21. 姫へ抱く想い
【注意(?)】
アベルがサイードに壁ドンします
「おい、アベル。……姫のことなのだが」
「はい。何ですか殿下」
四月の二十日の水曜日の夜、サイードは学生寮にあるアベルの部屋に来ていた。伯爵家の息子であるアベルの部屋は、サイードの部屋のひとつ下の四階にある。
わざわざこうして彼の部屋を訪ねたのは、相談事があったからだ。サイードはよく彼を訪ね、最近困っていることを口にする。今日の悩みは姫のことだった。
「姫の弱みが見つからない」
彼女はサイードの王位継承を脅かす敵である。しかし彼女を傷つけたくはない。
最近はどうにか弱みを握って彼女が王位継承に相応しくないことを証明しようとしていたが、それは難航していた。
「まさかとは思いますが、普段のあれは弱み探しのおつもりですか?」
「ああ、そうだ」
アベルは盛大にため息をついた。そのやれやれと呆れたような顔をキッと睨みつける。
「何だ? 何かおかしいか?」
「ええ。ご自分の行動をよく思い出してみたらいかがですか?」
サイードは、ここ最近の自分の行動を思い返してみた。入学式の日から二週間、自分が姫に何をしてきたということを。
姫とサイードが一緒に授業を受ける時間は多いわけではない。彼女は特別な時間割を組まれていて、他のAクラスのメンバーが受けている授業に出ないことがあるからだ。
しかし一緒の授業のときは、姫は隣の席である。サイードは授業中、彼女にちょっかいをかけていた。
『姫は何か嫌いなものはあるか?』
始まりはある日の魔法史の授業。紙にそう書いて姫の机の上に置いた。
彼女はちらりと無表情でサイードを見てからその紙を見ると、おずおずと紙を指先で押してそのままサイードの机に返してきた。
『無視するな。何か書いてから返せ』
そう書いてまた机の上に紙を置く。姫は今度は何かを紙に書いてからサイードに返してきた。
見ると小さな繊細な字で、『授業中ですので集中してください』と書いてある。
書いてくれたのは良いが、これでは質問に答えてもらっていない。新しい紙に今度は命令形で『嫌いなものを教えろ』と書いた。これは弱み探しだから、何か情報を吐いてもらわねば困るのだ。
それに対する姫の回答は『特にありません』だった。なんと素気ないことか。しかし本当に嫌いなものがないなんてことはないだろう。
彼女がわざわざ考えなければならない答えを書かなかったのは、きっと面倒くさかったからだ。
たいへん不服だが、彼女にとってサイードは、面倒くさいことをしてまでコミュニケーションを取りたい相手ではないのだろう。
今度は「はい」か「いいえ」で答えてもらえる問いにしようと、『虫は嫌いか?』と書いた。ぱっと思いついた、人々に嫌われるものの代表格。
自分も虫は好きでないし、多くの女性は虫が嫌いなはずだ。姫はそれを見ると素早く答えを書き、サイードに返してきた。
『いいえ』
思わず紙を二度見した。いや、さらに四度見くらいした。本当に彼女に嫌いなものはないのだろうか。それなら弱み探しは難航しそうだ。
サイードはまた、前にもした質問を紙に書いた。ぱっと思いついた彼女が嫌いそうなものではなく、単に自分が知りたかったことを。
『僕のことが嫌いか?』
姫は紙を見て、今度は手を止めた。サイードを一瞥してから、のろのろと紙に文字を綴りだす。彼女の答えを緊張して待つ。
『嫌いではありませんが、殿下に対する好意は全くありません』
その答えを見て、少し落ち込んだ。明らかな拒絶である。あるいは無関心。
虫には即答できたのにサイードに対する答えはこれだなんて、彼女にとってサイードは虫けら以下ということだった。
サイードは日夜、敵である彼女のことばかり考えているというのに、向こうはサイードのことなんてどうでもいいらしい。ムカつく。
「……何ですか」
姫が小声でそう言った。サイードは気づけば彼女の右手首を掴んでしまっていたのだ。これでは彼女はノートをとれない。
ぱっと手を離したが、このとき気づいてしまった。
触れば、彼女は自分を見てくれるということに。
それ以来サイードは授業が一緒になるたびに、毎度必ず『僕のことが嫌いか?』とその他の質問とを書いた紙を彼女に渡し、またしょっちゅう彼女の腕やら髪やら背中やらに触れて気を引こうとしていた。
紙を渡せば答えを書いてくれるし、触れば彼女はサイードを見てくれるが、その表情はほとんどいつも無である。でもたまーに何か反応を見せてくれることもあり、そういうときは面白い。
まだ笑みを見せてくれたことはないが、ほとんど無の中にある戸惑いや嫌悪の情は分かるようになった。
あとこれは知りたかった弱みとは少し違うが、彼女はきっと耳が弱い。触ると肩がぴくんと跳ねて楽しいのだが、あんまりやっていると睨みつけられるのでほどほどにしている。
「――貴方は、授業中エリエノール様といちゃついているだけではありませんか」
「馬鹿言え。あれはだな……」
