135 『薩摩攻略』『絹織物』『カレー』『三好政権』
1547年2月初旬
一宇治城 島津貴久
島津家が楠予家に降って二月後。
楠予軍一万が薩摩の豪族たちを攻めるため、島津家の援軍として居城・一宇治城に到着した。兵を率いて来たのは譜代重臣の玉之江甚八・少将である。
敵は楠予家への臣従を拒んで島津家から離反した豪族衆たちだ。石高で言えば薩摩22万石のうち12万石ほどが離反した事になる。
城の広間で玉之江が上座に座り、貴久が頭を下げて挨拶をした。
「玉之江殿、遠路はるばるの御出陣、かたじけのうございます。薩摩を一つに束ねられなかったは某の不得にございます」
貴久は楠予軍がこれほど早く来た事に内心驚いていた。
降伏の申し出をしたのは僅か2ヶ月前。
こんなにも早く楠予家が軍勢を送って来るとは思わなかった。楠予軍が来るとしてもあと半年は先だと思っていた。
「いやいや、島津殿のご英断、壬生殿が褒めておられたぞ。さすがは鬼島津殿、知恵も勇気もあるとな」
貴久は教わった楠予家の重臣の名を、思い浮かべた。
「……壬生殿と言えば、確か譜代重臣の筆頭のお方でございますな」
玉之江が頷く。
「うむ、その壬生殿じゃ。実は壬生殿より書状を預かって来ておる。内容は島津殿のご次男に関する事じゃ」
貴久には、次郎が次男に関心を向けた理由に心当たりがなく、首を傾げた。
「又四郎が何か?」
「壬生殿はな、正重様のご嫡孫の小聞丸様の守役をしておる。そこで、島津殿のご次男を小聞丸様のご学友にしたいと申されたのだ」
「⋯⋯」
貴久は僅かに目を細めた。
(それは人質を出せと言う事か?)
「身に余る光栄。すぐに又四郎を池田に向かわせましょう」
「うむ、そうされるが良い。
壬生殿は準譜代重臣以上の子弟を集めて教育しておられる。実はわしの孫も二人世話になっておってな。孫たちには又四郎殿と仲良くするよう伝えておきましょう」
貴久は頭を下げる。
「よろしくお願い致す」
「わっはっは。
こちらこそよろしくお願い致す。
島津家には壬生殿が大層期待しておられるご様子。壬生殿がこれまで自ら招いたのは、長宗我部国親殿のご嫡男くらいであろう。これで又四郎殿の出世は約束されたようなものじゃ。実に目出度い」
貴久はますます次郎と言う人物が分からなくなった。
「壬生殿は何を基準に長宗我部殿のご嫡男と又四郎を招かれたのでしょうか?」
玉之江がニヤリと笑う。
「分からん。
されど壬生殿が目をつけたと言う事は間違いなく又四郎殿は大物になるだろうな。壬生殿を信じておれば悪いようにはならん、安心されよ」
貴久は玉之江の盲目的に次郎を信じる言葉で、逆に楠予家自体が不安になった。
以前、貴久の家臣でおかしな宗教に嵌った者が、同じような感じだったのだ。
『真実宗の剛翼様の教えを信じていれば戦で死ぬ事などないのです』と言っていた、その家臣は次の戦で死んでしまった。
貴久は壬生殿が、『どうかいかさま師ではありませんよう』にと天に祈った。
ーーーー
1547年3月初旬
池田の工房町。
南蛮人との本格的な貿易を前に、次郎は商品の“質の底上げ”に取り組んでいた。
楠予産の生糸は国内でも飛ぶように売れ、前回の南蛮船でも高値で取引された。
今年は品種改良も進み、さらに質が上がる見込みである。
――だが。
次郎は手にした生糸を見つめ、静かに息を吐いた。
(素材のまま売るなんて、日本人として失格だよな。
織物にして売れば、利益は数倍どころか数十倍になる)
しかし、その考えには大きな壁があった。
日本の絹織物は、明国に比べればまだまだ未熟だった。
西陣織のように独自に発達した高度な技術もあるが、秘伝として物理的に壁で囲われ、外部に漏れぬよう厳重に守られていた。
だから次郎は、この一年間を“新たな織物職人の育成”に費やして来た。
まず自分で西陣織の技術を習得し、次にその技術を“分業制”に落とし込んで、職人たちを育て上げたのだ。
工房町の奥――許可証がなければ入れない“機密工房区”。
その一角にある織物工房では、すでに数十名の職人が黙々と作業をしていた。
糸を整える者。
染めを担当する者。
