第38話:分断の危機と、露呈した第三の欠陥(バグ)
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迷宮第50層。
かつて賢者ユリウスたちが順調に突破し、そして現在、ミクたちが目標として定めた中継地点の階層主が待つ領域。
周囲の壁は血のように赤い鉱石で覆われ、脈打つような不気味な魔素の光を放っていた。
「ボスの部屋まで、あと少しね。……全員、リソースの残量は?」
「魔力、体力共に80%以上を維持している。いつでもいけるぞ」
ミクの問いにルカが答え、ガルドとアリアも頷く。
これまでの階層は、彼らが構築した「標準連携」と二つの「例外処理プロトコル(パターンA・B)」によって、完璧な安定稼働を続けていた。
だが、迷宮は彼らの論理の隙を、どこまでも冷酷に突いてくる。
ボスの部屋へと続く大回廊に差し掛かった瞬間。
天井の赤い鉱石の陰から、音もなく黒い影が『八つ』降り立った。
四本の腕を持つ、類人猿のような凶悪な魔物――『アビス・マカク』。
深層の魔物特有の高度な知能を持つ彼らは、ミクたちを視認するや否や、まるで訓練された軍隊のように『二つの部隊』へと分かれた。
四匹が前衛のミクとガルドへ向かって正面から突進し。
残りの四匹が、大きく壁を蹴って左右に散開し、後衛のルカとアリアの死角へと強襲を仕掛けてきたのだ。
「なっ……前衛と後衛への『同時攻撃』だと!?」
ルカが驚愕の声を上げる。
「例外処理、パターンA!! ガルド、下がって後衛を護って!!」
ミクは咄嗟に、後衛強襲時のプロトコルをコールした。
「おうッ!!」
ガルドは正面の敵をミクに任せ、即座に反転してルカとアリアの盾となるべく後退する。
ルカとアリアも、ガルドの周囲に泥沼と氷の茨を展開し、絶対防衛ラインを構築した。
だが、その瞬間。ミクは己の指示が引き起こした『致命的なバグ』に気づき、血の気を引かせた。
パターンAは、「敵の群れ全体がヘイトを無視して後衛を狙った場合」を想定した処理だ。
しかし今は違う。敵は『分断』しているのだ。
「ウガァァァァッ!!」
ガルドが後退したことで、前線に取り残されたミク。彼女の周囲を、正面から突進してきた四匹のアビス・マカクが完全に包囲した。
(しまっ……私一人じゃ、四匹同時の猛攻は捌き切れない……ッ!)
ミクの最大の武器は「回避」と「誘導」だ。タンクであるガルドが重い一撃を受け止めてくれるからこそ、彼女は自由に戦場を舞うことができる。
しかし今、頼みの盾は遥か後方。
四匹の巨猿から四方八方で繰り出される計十六本の腕の乱打を、ミク一人で回避し続けることなど、物理的に不可能だった。
「くっ、シィィッ!」
ミクは双剣で必死に防御するが、重い拳が剣の腹を叩き、その衝撃で腕の感覚が麻痺していく。回避のステップも、四匹の連携の前に完全に封じ込められてしまった。
「ミク!! くそっ、俺が前線に戻る!!」
ガルドがミクの危機に気づき、前線へ駆け戻ろうとする。
「ダメだガルド、動くな!!」
ルカが叫ぶ。ガルドがミクのカバーに入れば、今度は後衛を狙っている別の四匹が、防衛ラインを突破してルカとアリアに襲いかかってくる。
パターンB(物理特化・デバフ展開)に切り替えるか?
いや、それも不可能だ。パターンBは前衛二人が攻撃に回り、後衛が敵の動きを阻害する戦術。後衛を直接狙い撃ちにしてくる今の敵の配置では、ガルドの盾なしにルカとアリアは数秒も保たずに蹂躙されてしまう。
システムが、完全にデッドロック(機能停止)に陥った。
前衛を守れば後衛が死に、後衛を守れば前衛が死ぬ。
「がはっ……!」
ついに、一匹の拳がミクの腹部を捉えた。
ミクの小柄な体が吹き飛び、赤い鉱石の壁に激突する。
「ミクさん!!」
アリアの悲痛な叫び。
追撃に向かおうとする四匹の巨猿。
(……死ぬ。このままじゃ、本当に……!)
