132 『二階崩れの変』と『日向国侵攻』
1546年2月初旬。
筑後、篠山城。
楠予家の宿敵である大友家の当主・義鑑が亡くなった。
半年前――
義鑑は、相良・阿蘇・少弐との戦いで功を立てた嫡男・義鎮(宗麟)を廃し、庶子の三男・塩市丸に家督を譲ろうと画策した。
義鑑は、義鎮派の重臣である津久見美作、小佐井大和守、斎藤長実、田口蔵人佐の四名を呼び出し、義鎮を捨て塩市丸を支えるよう説得するが逆に、
「功績を上げている義鎮こそ家督を継ぐにふさわしい」
と、塩市丸の相続を諦めるよう言われる。
そこで義鑑とお欄は、4人の説得は無理だと悟り、入田親誠と共謀して4人を排除する事にした。
小佐井大和守、斎藤長実の2名を誅殺し、残るはあと2人となった。
だがここで津久見美作と田口蔵人佐は、
「次は自分たちだ」
と、先に行動を起こし、篠山城の二階で就寝中の義鑑たちを急襲。
襲撃は成功し、塩市丸とお欄は即死、義鑑にも深手を負わせた。だが津久見美作と田口蔵人佐は、駆けつけた家臣にその場で斬り伏せられてしまう。
義鑑はもはや助からぬ身と悟り、最期の力を振り絞り、義鎮への家督相続を許す置き文を残し、数日後に息を引き取った。
楠予家との敗北から体制を立て直しつつあった大友家には、手痛い出来事だった。この混乱で再び家中が乱れ、軍を動かす事ができなくなってしまった。
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1546年3月初旬。
楠予家は、1年3カ月の長い沈黙を破り、豊後から軍を出陣させた。
向かう先は日向の国。
総大将は楠予家嫡男、源太郎正継。
その兵数は2万6千。
楠予家の総兵力はこれに、四国の5千、豊後の守備兵8千を足して3万9千に上る。
大友家が混乱で動けぬ今こそ、楠予家にとって最大の好機となっていた。
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日向国の北部の豪族。
土持影綱
城の広間には土持家の家臣たちが集まっていた。楠予家から『間もなく日向に攻め込む、降伏しろ』との勧告があったのだ。
土持家の家臣、吉田新平が広間に駆け込む。
「殿! 楠予軍が府内館を出陣したとの事です! その数は2万を優に超えるとの事!」
「……ついに来たか」
財部土持家の石高は約4万石。
兵をかき集めても、せいぜい2千が限度。とても勝てる戦ではなかった。
土持影綱は、吉田新平の報告を聞きながら、静かに拳を握りしめた。
「……二万を超えるか。
我らが束になっても、到底勝ちは見込めぬ」
広間の空気が重く沈む。
家臣たちは互いに顔を見合わせ、誰も口を開こうとしない。
影綱は、ひと月前に届いた楠予家の降伏を促す書状を思い出した。
――所領の一割を残し、残りは没収。
――家臣のうち、養えぬ者は楠予家が引き取る。
屈辱的な条件である。
だが、現実を見れば“温情”でもあった。
吉田新平が恐る恐る問う。
「殿……いかがなさいますか」
影綱は深く息を吐き、静かに言った。
「戦えば滅ぶ。降れば家名は残る。
答えは決まっておる⋯⋯」
吉田は膝を詰める。
「しかし殿! それでは――」
影綱は手で制し、首を振る。
「聞け吉田。楠予家に降った大友の者たちの、楠予家に対する評判はよい。『所領はなくなったが、俸禄の銭を多く貰え、以前よりも裕福になった』と申しておる。楠予家に降れば、所領を失っても生活は保証されるのじゃ」
影綱は諭すような目で重臣たちを見た。
「土持は4000石の馬回り衆として残る。そうする他、生き残る道はないのじゃ⋯⋯」
家臣たちの肩がわずかに落ちた。
安堵か、失望か、それは影綱には分からない。
「急ぎ、楠予家へ使者を出せ。
土持家は、降伏いたすと伝えよ」
近習の阿部良経が頷く。
「はっ、それがしが行って参りまする」
良経が広間を飛び出してゆく。
それを重臣たちと静かに見送った影綱は、天井を仰ぎ、苦笑した。
「四万石の土持家も……ここまでじゃな。
