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宿を取り、馬を任せ、シャジーチは三人を風呂屋へ連れて行った。高い宿でないにしても、身綺麗にしておいたほうが良い関係でいられる。誰にせよ、相手にするなら綺麗な相手がよい。何度となく聞いた父の教えを思い出す。良い客が良い店を作る。悪い客を許せば店が潰れる。旅商にせよ店商いにせよ、それだけは譲るな。商いに触れればそれが正しかったのだとわかる。良い客の連れてくる客は良い客だ。悪い客は悪い客を呼ぶ。きっと客の間にも許す、許さぬの取り決めがあるに違いない。
風呂屋に身を任せ湯船に漬かる。髪や髭を整えるにしても信用のおける誰かにやってもらうというのは気分が良い。横に置かれた砂時計の砂が落ちていくのを眺めながらシャジーチは目をしばたいていた。眠りに落ちるような、落ちないような。湯のちゃぷちゃぷと音が聞こえ、外では従業員の話す声が聞き取れぬ程度に鳴っている。
一時、雲に隠れた太陽が世界を闇に染めた。
シャジーチは夜が来たのだと思った。身綺麗にして一番の客に会いに行かねばと思っていたのに。前もって話などしていない。鳩でも飛ばせれば違うのだろうがそういうわけにもいかず、それもやはり巡り合わせだろうと諦めるしかない。自分はなんと小さな存在なのだろうと折々に思うのはこうして誰かに会いに行こうと思っているからなのだろう。その人にとってどれだけの者として思われているだろうか。会えず、是非会いたかったと思われているだろうか。それとも、つまらぬ器ばかり持ってくる端商人とでも思われているだろうか。町長にも会わねばならぬ。挨拶しておかなければ面倒が起こる。町長が代わっている、変わっているなら面倒が増える。目を閉じ、目を開ける。砂時計の砂はまだ残っている。
雲が割け、太陽はあたりを照らす。
シャジーチは大きな大きな欠伸をして背を伸ばした。眩む目をきつく閉じてしっかりと立つ。大きく息を吸って吐き、体を拭いて服を着た。湯船を惜しむ気持ちはある。しかし、砂時計がいくら砂を残していようと、相手の時間は限られている。
会いに行くなら時間を選べ、選ばず会うなら土産を渡せ。時間を選んで土産を持っていく気になるのなら、それが良い客だ。
あの人、時間まだ余ってるのに
違うのよ。あの人は忙しいの。連れの三人はまだでしょう? あんたにはわからないかもしれないけどね。
そういうものなんですね
そうそう。あんたは物分かりがよくて助かるわ。お客にはお客の事情ってのがあるのよ。
風呂屋の女中達の会話を背中で聞きながらシャジーチは出て行った。時間が残っているだの何かいたらぬ点がどうのと時間を取られるのは面白くない。そういう意味でもこの風呂屋を気に入っていた。特にああだこうだと言い合ったこともなく、ただここが良いと決めて入った風呂屋だ。商売人としてこうやって良い物、良い商いを見つけるというのは誰に言うでもないが誇らしいものだ。そしてふとあそこの風呂屋がよいと漏らすのも人生の楽しみと言える。商人達は互いにそういった秘密を持っている。その秘密が思いもよらず同じものだったとき、話の種にして笑うのだ。
濡れた体に風は少し冷たく、日差しは露を払うように温かい。少しばかり湯気の立つ自分を物珍しげに眺め、道に落ちた小石を一瞥する。街並みは変わらず、同じ店に同じ顔が並んでいる。時折覚えのない顔があればやはり若い。すれ違う者達はみな何を何と思うでもなく日々を過ごしているように見える。昼下がりの通りは疎ら。どちらかといえば老いた者が多い。この町も老いているのだろうか。
シャジーチは宿に戻り、馬に二つほど荷物を括って町長の家を目指した。荷物の中身は皿が四枚。三枚まで選んで買える、というのが町長の気に入った遊びだった。質を考えれば確かに安い。しかし、それはそこらの農夫に易々と買える値段ではない。すべて買おうと言える中で選ぶ。限られた中での選択を町長は楽しんでいるのだろう。
町長の顔を思い出す。額に縦の一本皺が深く刻まれ、白く染まった眉がハの字に垂れている。潰れた鼻と真一文字に結ばれた口はそれだけで困ったような顔に見える。なんとも困り慣れた顔だ。実際、穏やかでいられる時間は少ないだろう。ひっきりなしの相談事や町の作り、直し、商人が立ち寄れば相手をする。訪ねる、そう、訪ねる度に飾られる皿が変わっていたことも思い出す。毎度選んだ中の一枚。他の皿は一体どこへ消えたのだろう。
二階建ての役場は忙しそうに事務方が騒いでいる。あれやこれや、これはそこに、届け出はあっちへ。小さな町とはいえ、役場が小さすぎるのではないかとも思える。受付は見たことのない若い娘。器量がよいとは言えないが見苦しいとも思えない。
「町長に会いたい」
「はあ。商人さんですね。二階におられます」
受付の娘は頭を下げてから答え、立ち上がって前を歩いた。古階段の傷は増えているものの、歩いた人は多くない。同じ場所を同じように、似たような傷がついている。
少し大きめの二枚扉。塗り直された跡もなくノッカーも簡素なまま。娘がノックし、返事を待つ。時間としては悪くない。午後の休憩時間くらいだろう。
「開いている」
大きな声だ。しかし、語気を荒げるような風でもない。娘は一礼して下がり、受付へと戻っていった。
シャジーチはゆっくりと扉を開け。静かに閉じてから頭を下げた。
「おお。お前さんか。また皿を持ってきたのか?」
「ええ、まあそんなところです」
「まあ座れ」
木の長椅子がテーブルを挟んで置かれている。花瓶が一つ。花は挿されていない。
「皿は嫌いですか?」
机の上にはやはり皿が一枚飾られている。持ってきた皿も無駄にはなりそうにない。
「はは、そんな風に聞こえたかね。まあ、あんたのことは信用してる。好きに商売してくれて構わん。アガリは一割でいいかね?」
町長はにんまり笑って言った。嬉しそうに話してくれるというのは気持ちがいいものだ。
「それを聞いて安心しましたよ」
シャジーチは荷物をテーブルに置いた。
町長は寂しげな目でそれを見て呟くように言う。
「……歳を取ると自分にはなにもないのが分かってきてな。どうにもなにかこう、これを持っているんだという自慢が欲しくなるんだよ。あんたはまだ若いからそんなこともないかもしれんがね。そして自慢ばかりだと周りが離れていくのも分かる。買って愛でては人に配るのさ。儂にはあんたの持ってくる皿以上のものがない」
「そんなものですかね。町長としてうまくやってらっしゃると思いますけども」
「そんなこともあるまい。あんたも町が歳をとったのがわかるだろう? 毎日見ている儂らよりもずっとよくわかるはずだ」
町長は外を見て言った。シャジーチもつられて同じ方を見て答える。
「それはまあ、確かに」
「だろう。うまいこと人を育てようとしてもこれがなかなか、難しいものよ。儂にも孫ができたくらいだが息子も跡を継ぐほどには育たんかった。儂のようなのがいつまでも町長をやらねばならんというのも寂しいものよ」
「でもあなただからこそ私はこうやって商売がやれてるんですよ」
町長は満更でもなく、緩んだ顔をわざとらしく顰めた。
「んむ。まあ、なんともいえんが。まあいい。皿を見せてくれ」




