22. 姫と合宿
こんなにも、自分は自制心の弱い男だっただろうか。
サイードは頭を抱えていた。アベルに厳重に注意されたはずなのに、姫にちょっかいを出すことをやめられない。どうして彼女はあんなにも可愛いのだろう。
(……は?)
自分の思考にびっくりだ。彼女を可愛いと思っている事実とその思いの強さに気づいてしまい、混乱しかない。
最近明らかに、彼女のことを考える時間が増えている。それも敵としてではなく、ひとりの女の子として。
なんならしょっちゅう夢にまで出てくる。しかも人には言えないような、なんとも破廉恥な夢ばかり見ている。夢のなかの彼女に劣情を煽られ、現実の彼女を見るときにも変なことをしばしば考えてしまう。
(なんで、よりにもよって彼女なんだ)
さすがにそろそろ言い訳するのがきつくなってきているが、まだ認める気にはなれなかった。
(絶対に、違う)
こんな想いは、知らない方が良かった。
そうこうしているうちに、二泊三日の合宿の日が訪れた。一日目の山登りは姫と一緒に歩けるはずだった――のに、他の女子生徒たちに囲まれて邪魔された。
いつも通りと言えばいつも通りのことなのだが、どうにもこうにも苛ついた。
弾き出された姫の様子を窺いながら歩いていると、アベルが彼女に声を掛ける。サイードは姫と一緒に歩けなかったのに、アベルが彼女とふたりきりで歩いていた。
ときどき彼女がこちらを見てくるのは気になるが、問題はアベルだ。ムカつくほどにめちゃくちゃ楽しそうに笑っている。
(お前……!)
そんなアベルを睨みつけていると、アベルがにやりと笑って姫に何かを言う。アベルは彼女をひとりにして、何故かこちらにやってきた。
「なんだ、アベル」
きゃあきゃあと姦しい女子生徒に囲まれながら、人垣の後ろにいるアベルに問うた。
女子生徒たちがアベルのために道を開け、近くに来たアベルがサイードに耳打ちをする。一部の女子生徒が甲高い悲鳴を上げた。
「ベルサイ萌え……!」「尊いッ」という、よく分からない言葉が聞こえる。
「エリエノール様ってやっぱ面白いですね」
「面白いだと?」
「山登りのペア制度なんてみんな守らないと教えたら、『安心して殿下と離れていることができます』なんておっしゃって。しかも殿下が睨みつけていたのが、『殿下はアベル様が隣にいないと寂しい』からだと思っているんですよ。……殿下がちょっかい出したくなるの、少し分かる気がします」
「お前……性格歪んでるな」
自分のことは棚に上げてアベルを罵る。
アベルがちょっかいを出すとするならば、きっとそこそこ黒い内容になるのだろう。彼の瞳は言外に、姫のことを泣かせてみたいと言っているようだった。
(まあ、分からんでもないが)
ちょっとずれていて天然っぽいところが、姫の魅力のひとつだと思う。いま言われた内容はあまりサイードにとっては面白くないものだったが、そんなことを言う彼女を可愛いと思ってしまっているのが現状だ。
からかってちょっと泣かせて、その後に甘やかして慰めたい。ちなみに気持ち悪いことを考えている自覚はある。
ついでに本人よりも早くサイードの気持ちを理解してしまったらしい忠実な従者は、サイードがまったく姫に好意を抱かれていないことも面白がっていた。
人の不幸は蜜の味。それを堂々と楽しむのがアベル・カスティーユという男である。
「ええ、主に似たようで」
「つまり僕が歪んでいると」
「あはははっ」
まったく生意気な従者だと思ったが、図星だった。
山の上まで登ると、館の近くで姫を待った。なかなか来なかった姫はレティシアの友人のカリンと時計を探しているのだと、レティシアが伝えてくれた。
ペアで一緒にいなかったことで先生から少し小言を言われたが、ただそれだけで大した沙汰もなく昼食をとったり飛行魔法訓練を始めたりした。
館にカリンがやってきたとき――姫は、いなかった。
(姫め、何処に行ったんだ!?)