ミクは薄れゆく意識の中で、腰のポーチに手を伸ばした。
「ルカ、アリア……! 『水蒸気爆発』を……私の目の前に撃って!!」
「なっ……正気か!? お前まで巻き込まれるぞ!」
「いいから!! ガルド、衝撃に備えて!!」
ミクはポーチから『煙幕玉』を三つ同時に取り出し、自らの足元に全力で叩きつけた。
ボンッ!! と濃厚な煙がミクと四匹の巨猿を包み込む。
「……アリア! 出力を30%まで絞れ! 彼女を信じて撃つぞ!!」
「は、はいっ!!」
ルカとアリアが、煙幕の中心――ミクがいるはずの座標に向けて、魔法を放つ。
直後、ミクは残された最後の力で『ワイヤーアンカー』をガルドの大盾に向けて射出した。
「おらぁぁぁッ!!」
ガルドがワイヤーを力任せに引き寄せる。ミクの体が、煙幕の中から弾丸のような速度でガルドの元へと引っ張られた。
そのコンマ一秒後。
ミクのいた空間で、水蒸気爆発が炸裂した。
ドゴォォォォォンッ!!
煙幕ごと四匹の巨猿が吹き飛び、その爆風がガルドの大盾に叩きつけられる。
なんとかミクを回収し、爆風を凌ぎ切った後衛陣。
だが、まだ終わらない。
「ガァァァァッ!!」
爆風を避けて防衛ラインの死角に回り込んでいた残りの四匹が、ミクを抱えて身動きの取れないガルドに襲いかかる。
「させない……! 『広域氷結』!!」
ルカが杖の魔力結晶を砕きながら、限界を超えた魔力で周囲一帯の空間を強引に凍結させた。
足元を凍らされ、動きが鈍った四匹の猿。
「これで……終わりですッ!!」
アリアが涙声で叫びながら、ありったけの魔力を込めた『火炎放射』で、凍りついた敵を包み込み、焼き尽くした。
「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
すべての敵が光の粒子となって消えた後。
大回廊には、限界を超えた四人の荒い息遣いだけが響いていた。
「……ミク! おい、大丈夫か!」
ガルドが抱きとめたミクをそっと床に下ろす。ミクの口の端からは血が流れ、全身が打撲で青ざめていた。
ルカがすぐに治癒魔法を展開するが、彼の顔も魔力枯渇で蒼白だ。
「……ごめん、なさい……。みんな……無事、ね……」
ミクが弱々しく微笑む。
「無事じゃねえよ! お前、あと一秒ワイヤーを撃つのが遅れてたら、爆発で死んでたんだぞ!」
ガルドが珍しく声を荒げる。
「……ああ。今回は、完全に君の機転とアイテムに救われた。……私たちのシステムは、完全に敗北したんだ」
ルカが悔しげに杖を握りしめる。
ミクは治癒魔法の温かい光を受けながら、己の戦術の「盲点」を噛み締めていた。
敵をまとめて追い詰める標準連携。
後衛を守るパターンA。
魔法耐性を崩すパターンB。
これで完璧だと思っていた。だが、敵が「前衛と後衛を同時に分断して襲ってくる」という単純な戦術を取っただけで、すべてのプロトコルは機能不全に陥った。
「……パターンAでは、私が前線で一人孤立して死ぬ。パターンBでは、後衛を護る盾がいなくなる……」
ミクは痛む体を起こし、暗い回廊の奥を見つめた。
複数の戦術(手札)を用意したつもりになっていた。
だが、それは結局のところ「敵がひとつの群れとして動くこと」を前提とした、脆いシステムに過ぎなかったのだ。
「……このままじゃ、50層の階層主には絶対に勝てないわ」
ミクの言葉に、誰も反論できなかった。
中層のボスでさえあんなに強大だったのだ。深層の中間地点に君臨する50層のボスが、単純な行動しか取らないはずがない。
分断攻撃、あるいはそれ以上の複雑な変数を仕掛けてきた時、今の彼らにはそれを処理する「第三の例外処理」が存在しない。
「……もう一度、設計からやり直すわよ。分断された時、どうやってシステムを再接続するのか。……私たちの本当の試練は、ここからね」
目前に迫った50層のボスの扉を前に、『三律の連環』は再び、自分たちのシステムの致命的な欠陥と向き合うことになった。
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