30. 期末考査前日 「殿下が意地悪です」「意地悪じゃない」
「……いよいよ明日ですね」
「明日だな」
「一科目めの試験開始まではあと十四時間――」
「うわぁあ! エリエノール、それやめよ? 焦るから細かく言うのやめよーよぉ……」
さて、今日は七月の十日の日曜日、時刻はだいたい夜の七時頃。例の八人組は食堂で夕食をとっていた。
「もう、ジャン様ったら、食堂で奇声上げないでくださいよ」
「いや、エリエノールはそりゃあ大丈夫だろうけどさ? 俺はぎりぎり及第点取れるかどうかってところなんだよ。もう緊張で無理……」
試験前ということでみんな――エリエノール以外は――多少は気持ちが落ち込んでいたりピリピリしていたりするが、そのなかでもジャンの暗さと言ったらなかった。中間考査のときとは大違いのネガティブさんだ。
「大丈夫ですよジャン様、今まで頑張ってきたじゃないですか。もし不可を取っても勉強見てあげますから、そんなにどんよりしないで……?」
「うぇえ、無理……期末難しいもん……エリエノール、頭撫でて?」
「はい、良いですよ。よしよしジャン様」
隣に座っているジャンの頭を撫でていると、前の方から恐ろしい氷の剣のような視線が刺さってくる気がした。それに気づかないふりをして、ジャンの金髪を触り続ける。艶とコシがある、健康的な良い髪の毛だ。
「……おい、エリエノール」
「なんですか、殿下」
「ジャンばかりずるい」
「……アベル様、レティシア様。殿下が頭を撫でて欲しいそうです」
「違う、そうじゃない」とでも言いそうなサイードには知らん顔をして、彼の隣にいるレティシアとアベルに視線を送る。ふたりは「承知した」と言うようにこくりと頷いた。
「失礼します、サイード殿下」
「仕方ないから撫でてあげますよ」
サイードのシルバーグレーの髪をレティシアが丁寧に撫で、もう半分の髪をアベルが雑にわしゃわしゃとする。サイードはちょっと不満そうにも見えたが、何も文句を言わずにふたりに頭を撫でられていた。
その姿を見ると、自然にエリエノールの口角も上がった。
ナイフ事件以来サイードは、年相応の男の子らしい表情をよく見せるようになったように思う。きらきらしい「完璧な王子様」を演じずにいられる時間が増えているようだ。
人間らしい姿の彼を見られることを、エリエノールは嬉しく思っている。
「皆さん仲良しですね」
「はい、仲良しです」
「エリエノール様、よく笑うようになりましたよね」
「はい、皆さんに良くしていただいたおかげです」
ルイズとユーゴの言葉に、にこにこと答える。本当にエリエノールは、よく笑うようになった。自分がこんなにも笑える日が来るだなんて、数ヶ月前には思ってもみなかったことだ。
「ところで、エリエノール」
「はい、殿下」
「その食事はなんだ?」
「えっ?」
今度は何かと思えば、エリエノールの食事にまでいちゃもんをつけたいらしい。まったく面倒くさい御仁だ。いったい何処が悪かっただろうかと、しばし考えてみる。
「……ああ、そうですね。今日はちょっと甘いものが摂りたくなってしまって、いつもと違って林檎ジュースを――」
「違う。ジュースの方は別にどうでもいい。なぜ粥しか注文していないのだ」
何故と言われても、普段通りに薬草粥を注文しただけなのだが。きょとーんとしていると、サイードはため息をついた。
「そんなだから、いつまで経ってもおちびちゃんなんだ」
「うわ酷い。アベル様、殿下が意地悪です」
「意地悪じゃない。夏の間に太らせるからな」
「聞きましたレティシア様? レディを太らせるですって。嫌がらせですよね?」
告げ口するようにアベルやレティシアの方を見ると、ふたりは微笑ましげにくすくすと笑った。
(期末終わったら、夏休みか……)
七月の二十日に学校の一学期が終わり、二十一日から八月の三十一日までは夏季休暇となる。先程サイードが『夏の間に太らせる』と言ったのは、この休暇の間にということだろう。
エリエノールとミクは王家に世話になっている身なので、休暇の間は王城で過ごすことになる。
当然ながら王太子であるサイードも王城で過ごすため、サイードとエリエノールは夏の間、ひとつ屋根の下――と言っても大国の王城なのでめちゃくちゃ広いのだが――で、一緒に生活することになるのだ。
こんなふうに突っかかってくるサイードと一緒に生活するなんて面倒くさそうだな、とほんのちょっぴり憂鬱な気分になっていると、エレーヌが楽しそうに口を開いた。