先生が何時間か探しても、彼女は見つからなかった。ちゃんと自分と一緒に歩かせていれば良かったと後悔する。
心配で仕方がなくて、居ても立っても居られずこっそり館を抜け出した。
彼女は魔力を封印されているから魔力探知は使えない。学生証が入っていた鞄は見つかったが、彼女自身は近くにいなかったという。
(まったく、あのお姫様はっ!)
彼女は、言っちゃ悪いが運動神経が良くない。何年も引きこもっていたから仕方ないだろうが、山の中でひとりでいるのだろうと思うとかなり心配だった。
整備された道を外れたら、魔物が出る可能性もある。この山には危険な魔物はそう多くないはずだが、小さな彼女は魔法で攻撃もできなければ逃げられるような脚力もない。もし万が一襲われていたら――。
(いや、不吉なことは考えるな)
だんだんあたりが暗くなってくる。寒い夜に彼女をひとりにさせるなんてできない。早く見つけて、安心させたい。
(安心したいのは、僕の方かもしれないが)
必死で箒を飛ばしていると、不自然な明かりが見えることに気づいた。
(焚き火……か?)
下降して、その明かりのもとへと近づいていく。淡い金色の髪と小さな背中が見えて、思わず駆け寄って抱きついた。花のような彼女の匂いを嗅いで、その身の温かさに触れて。
彼女が無事であることに、すごく安心した。
箒にふたり乗りをすると、彼女は高いところを怖がっていた。その様子がたいへん可愛かったので、面白くてついつい意地悪してしまったが、普段からあんな飛ばし方をしているのではない。
サイードの危険運転のせいでぐったりとしてしまった彼女は、なんとも扇情的だった。力が抜けて動けない彼女を抱えると、優越感を覚えると同時に胸が高鳴る。
彼女と一緒に医務室で食べる夕食は、先生に説教されながらだったがとても美味しかった。
二日目は、なんだか変な気持ちだった。
武闘会の模擬決闘のときには姫がレティシアに夢中になっているのにムカついて、彼女に自分を見て欲しくていっぱい触ってしまった。
服に手を突っ込んだのはやりすぎだったかもしれないが、彼女の声を聞いたらひどく満足した。
服の中はあったかくてドキドキしたし、耳元で囁けば跳ねる肩は面白い。駄目なことは分かっていたのでやらなかったが、彼女の服をもっと開けさせてしまいたかった。
彼女の色白で細い首に触れ、なんとも言えない背徳感を覚える。力を入れたら簡単にへし折れてしまいそうだった。
折ることはないにしても、首を絞めてみたらどうなるだろう。
彼女がサイードのせいで苦悶の表情を浮かべてくれたら、この心は満たされるのだろうか。なんて、恐ろしいことを考える。
(まあ、しないがな)
彼女がいろんな表情をするのは見たいが、苦痛の表情を進んで見たいわけではない。一番見てみたいのは自分に向けられる本当の笑顔だった。
(夢のなかの君は、笑ってくれるのに)
夢という都合の良い世界の中では、彼女はよく笑っていた。
アベルとの模擬決闘では敗北を喫したが、あれは仕方ない。姫の方を窺いながら戦っていたら、彼女がジャンにキスされているような場面を見てしまったのだから。その光景に唖然としている間に、思いっきりアベルに打たれて負けていた。
後になって何か彼女の髪についていたものを彼が取っただけだったと分かったが、誤解しているときは心が大荒れだった。彼女が他の男とキスをすることなんて、考えたくもなかった。
模擬決闘の後の魔物狩りはペアでやるのにも関わらず、開始時刻の少し前に医務室を訪ねると、姫はすやすやと子どものようにねんねしていた。
(可愛い……)
見舞い用の椅子に座り、彼女の寝顔をじっくり眺める。
改めて思うが、彼女は可愛い。出会った日には完全な無表情で暗い雰囲気だったが、少しずつ表情が豊かになって、明るさも見せてきている。
