
「あら、嬉しい。わたくしも、エリエノールさんのこと大好きですわ」
「えへへっ、ありがとうございます。ハグして良いですか?」
「ええ、どうぞ。おいで」
レティシアが腕を広げて、エリエノールはぎゅっと彼女の胸へと飛び込む。レティシアは薔薇の香水の匂いがして、温かくて、聖母のような包容力があった。
レティシア、サイード、アベルと一緒にいる四人組のなかで、エリエノールはみんなの妹――末っ子のような感じだ。
アベルが一番上の「お兄ちゃん」、レティシアが次の「お姉ちゃん」、サイードが歳の近い「お兄ちゃん」――みたいな感じで、エリエノールはアベルとレティシアには遠慮なく甘えている。
血の匂いのことは不穏だが、毎日楽しくて幸せだった。