だが、家臣農民を殺すよりはよい⋯⋯」
その声には、敗北の悔しさよりも、領民を守る覚悟が滲んでいた。
吉田新平は深く頭を下げた。
「……殿のご決断に従います」
その時、外から太鼓の音が響いた。
楠予軍が日向国境を越えた合図である。
影綱は立ち上がり、家臣たちを見渡した。
「皆よいな……土持家は、これより楠予家に従う。覚悟を決めよ!」
「「ははっ」」
広間には、家臣たちのすすり泣く声が広がった。
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1546年3月中旬。
1週間後。
楠予軍は日向国の北部(延岡・高千穂)を戦わずに平定した。
財部土持家の影綱が降伏すると、縣土持家の宣綱も降伏を選んだ。
両家を合わせて7万石。
これにより、楠予家の総石高は103万石に達した。
源太郎は25000の兵を率いて、さらに南下を開始した。
延岡・高千穂には千の兵を残し、治安維持と補給拠点の整備を任せた。
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日向国・都於郡城
伊東 義祐
城の広間には伊東家の重臣が甲冑に身を包み、楠予軍に対する軍議が開かれていた。
伊東家に半ば従属していた土持氏が、勝手に楠予家へ降ったとの報せに、広間の空気は張り詰めていた。
重臣の間でも降伏と籠城、あるいは合戦との間で議論が分かれていた。
伊東家は13万石の大名である。農民を総動員すれば5000を超える軍勢を用意する事が出来た。勝機は薄いが戦う戦力はある。
木脇祐守が言う。
「ここは野戦を行うべきです。島津やは肝付は敵です。籠城しても援軍は来ませぬぞ!」
米良祐次が頷く。
「さよう。楠予家には村上水軍がついてござる。兵站が切れて退却する事はないと心得る。しかも楠予軍は鍛え抜かれた軍で、敗北した事がないと聞く。勝機は薄い……」
木脇祐守が床を叩く。
「何を申すか! 戦は数だけではないわ!」
北原兼孝が首を振る。
「何を申されるか、数は重要でござる。あの大友でさえ敗れたのじゃ。戦っても、勝ち目などないわ!」
木脇祐守が北原を睨む。
「なんだと! 元はと言えば、お前が土持に援軍を送るのを渋ったからであろう! 土持は反抗的だから、両家が弱ってから出陣する方がよいなどと、小賢しい知恵を出して殿を惑わせたのじゃ!」
当主・伊東義祐が扇で床を叩く。
「2人とも止めよ! わしは楠予に降る!」
「「殿!!」」
義祐は再度扇で床を叩いた。
「最後まで聞け!
我らでは楠予軍には勝てぬ。だが楠予がこのまま南下し、肝付や島津と戦って敗れれば、わしは立ち上がり挙兵する」
北原兼孝が眉間に皺を寄せる。
「されど楠予家は、降った兵を直ちに豊後へ送り再編し直すでしょう。
殿もすぐに豊後に送られるはず。降伏を促す書状にもそう記されておりましたぞ」
義祐は静かに頷いた。
「承知の上よ。
ゆえに楠予が島津と肝付に勝てば、そのまま仕える。だが――負ければ我らは密かに豊後を抜け出し、奪われた所領を取り戻すのじゃ。
反旗を翻して勝てる保証はないが――今ここで楠予と戦うよりは、はるかに分がよい」
広間に、すすり泣きが広がった。
伊東家もまた、ここに降伏を決断した。
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1546年3月下旬。
日向国・飫肥城の広間
城主の島津忠親は、楠予家の大軍が攻めてくると聞き焦っていた。
「楠予は、どこまで攻めて来るきじゃ! なんで止まらんとか!」
有川兵部が唸る。
「楠予は一挙に日向を平定する気なのでしょう」
「ほんなら父の都之城も、狙われ取ると言う事か!」
有川は頷く。
「恐らくは……」
飫肥城から西にある都之城の北郷忠相は島津忠親の実父であった。
島津忠親は北郷家の家督を子の時久に譲り、自らが豊州島津家の養子に入って島津を名乗っていた。
忠親が立ち上がり、声を荒げた。
「この城は放棄すっど!