紋様を写す者。
織機を動かす者。
仕上げを行う者。
誰ひとりとして“全体の工程”を完全には知らない。
別の担当に移ることは固く禁じられている。
全体像を把握しているのは、工房の長と幹部二名だけだ。
次郎は工房を見渡し、満足げに頷いた。
(西陣織みたいに職人を閉じ込めていたら大量生産なんて無理だ。でも技術は守らなきゃいけないと言うのは分かる。……用心は肝心だよな)
分業制は効率を上げるだけでなく、技術の秘匿にもつながる。
職人は自分の工程だけを極めればよく、全体を知る必要はない。
さらに次郎は、西陣織の技術に加えて明国の染色・織物の理論も取り入れ、それを自分の知識でさらに織機を改良し、糸のテンション管理を“数字”で行えるようにしていた。
西陣の美。
明国の技。
次郎の均一性。
三つが融合した“伊予織”は、すでに試作品の段階で、明国の高級絹布を超える品質を見せ始めていた。
次郎は織り上がった布を手に取り、光に透かした。
「……よし。今年はポルトガル人のカスティーリョの南蛮船が来るだろうから、これでビックリさせてやる。
楠予は生糸だけじゃねえ。織物も世界一だってな!」
池田の工房町の奥で、新しい時代の息吹が生まれた。
ーーーー
3か月後。
カスティーリョ率いる南蛮船が伊予にやって来た。
初夏の陽光が海面を照らし、広江港に白い帆影が近づいてくる。
見張り台の兵が声を張り上げた。
「南蛮船だ! 南蛮船が来たぞ!」
港は一気にざわめき、楠予家の役人たちが慌ただしく動き始める。
連絡を受けた次郎は急いで馬を走らせ広江港にやって来た。
そして桟橋に立って巨大な船を見つめた。
(カレーの元が、ついに海を渡ってやって来た……! これでカレーが食べれるぞ!)
船が横付けされ、甲板から見慣れた男が姿を現した。
ポルトガル商人、カスティーリョ。
彼は船を降りるなり、港の奥に積まれた荷や人の動きを見て目を丸くした。
「……次郎殿。そなたの国は来るたびに賑わいが増しているな」
通訳が訳すと、次郎は笑って肩をすくめた。
「まあね。今年は絹織物も作ってみたんだ。これ、どう思う?」
次郎が差し出した布を、カスティーリョは慎重に受け取った
光に透かし、指で撫で、織り目を確かめる。
そして――目を見開いた。
「こ、これは! ……明国の最高級品、いやその上の特級品よりも滑らかだぞ!?
前に来たときは大した事なかったのに……僅か一年半で明国の絹織物を超えたとでも言うのか!?」
次郎は得意げに笑う。
「名前は“伊予織”。
西陣の技、明国の理、俺の知識を全部混ぜたんだ」
カスティーリョはしばらく言葉を失い、やがて布を抱えるようにして呟いた。
「……次郎殿。そなたの国の成長は凄まじいな堺でも既に国産の鉄砲が売られている……。アジアは遅れていると思っていたが、これはヨーロッパの国々も、うかうかはしておれんな。わっはっは」
次郎は肩をすくめ、少しだけ悪戯っぽく笑った。
そして本命を話を切り出す。
「ところで、こちらの希望した香辛料はどうなりました?」
通訳が伝えると、カスティーリョの顔が一気に明るくなる。
「もちろん持ってきたとも!
ウコン、クミン、コリアンダー、胡椒、唐辛子……
そなたが言っていた“カレー”とやらを作る材料は、すべて揃えてきた!」
次郎の胸が喜びで高鳴った。
(よっしゃあ! 20年ぶりのカレーだ!)
「じゃあさっそく家に帰って料理しましょう! ご馳走しますよ!」
ーーー
その日の晩。
壬生家の客間には香辛料を炒めた香りが、いっぱいに広がっていた。
クミンの香ばしさ、ウコンの土のような香り、玉ねぎの甘い匂い――
戦国日本には存在しない筈の“異国の香り”だ。
お琴がどろりとした黄金色に『名前を言ってはイケないアレみたい!』と鼻を押さえた。
「な、なんか鼻がツーンとするね……!
こ、これ、本当に食べ物なの……!?」
カスティーリョは大喜びで手を叩いた。
「これは、これは我らの国にもある料理の香りだな。
だが……次郎殿の作り方は、我らのよりずっと手が込んでいるな」
お澄は興味津々で鍋を覗き込む。
「色が……黄色い?