(いっぱい楽しいことをして、もっと笑って欲しい)
今まで向こうの国では、辛いことが多かったのだろう。もう誰にも傷つけられることなく、この国では幸せになって欲しい。
そして彼女の幸福の理由の中に、サイードがいればもっと良い。
(起きるだろうか)
そっと手を伸ばし、頬を撫でてみた。かつては傷痕があった、けれど今は滑らかになった繊細な曲線。
(可愛い)
柔らかいほっぺたを、むにむにと摘まむ。無防備すぎて心配になるほどに、しばらく触ってもまったく起きる気配はない。開始時刻が迫ってきたので、彼女を起こすことを諦めた。
仕方なくサイードは、ひとりで粘液餅たちを串刺しにしたり一角兎を狩ったりした。ひとりにしてはよく健闘してそれなりの成績は取れたが、優勝はレティシアのところだった。
(やはり、国一番の騎士団長の娘なだけある)
彼女はバッサバッサと手際よく楽しそうに、無駄のない動きでひたすらに獲物を狩っていた。彼女は強く、武道ではとても勝てる気がしない。
もはや彼女のペアのロジェに至っては、狩られた獲物たちを所定の場所に運ぶことしかしていなかった。
そしてサイードは魔物狩りで、とあることを思い知った。
(ペアで参加する行事でひとりだと、めちゃくちゃ寂しい)
というわけで、舞踏会には嫌がる彼女を無理やりに連れ出した。
寂しさを埋めたくて、皆がダンスをしているときは彼女に触って遊ばせてもらった。めちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。
(ジャンとは、楽しそうにしてたのに)
サイードの試合をまともに見ずにジャンと楽しそうにしていたことが、サイードはたいへん不満だった。他の男を牽制するように、彼女の頭にキスを落とす。今日くらい許して欲しい。
(踊りたかったな)
彼女は足を怪我しているので仕方ないとは分かっているが、実はサイードは彼女と踊ることを少し楽しみにしていた。どうでもいい女とのダンスはただの義務としか考えられないが、彼女とならきっと楽しめる。
彼女がうまくできなかったら支えてやりたい。足を踏まれても笑って許したい。手を取って腰を抱いて、彼女を近くで感じたい。
次に踊れるとしたら成人祭の日かと、その日に期待することにする。彼女のドレス姿を、勝手に頭の中で想像した。
きっと淡い色が似合うだろう。ちょっと幼いデザインでも、小さな彼女が着ればきっと可愛い。いつもは下ろしているばかりの長い髪を、まとめ上げている姿を見れたりするだろうか。
(どんなドレスを着てくるだろう)
どんなものでも可愛いと思ってしまいそうだが、着飾る彼女を見るのが楽しみだった。
彼女と話したり、彼女に触ったりすると楽しい。
けれど彼女との関係の終わりは、突然にやってきた。
合宿三日目。姫はなんだか体調が良くなさそうで心配だった。いつもより優しく、労ってやろうと努める。
そんな折、彼女の口から放たれた言葉は拒絶だった。
彼女も自分から離れていくのだと思うと、すごく怖かった。
(彼女だけは、離れないで欲しい)
話を聞いているうちに、ようやく繋がった。今まで何人かから聞いていた姫への嫌がらせらしい行為は、サイードのせいで行われたのだと。
ブルイエ先生と相談して、姫を崖から落としたのがカリンだということはほぼ確定していた。それも踏まえると、彼女への嫌がらせの犯人として怪しいのはレティシアの友人である女子生徒四人組だった。
(僕が彼女を嫌な目に遭わせたのか)
サイードがレティシアの婚約者のくせに姫にちょっかいを出していたから、それをよく思わなかったのだろう。姫のことを思えば、サイードは彼女との関わりを絶つべきだった。
(抱きしめたい)
最後に名残惜しくて、ふたりきりだからと言い聞かせて抱きしめた。小さな体を強く抱き、ぴったりと身をくっつけて彼女を感じる。寂しくて切なくて、あの手を離したくなかった。