弁明しようとして言葉を止めた。質問して弱みを手に入れようとしていたのは事実だが、あんなに触れる必要はあっただろうかとふと考える。
思えば姫に触れはじめたのは、弱みを探るのとは全然関係ないことがきっかけではないか。彼女がサイードに無関心なのが気に入らなくて、触って気を引こうとした。
(……幼稚すぎる)
改めて考えれば、サイードはただのかまってちゃんだった。彼女の前では調子が狂い、今まで気づいていなかった面倒くさい自分と向き合うことなる。
頭を抱えつつ、どうにか言い訳を考えた。
「……姫と親しくなれば、弱みを握りやすくなるであろう? 触れれば姫は僕に興味をもってくれる」
こんな言葉が出たのも結局、自分は女性に好かれる人間なのだと信じきっていたからだろう。幼少期から続くその認識は簡単には変わらない。
それに色仕掛けで惚れさせて屈服させる作戦の一環だったということにすれば、サイードは気分的に落ち着いていられるのだ。彼女に振り回されているのではなく、作戦で動いているだけだと、自分を正当化できた気になる。
「お言葉ですが、そのつもりなら逆効果ですよ」
「何?」
その言葉を聞いて、眉間に皺を寄せた。逆効果ということはつまり、サイードの行動が事態を悪化させているということだ。
アベルはまたため息をつく。
「エリエノール様は、殿下のことを怖がっていますから。あんまりしつこいと、親しくなるどころかもっと怯えられますよ。というか殿下、授業初日のことは反省していらっしゃないのですか? 優秀なはずの殿下なのに、いつになったら理解されるのでしょう」
「あの日のことは反省している。だからあれ以来どこにもキスはしてないし――いや、今日は髪にはしてしまったが――授業中以外には彼女に触っていない」
婚約者がいながら別の女性の体にキスなんてしてはいけないだろうと、後になって思い出した。また、彼女に触れているのが万が一見つかれば困ることになりそうなことも分かっていた。
実情は友だち未満の親しさであれ、サイードと彼女は、男と女なのである。下手に誤解されるわけにはいかない。
だからサイードは、授業中に周りにバレないようにこっそり触っているだけである。大真面目に、きちんとあの日の反省を活かして行動しているつもりだった。
「そういうことではありません。それに、貴方が授業中にエリエノール様に触っているのは幾人かには知られていますよ。特に今日の魔法薬のときのはまずいです。何故髪にキスなんか?」
「……やるつもりはなかったんだが、つい抱きしめたくなって。それで抱きしめる代わりに髪に触ったらすごくいい匂いがして、キスしてしまいたくなった」
今日の「魔法薬基礎」の授業は教室ではなく実験室だったので、席の配置がいつもと違う。実験室の方が自分の行動が人目につきやすいので、実験室では触らないつもりだった。
ただ、姫が「魔法薬を初めて見た」と言うからいけないのだ。傷を負っても薬を貰えた事がないなんて、屋敷での彼女への対応はあんまりだと思った。
だからついつい、慰めたくて抱きしめようとしてしまったのである。それはなんとか踏みとどまれたが、髪に触れたら柔らかくていい匂いがして綺麗で、つい口付けてしまった。あれは不可抗力だ。
あと、魔法薬を見つめる彼女の瞳がとてもキラキラとしていて、可愛かったのも悪い。
「ちゃんと抑えてください。貴方があんまりエリエノール様に触れていると、他の令嬢たちが嫉妬しますよ。それにあのときはレティシア様も絶対に見てました」
「レティシアが?」
こんなことを思うなら触れるなという話だが、他の女性にべたべた触れていることを婚約者に知られるのは決まりが悪い。
「ええ。普段の授業のまで見られているかは分かりませんが、今日のは確実に」
「……彼女の様子はどうだった?」
「特に何も。無表情で殿下のことを見てましたね。――そんなことより殿下。ちょっと一旦立ってください」
「何だ、いきなり」
そうは言いつつ、椅子から立ち上がった。アベルがなんだか黒い笑みでこちらに近づいてくる。
「何だよ」
「いえ。ただ殿下に理解させたいだけですよ。ちょっと壁際まで移動していただけますかね」
「なんでだよ」
「いいから」
アベルの謎の気迫に圧されて、壁まで移動した。サイードの方がアベルより背が高いはずなのに、見下ろされている気分になる。
アベルは何を思ったか、サイードの両脇にある壁に手を突いた。
「……何の真似だ」
「殿下にも同じ気分を味わっていただこうかと。先日語ってくださった通りに」
「おい、アベル……?」
アベルが右手でサイードの頬に触れて撫で、そこから首へと手を滑らせる。いやらしい手付きで撫でられて、気色悪さに顔を顰める。項と腰に手を回された頃には、全身に鳥肌が立っていた。
(やばい。なんか、やばい)
空気が重く、変な雰囲気になっている気がする。まかり間違えば、何か重大な事件が起こるような予感がした。無理だ、逃げたい。
