第80話:第73層の例外処理(イースターエッグ)と、迷宮内の完全休息
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第67層の『瘴気の森』を抜けた後も、『三律の連環』の歩みは極めて順調だった。
不要なタスクを削ぎ落とし、リソース管理を徹底した彼らのシステムは、続く階層群を一切の危なげなく突破。そしてついに、未知の領域である第73層へと足を踏み入れた。
「……警戒を怠らないで。これほどの深層よ、環境デバフか、見えない罠が仕掛けられているはずだわ」
ミクの厳しい号令の下、全員が『ゼロトラスト・モード』でじりじりと前進する。
第73層は、淡い光を放つ水晶が壁面に群生する、幻想的な洞窟エリアだった。視界は良好だが、それが逆に不気味さを煽る。
『――前方より魔物接近! 数は三!』
ユリウスのセンサーが反応し、前衛のガストンとヴァレリアが即座に構える。
現れたのは、硬い甲殻を持った二足歩行の魔物――『シザー・ビートル』だった。
「来るぜ! アタシが先陣を――」
「待てヴァレリア、敵の挙動が少しおかしいぞ」
大盾を構えたガストンが訝しげに眉をひそめる。
深層の魔物特有の「殺意に満ちた超高速の突進」がない。それどころか、フラフラと歩幅が合わず、まるで中層で遭遇する下級エネミーのような緩慢な動き(ロースペック)だった。
「……ええい、手加減なんてしてやらないよッ!」
ヴァレリアが戦斧を軽く振り抜く。
バキィッ! という呆気ない音と共に、シザー・ビートルの甲殻は紙細工のように粉砕され、三体の魔物は一瞬にして光の粒子となって消滅した。
「……えっ? 脆すぎないかい?」
「中層レベルの耐久値だぞ。深層の敵にしては、明らかに処理が軽すぎる」
拍子抜けした前衛陣。だが、次の瞬間、彼らの目を疑う光景が広がった。
魔物が消滅した跡に、ゴトリと重々しい音を立てて『ドロップアイテム』が落ちたのだ。
「こ、これは……『純度99%の特級魔力結晶』!? 普通ならフロアボス(階層主)クラスを倒して一つ落ちるかどうかの、超レアアイテム(最上位アセット)よ!?」
ミクが血相を変えて結晶を拾い上げる。
さらに、ユリウスが周囲の壁面をスキャンし、驚きに目を見開いた。
「ミク、壁に群生している水晶だが……ただのオブジェではない。すべて、最高品質の『霊薬の原石』だ。少し削り取るだけで、市場なら金貨数十枚で取引される代物が、そこら中に山のように生えている」
「……罠よ」
ミクが青ざめた顔で双剣を構え直した。
「明らかにゲームバランス(ドロップ率)が崩壊しているわ! この階層全体が、欲に目が眩んだ冒険者を引き寄せるための巨大な罠(悪意ある仕様)に違いないわ! 最後にとんでもない強敵が待ち構えているはずよ! 全員、絶対防衛陣形を維持!!」
PMの悲痛な警告に、全員が冷や汗を流しながらゴクリと喉を鳴らす。
異常なほど弱い敵。異常なほど高品質な報酬。
それはまさに、巨大なシステムの裏側に隠された「落とし穴」の前兆にしか見えなかった。
彼らは壁面のレア鉱石には一切目もくれず、現れる中層レベルの魔物を過剰なまでの火力で瞬殺しながら、滝のような汗を流して最深部へと進んだ。
そして数時間後。
彼らはついに、第73層のボスエリアと思われる、巨大なクリスタルで装飾された最奥の扉の前に到達した。
「……行くわよ。この奥に、この狂った階層の元凶(管理者)がいるはずよ」
「おう……! どんな理不尽な火力が来ようと、俺の盾で絶対に防ぎ切ってやる……!」
ミクとガストンが、決死の覚悟で重い扉を押し開ける。
六人は一斉に部屋の中へと雪崩れ込み、それぞれの武器を構え――そして、完全にフリーズした。
そこにあったのは、透き通るような美しい地底湖と、柔らかな光に包まれた苔の絨毯。
魔物の気配は一切ない。それどころか、部屋の中央には『完全回復の泉』がコンコンと湧き出し、傍らにはご丁寧に「ご自由にどうぞ」と言わんばかりの超高品質な果実が実る樹木が生い茂っていた。
「…………えっ?」
ミクが双剣を取り落としそうになる。
ユリウスが何度も杖で空間をスキャンし、ルカも魔力探知を張り巡らせるが、結果は同じだった。
「……罠、なし。敵性反応、ゼロ。毒素、なし。それどころか、この空間の空気を吸っているだけで、体力が全回復していく」
ユリウスが、信じられないというように呟く。
「……これ、システム開発の業界でたまにあるやつだわ」
ミクが、ガクッと膝から崩れ落ちて深い溜息を吐いた。
「開発者(迷宮の創造主)が、お遊びでこっそり仕込んだ隠し要素。敵は極端に弱く、報酬だけが異常に高く設定された、完全な『ボーナスステージ』よ……!」
その言葉に、数秒の沈黙が落ち。
直後、極限の緊張状態から解放された前衛陣が、ワハハハハッ! と腹を抱えて爆笑し始めた。
「傑作だ! 死ぬ気で身構えて飛び込んだ先が、極上のリゾート地だったなんてな!」
ヴァレリアが戦斧を放り投げ、ふかふかの苔の絨毯に大の字で寝転がる。
「おいおいPM! 石橋を叩き割るどころか、そもそも下に川すら流れてなかったじゃねえか!」
ガストンも分厚い鎧をガシャガシャと脱ぎ捨て、地底湖の水でバシャバシャと顔を洗い始めた。
「うぅ……っ。だって、こんなのPMとして疑うのが当然じゃない……!」
顔を真っ赤にして抗議するミクの頭を、ガルドが笑いながら大きな手で撫でる。
「いいじゃねえか。結果的に、安全にリソースが潤ったんだ。……たまには、この迷宮からのご褒美ってやつを、素直に受け取っておこうぜ」
ガルドの言葉に、ミクもようやく肩の力を抜き、ふにゃりと笑った。
「そうね……。ここまで神経をすり減らして(オーバークロックして)進んできたんだもの。たまには、アイドル状態(待機)のまま時間を無駄遣いするのも悪くないわ」
いつもなら「街に戻るまでが遠足よ」と急かすミクが、自ら双剣を置き、柔らかな苔の上に腰を下ろした。
ルカが地底湖の清らかな水を汲み、持参した茶葉で温かいハーブティー(リフレッシュパケット)を淹れ始める。ユリウスもまた、壁面から上質な魔力結晶を興味深そうに採取しながら、どこか楽しげな表情を浮かべていた。
死と隣り合わせの迷宮のド真ん中。
しかし第73層の例外的なバグ(ボーナス空間)は、『三律の連環』の六人に、街の酒場以上に穏やかで、満ち足りた完全休止のひとときを与えていた。
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