どうにか周りにバレずに姫に触れることができないかと少し考えたが、ミクから警告されたら完全に心が折れた。姫が虐められるのがサイードのせいで、サイードは彼女の足枷でしかないとはっきり言われた。
風邪をひいてしまった彼女を見舞いに行って、それからは関わることをやめた。
関わるのをやめて、姫はほとんど姿を見るだけになった。
彼女は授業中は黒板を見ているかレティシアを見ているかで、サイードの方なんてちっとも向かない。サイードのことは見てくれないくせに、レティシアのことはいっぱい見ていた。
中間考査では、いつも通りにサイードが一位だった。姫は七位だったが、大談話室にある詳細成績の冊子を見て己の目を疑った。
姫は筆記試験では全科目満点を取っていた。実技試験の代わりに受けている論述試験も、全て最大値の六十点だった。
総合順位で見ればサイードの方が上にいるが、科目によっては姫だけが一位だったり、サイードと姫が一位だったりした。
(なんなんだ、彼女は)
逆恨みするとか、嫌いになるとかはない。でも驚き、困惑はした。
サイードは油断していたのだ。姫は中等部の教育は受けていないし、おどおどした様子から勝手に彼女は自分よりは馬鹿なのだと思っていた。
実際人間関係やコミュニケーションの点においては彼女はめちゃくちゃ不器用で、身体能力もあまり良くない。
(そういうところも可愛いが)
それにしても不思議だった。サイードが影ながら努力した結果なんてなんでもないことみたいに、彼女は満点を取っている。
ジャンと勉強会をしていたことには気づいていたが、そんなに彼女が努力しているようには見えなかった。彼に勉強を教えるときは頑張っていたようだが、良い成績のために頑張るという姿勢はまったくなかった。
順位なんて興味なさげで、試験のときも早々に解き終えたらだらだらとつまらなそうにしていた彼女が、満点。〝神の血をひくお姫様〟ゆえの優秀さなのだろうか。
「虫食い姫って、意外と頭良いのね?」
「さあ、でも虫食い姫のことだから何か不正でもしたんじゃない? 彼女が七位なんてとても信じられないわ」
(――虫食い姫?)
姫は人から名で呼ばれることが少ない。皆の話題に上るときには、「隣国の姫」とか「神の姫君」とか「深窓の姫」だとかと呼ばれている。彼女と親しい数少ない人たちだけが、彼女の名を呼んでいる。
(そういえば僕も、本人の前では呼んだことがないな)
彼女の名前を、「エリエノール」と呼んだことがない。敵だからその存在を認めたくなくて「姫」と呼び続けていたが、最近は「エリエノール」と呼びたいと思うようになってきていて、ひとりのときにはこっそり呼んでみたりしている。
けれど彼女に話しかける機会があまりなく、そもそもいきなり呼び方を変えるのは勇気がいることだったために、ぐだぐだと「姫」と呼び続けているのが現状だ。
そんなことを考えながら周りの声に耳を傾けていると、やはり「虫食い姫」は彼女の新しい渾名のようだった。
しかも「気持ち悪い」とか「変な子」という声も同時に聞こえるから、悪い意味の渾名なのだろう。彼女が傷ついていやしないかと心配になった。
夕方に魔法薬自習室で彼女を見つけ、声を掛けてみた。彼女は虫を料理して虫を食べているのだという衝撃的な話をしてくれた。
心配無用なくらいに彼女はさっぱりとしていて、なんだか拍子抜けだ。虫について語る彼女は、表情はさほど変わらないながら声色は少し楽しそうだった。
(彼女が楽しそうなら、まあ良いか)
虫料理を食べたいとは思わないが、彼女が頑張っていることなら応援したい。
彼女とあまり関われないことは辛いが、彼女が幸せでいてくれるなら陰ながら見守るだけでも良い。そう思った。