今すぐ西の都之城へ向かい、父上や時久と合流すっがよ!」
有川兵部が慌てて制した。
「お待ちくだされ。
ここは島津本家の軍が着くまで、籠城すべきじゃ思いもす」
「2万相手じゃ、一日とも持たんわ! それより父上たちと合流すれば兵は1500になる。都之城は山城じゃ、そげん容易うは落ち申さん!」
その日のうちに忠親は、逃げるように貴重品を持って城を出た。そして兵士たちと共に、父と子のいる都之城へ向かった。
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数日後。
薩摩島津家・一宇治城
城の広間では軍議が開かれていた。
島津家中興の祖と言われる島津忠良が上座近くに座り、息子の貴久が中央の上座に座っていた。これは家中の実権は忠良にあるが、島津家当主が貴久だったためだ。
貴久は島津本宗家の勝久の養子となり、島津本宗家の家督を継いでおり、父より身分が上になっていた。
※なお、貴久が本宗家の家督を相続後、勝久との間が不仲になり戦が起きている。そのため貴久の支配力は今でも限定的であり、島津宗家の当主が代々任官されてきた修理大夫に未だ補任されておらず、朝廷や室町幕府に認められていない状況であった。
忠良が唸るように言う。
「……飫肥の忠親が城ば捨て、都之城へ退いたと申すか」
樺山善久が深く頭を下げる。
「はっ。二万を超える楠予軍が日向ば南下中。土持も伊東も、戦わずして降伏したとの事にございもす。楠予軍は周辺の豪族ば屈服させつつ、じわじわ都之城へと向かっており申す」
広間がざわめき、貴久が顔をしかめた。
「ここ一宇治までは、まだまだ距離はあっどん……。じゃがこの勢いでは、日向はすぐに呑まれもそ」
忠良が静かに頷く。
「楠予は止まいもはん。日向が落くいば、次は薩摩か大隅いごわそ」
広間の空気が凍りついた。
貴久は忠良を見つめた。
「父上……楠予は、わっぜここまで攻め寄せっくるもんでございもそか」
忠良は目を細め、低く答えた。
「分からん。
都之城ば見捨てれば、進撃は日向で止まっかもしれん。
じゃっどん……いずれ楠予は薩摩け攻め入っくっどな」
貴久は唸るように言う。
「では、我らも出陣し、乾坤一擲の戦ば仕掛けるしかなかち申されるとですか」
忠良は首を振る。
「援軍は送る。じゃっどん、無理に戦うな。
都之城の兵と合っせい、薩摩へ退け。一兵たいとも無駄にすっなよ」
貴久が苦い顔で言う。
「父上……都之城ば捨ていっち申すか。
忠相も、忠親も、まこて納得はしもはんでしょう」
忠良は鋭い目つきで言う。
「納得せんでよか。
じゃっどん、死んでしもうたら何も残らん。今我らが出せる兵は多くて3000。薩摩を守るためには、兵を残すほかあいもはん」
樺山善久が口を開く。
「じゃどん。退っいば、楠予は勢いそのままに、こいけ押し寄せっいもそ!」
忠良は目を閉じ、低く言った。
「よか。楠予が来るなら、その時は薩摩で迎え撃つ。
都之城で死ぬより、薩摩で生きて戦う方が勝ち目はあっど。
そいに楠予が大隅へ向かえば、肝付家と挟撃も叶うじゃろ」
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3日後。
1546年4月上旬。
日向国・都之城の広間。
北郷忠相は激怒する。
「わいに城ば捨てろち言うとか!
わいは断じて退かんど!」
樺山善久は頭を下げる。
「今の楠予軍ば止むるは至難の業にございもす。
戦うなら薩摩、もしくは楠予が大隅へ攻め入った時、
こは貴久様の御命にございもす」
北郷忠相は歯を食いしばる。
「楠予が二万おろうと、この城は落ちんど! 帰って貴久殿に伝えもせ!
北郷は退かんとな!」
この5日後、源太郎率いる2万3千の楠予軍が都之城を包囲した。