「お前、気でも狂ったか?」
「ああ、そういえば目を瞑らせるのでしたっけ。じゃあ殿下、目を閉じてください」
こんな状況で目を瞑るなんてまずいだろう。そんなことをしたら、この変なアベルに何をされるか分からない。
「断る。アベル、いい加減にしろ」
「……」
「アベル!」
アベルの顔がサイードの顔に近づき、ようやく気がついた。アベルはあの日サイードが姫にした行動を、そのままサイードにしようとしているのだと。
「殿下、目は瞑らなくてよろしいのですか? 男から頬にキスされているところが見たいのですか?」
「アベル。やめろ。本当にやめろ」
アベルの唇が本当にすれすれのところまで近づき、思わず身が強張った。唇はそのまま頬のそばを通過し、耳元で囁く。
「殿下に好き勝手に触られて、エリエノール様は可哀想ですね。はぁ……」
「耳に息をかけるな! 気持ち悪い……ああ、そうだな。僕が悪かったから! 分かったから、もう、やめてくれ!」
この状況にとうとう耐えられなくなり、アベルの顔を乱暴に押し退けた。灰色がかった青い瞳が、冷ややかにこちらを見ている。
「ようやく分かりました? 好きでもない相手に触られるのが、どれだけ嫌なことか」
「ああ。分かった。分かったから、もう離れてくれ」
「はい、殿下」
アベルがようやく離れると、サイードは冷や汗を拭った。
アベルのことは友人や従者としては好いているが、恋愛対象としては好いていない。キスなんてする仲にはなりたくない。
それはアベルも同様のようで、眉間に皺を寄せてハンカチで自分の手を拭いていた。
「エリエノール様にあのように触るのはもうやめてください。エリエノール様も嫌でしょうし、一部の令嬢が嫉妬して危害を加えるやもしれません」
「ああ、分かった。もう本当にしない」
「……殿下のそのお言葉、信じますからね」
「ああ」
人に触られることで嫌悪感を覚えることもあるのだと、いま初めて身をもって知った。その気持ちを知ってなお、無闇やたらに姫に触れようとは思えない。
「……もう、しない」
そう呟く声は、情けないまでに弱々しかった。もう自分がどうしたいのかよく分からなくて、心のなかがぐちゃぐちゃだ。
〝神の血をひくお姫様〟は、王太子であるサイードの敵。
打ち負かさないといけない。王位継承権を彼女に奪われてはいけない。
彼女がただの敵だったら、傷ついてもどうでもいい存在だったら、サイードは自分のためにもっと酷い手段を取れたはずだった。
(……嫌なことを、考えるものだな)
人は権力で動かせる。彼女を潰すのは、やろうと思えば簡単なことだった。
魔法も使えないか弱い女の子なんて、適当な男を雇って襲わせれば簡単に貶めることができる。そこそこの貴族令息との間に子どもでも拵えさせれば、彼女はそこの嫁となって、王妃になることも王になることもできなくなるだろう。
なんて、そんなことを思いついた自分に吐き気がする。最悪だ。
(でも……彼女が愛する人と結ばれれば、円満解決か?)
きっとただ彼女が他の男と愛し合っているというだけでは、父王は彼女を抱くことを諦めない。が、どうにか彼女を他の男と結婚させるところまで持っていければ、誰も傷つかずに解決できるのではないか。
(問題は……僕が、それを嫌だと思っていることだ)
サイードは内心苦笑する。いったいどういうわけか、姫が他の男と愛し合って結婚すると考えると、ものすごく嫌な気分になったのだ。
姫の笑顔を見たい。笑顔だけじゃない、彼女の全てを見たい。もっと触れたいし、彼女の匂いに包まれていたい。
魔法を見ると目を輝かせる彼女に、もっといろんな魔法を見せてやりたい。彼女の瞳に光を宿らせたい。
彼女を、サイードのせいで幸せにさせてしまいたい。
(まさか……な)
思いついたひとつの単語を、頭を振って、なかったことにする。そんなはずはない。
彼女はサイードの王位継承を脅かす敵で、父王の妃になれば母を悲しませる存在。自分が王位を勝ち取り、かつ妃にならせずに済めば万々歳。それだけのはずだ。
(抱きしめたいと思うのも、キスをしたいと思うのも。冷たい彼女が気にいらない、だけだ。……あの悲劇を、思い出せ)
父王が欲のままに女を迎え、嫉妬に狂った他の女が起こした惨劇を。
二度とあんな悲劇は起こさせまいと、幼い頃に立てた誓いを、忘れてはならない。
(僕は、レティシア以外の女を愛してはいけない)
レティシアのことは、婚約者として、将来の同伴者として、好ましく思っている。サイードが他の女に余計な感情を抱かなければ、レティシアとうまくやっていけるはずなのだ。
幼い頃からの婚約者。妹のように可愛く、姉のように頼りになるときもあるレティシア。彼女への恋をできていないだけで、大切に思っていることは確かなことだった。
(小さなお姫様のことも、妹のように思ってしまえれば良い)
厄介な感情には見ないふりをする。
彼女へ抱く想いになんて、気づかなければ良い。