「夏と言えば〝星祭り〟ですが、皆さんご予定は?」
星祭りは、毎年リュウールシエル王国で八月八日に催される、夏の大きなお祭りのことだ。
星を眺めたり、川に灯篭を流したり、屋台で買い食いしたりするもの――らしい。
サージュスルス王国で引きこもっていたエリエノールには、いまいちぴんときていない行事だ。が、すでにその日の予定はばっちり決まっている。
「星祭りの日、わたくしは臨時就労ですねー」
「「……臨時就労?」」
ぽつりと答えたエリエノールに、何故かサイードとジャンが同時に呟いた。横と前を見てみると、ふたりとも目を見開いている。
普段はあまり仲良しなようには見えないが、こういうところでは気が合うのだろうか。
他のみんなも、興味津々といった表情でこちらを見ている。さほど面白い話ではないのだがと思いつつ、エリエノールは口を開いた。
「ええ、そうです。ぜひお立ち寄りいただけると嬉しいですね。手芸用品店〝海の月〟です。わたくしは売り子をやる予定ですよ」
「あ、前に俺がバレッタ買ったとこだね」
「はい、ジャン様から頂いたのをきっかけに興味を持ちまして、ご縁があって働かせていただいています。その節はありがとうございました」
「いえいえ、喜んでもらえて俺も嬉しかったです」
そうして話していると、バレッタのことを思い出してエリエノールが頬を緩めたあたりから、なんとなくサイードの機嫌がよろしくない方向に動いているような気がした。
成人祭の日もあのバレッタが気に食わなかったようだが、話題に上るだけで不機嫌になるほどに嫌だったのだろうか。
笑顔を控えめにして、そっとサイードの様子を窺ってみる。数秒間目を合わせていると、彼の方から視線を逸らした。
「……祭りの日に、手芸用品店で就労するのか?」
「装飾品とかリボンとか売るんです。魔力で光るのとか。買ってくださると嬉しいですー」
にこにこ笑って宣伝をしておく。お金に余裕があるのなら、ぜひぜひ落としていって欲しいところだ。
「まあ少しは買ってやるかもな」という言葉をサイードから頂いたところで、「あのっ」と少し上ずったエレーヌの声が聞こえた。
「……ねえ、ジャン。貴方は……予定、決まってるの?」
ほんのりと頬を赤らめたエレーヌは、いつもと違う、緊張したような面持ちで真っ直ぐにジャンを見つめていた。
人の心の機微に疎いエリエノールでも、今エレーヌが勇気を出して言葉を紡いでいるのだろうことは分かる。
頭の中にふと、〝青春〟という単語が顔を出した。
「ん? 特に決まってないよ」
「なっ、なら! 一緒に行かない? 友だちとして……そう、友だちとして」
「いいけど。ふたりで行くの?」
「え、えーとね……ふたりじゃなくてもいいんだけど……――」
嬉しそうに緩んだ口元に、赤みを帯びた頬。
エレーヌを見ていて思いついたこの予想は、正しいだろうか。
(エレーヌ様は……ジャン様に、恋をしている?)
まだ恋を知らないエリエノールに、確信は持てない。
けれども直感的に、〝恋〟という言葉が相応しいように思えた。
「わたくしも、エリエノールさんのお店行ってみたいですわ」
「レティシア様がいらっしゃるのなら、すごく嬉しいです。楽しみにしていますね――」
そんなこんなで夏休みの予定やら何やらを話しながら、八人は夕食を終えた。
七月の夜に吹く今日の風は、なんだか生温い変な風だ。その風に頬を撫でられながら、エリエノールは思考した。
(恋、とは。何ぞや)
試験前に考えるようなことではないかもしれない。でも気になってしまう。
明日からは期末考査。それが終われば夏休み。
はじめての、夏休み。
リュウールシエル王国に来てから、はじめてのことがいっぱいだ。
(ファーストキス……だよね)
医務室で唇に触れた、柔らかさと熱を思い出す。指でそっと自分の唇をなぞると、気恥ずかしくなって顔が熱くなった。
ロマンティックの欠片もない、喜びも嬉しさもないようなキスだった。やはり現実は、恋物語のようには進まない。
(殿下も……泣くほど、わたくしとのキスは嫌だったのかな)
サイードはエリエノールのことを「嫌いだった」とも「可愛い」とも言った。彼がどう思っているのか、よく分からない。
(胸が、苦しい……気がする)
服従の魔法のときのように、恐ろしい苦痛ではない。けれども何かが胸の中で主張しているような、何とも言えない違和感がある。
その違和感の正体は分からないままに眠りについて、エリエノールは期末試験の朝を迎えた。