味噌汁とも煮物とも違う……不思議な匂い」
次郎は鍋をかき混ぜながら、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
(この香り……この色……
ちょっとインド寄りだけど、確かに“カレー”だ!)
結花は微笑んだ。
「次郎君、早く食べよう! もう待ちきれないよ!」
次郎がカレーを皿に盛りつけ、全員の前に置いた。
ご飯の上にとろりとかかった黄金色のカレー。
現代よりとろみは軽く、香りは強烈。
「じゃあ……いただきます」
次郎が一口食べた瞬間――
「ああ……これだ……!
ちょっとスパイス強いけど……確かにカレーだ……!」
数十年ぶりのカレーに、次郎の目が潤む。
結花もそっと口に運び、静かに息を吐いた。
「……美味しい……
玉ねぎの甘さが強いね。
でも……懐かしい……」
お琴は恐る恐る一口。
「……っ!?
か、辛い! 辛いけど……なんか……美味しい……! 舌がひりひりするのに、もっと食べたくなる……!」
お澄は目を丸くする。
「こんな料理、初めて……
香りが強く食欲をそそる……
これは不思議な料理ね」
カスティーリョは豪快にスプーンを口に運び――
次の瞬間、固まった。
「……な、なんだこれは……
我らのカレーより……遥かに深い味だ……!
玉ねぎの甘さ……肉の旨味……
香辛料が一つにまとまっている!!」
お琴がカレーを頬に付けて笑う。
「次郎ちゃん、このカレーって料理、美味しいね。これ3日に1回くらい食べたい!」
次郎は笑う。
「お琴ちゃん、それは食べすぎだと思うよ」
「え〜」
まあ、週四とか週五でカレーを食べる人もいるからな。可能だけど、胃に負担がかかる気がする。
その時――弥八が部屋に入って来た。
「殿大変です! 将軍様が京を追われました!」
(え、いきなり何の話?)
次郎が首を傾げる。
「京を⋯⋯追われた? 誰に?」
「三好範長殿です! 範長殿は三好長慶と改名してすぐに、同じ細川家の家臣である三好政長殿の追討を細川晴元殿に願い出ました。
ですが三好政長殿は、細川晴元殿の信任が厚いため聞き入れられなかったそうです。そこで長慶殿はかつての敵、細川氏綱殿と手を組み細川晴元殿に叛旗を翻したそうです!」
(三好の下剋上が始まったのか)
「それで?」
「晴元殿は六角家に援軍を請いましたが間に合わず敗北! 政長殿は討たれ、細川晴元殿は将軍・足利義晴様を連れて近江に逃れました。
その後、三好長慶殿は細川氏綱殿を細川京兆家の主君として擁立、京へ入ったとの事です!」
(間違いない。三好政権の誕生だな。なら当分はこれで三好は四国には手が回せないな⋯⋯)
「分かった」
弥八は次郎の動じぬ姿に感心する。
「殿……さすがです。このような一大事を聞いても全く驚かれないのですね!」
次郎は笑いながら首を振る。
「いや。別に足利将軍家に興味がないだけだ。むしろ近畿の混乱で細川に攻め込まれる心配が無くなって、よかったなって思ってる」
「なるほど、流石です!」
カスティーリョが通訳から話を聞き、難しい顔をする。
「我らは堺にも行く予定だったが、世情が不安なら引き返すとしよう。その代わり⋯⋯悪いが、広江港で当初の予定よりも、多くの品を買わせてもらってもよいか?」
「勿論です。いっぱい買って帰ってください!」
笑顔で応える次郎は気づいていない。
三好政権の誕生は史実よりも3年ほど早かった。
その背景には三好長慶が楠予家と遭遇し、歴史が変わった事にある。
三好が大きく変わった点は、軍制改革である。
松永久秀が四国を訪れた際、楠予家の一般兵の募集を見て、偽名で応募し仕官した。そして僅かな期間だが松永久秀は楠予家で兵卒として働き、1543年時点の楠予軍の仕組みと兵の育成方法を学んだ。
残念ながら楠予家の軍制を三好家に導入するには、余りにも土台が違い過ぎた。そこで久秀は自分なりに三好家の家臣でも受け入れ可能な範囲で、三好家の軍制改革を成し遂げた。
その結果――近畿で三好にかなう勢力はいなくなった。
この時、次郎は完全に油断していた。
三好家など、もう敵ではないと……。




