133 『日向支配』と『大隅侵攻』
1546年4月下旬。
豊後南部の日向国・都之城。
物見やぐらから北郷忠相は楠予軍を見て拳を握る。
「おのれ楠予め。わいば無視しおって!」
楠予軍の荷駄隊の行列が、僅かな護衛を連れて、都之城の目の前を通りすぎていく。
二十日前、源太郎率いる楠予軍2万3千は都之城を包囲し、降伏を促す矢文を送った。
北郷家が選べる選択は二つ。
• 一つは、兵をまとめて薩摩へ退去する。
• もう一つは、北郷家の所領3万石のうち27000石を差し出し、残り3000石で楠予家に仕える。この場合、所領を失って抱えきれなくなる家臣については、楠予家がすべて引き取る。
さらに北郷家の兵の大部分は楠予家に供給すること、これについては貸し出し料を与える。
北郷忠相は書状を破り、使者を追い返した。
その翌日、楠予軍は包囲を解いて都之城の南方に3キロほどのところにある北郷家の梅北城を力攻めで落とすと、そこを拠点に周辺の城砦や豪族の攻略を始めた。
そして数日前、源太郎はこの地に6000の兵を残し、17000の兵を率いて、南方の大隅国の攻略に向かった。
残った6000の兵を率いるのは、楠予家の智将、藤田孫次郎である。
忠相は南方へ向かった楠予軍に、食料を送る荷駄隊の行列を指さし、怒気を含んだ声を上げた。
「忠親、あん荷駄隊ば襲うぞ!」
忠親は慌てて父の腕をつかむ。
「父上、なりもはん!
あれは明らかに、わいらを誘いちょっど!」
忠相は歯をむき出しにして怒鳴る。
「荷駄隊ごときに負けるか! 伏兵が来たら逃げればええんじゃ。
あん兵糧ば奪い取っち、楠予軍の鼻ば明かしちゃるわ!」
忠親は唇を噛みしめ、ゆっくりと頷いた。
「……承知しもした。
じゃっどん父上、あれは危なか。どうか、無理はなさらんごつ」
忠相は怒気を帯びたまま叫ぶ。
「分かっておる! 出陣じゃ!」
すぐに忠相は城兵1000を率いて城を打って出た。
しかし、楠予軍の荷駄隊は乱れなかった。
城門が開くや否や、指揮官が腰から金属製の笛を取り出し、鋭く吹き鳴らした。
ピーッ!
その瞬間、荷駄の上に置かれていた三間槍を護衛兵が一斉に掴み、前へと踏み出して槍衾を形成した。
動きに一切の淀みがなく、まるで一つの生き物が形を変えたかのようだった。
怒りに任せ、荷駄隊めがけて一直線に突撃していた忠相は、その異様な統制に一瞬たじろいだが、怒りが勝り、馬上から大音声を張り上げる。
「構わん! 掛かれぇぇ!!」
北郷勢は雄叫びを上げて突撃する。
だが、楠予軍の槍衾はびくともせず、屈強で名を馳せる島津兵が逆に押し返されていく。
さらに悪いことに、どこからともなく楠予軍の別働隊が現れ、北郷勢の背後を取った。
「いかん! 伏兵じゃ!」
これは伏兵ではなく、都之城を監視していた部隊だったのだが、忠相が楠予家の戦術を知る由もなかった。
忠相は不利を悟り、即座に判断を下した。
「ぐぬぬ……退けええ! 退けえええ!!」
しかし退却の声が届くより早く、北郷勢の隊列は乱れ、前後から圧迫されて混乱が広がった。
この戦いで忠相は多くの兵を失い、命からがら都之城へと逃げ帰った。この時、生きて城に戻れた兵は半分、1000のうち僅か500人だった。
忠相は、ここまでの損害を出す覚悟など、端からしていなかった。
小手調べのような気持ちで手を出しただけだ。
それなのに――城兵の三分の一近くの兵を失ってしまった。
忠相は暫くショックで立ち直れなかった。
それから数日、忠相は楠予軍がいつ攻めて来るかと、ビクビクして過ごした。
さらに7日が経つと、忠相たちは物見を出し知った――自分たちは“監視されながら、放置されている”のだと。
城から出なければ楠予軍はまったく襲ってこない。だが、城から出れば、立ち所に攻撃して来る。
この異様な状況に、まず雑兵たちの心が折れた。
楠予軍が放った、好待遇で雇用すると言う矢文を手に、半数以上が城を抜け出し降伏していった。
ひと月後、十分に兵が減ったのを確認した藤田孫次郎は、強襲前に最後の降伏勧告を突きつけた。
忠相は城を枕に討ち死にする道ではなく、降伏を選んだ。
薩摩の島津領へ退く道も、選択肢として再度与えられたが、忠相はその道を選ばなかった。
島津へ退いても、
•島津が勝つ見込みは無く、再起の望みが無い。
• 命を無視したため、島津家中での立場は最悪
• 北郷家は“敗残者”として扱われる
• 忠相自身が責任を問われる可能性も高い
一方、楠予家に下れば、
• 家は存続
• 1000石は安堵
• 雇えなくなった家臣や兵士たちも悪くない条件で、楠予家が雇い入れてくれる
• 忠親の将来も辛うじて守られる
忠相は、楠予軍の砦に赴き、孫次郎の前に立つと、しばし沈黙した。
「……島津へ退んたところで、わいに何ができもすか。兵もおらん、城もなか。
ただの落ち武者に成り下がるだけじゃ。
楠予家の御条件に従い、千石でお仕えさせて頂くでごわす。どうか、家の存続をお許しくだされ」
孫次郎は静かに目を閉じ、頷いた。
「⋯⋯あい分かった。賢明なご決断でござる。楠予家は良い家、いずれ降ってよかったと思われる日が来るでしょう」
忠親が横で静かに目を伏せる。
忠相は、己の胸の内を吐き出すように言った。
「……わいは、もう戦えん。愚かじゃった。じゃっどん、北郷の血は残したか」
孫次郎は再度頷いた。
この時、忠相は知らなかったが、島津忠良は3000の兵を連れて近くまで援軍に来ていた。
忠良は5000の楠予軍と戦い、釣り野伏で兵力差を覆そうとしたが、その戦術が孫次郎に看破され、逆に大敗を喫して薩摩に逃げ帰った。
孫次郎が日向を平定した頃。
南方の源太郎は大隅国を一気に平定するため、兵力を分散して各地の豪族を一斉に攻めていた。
源太郎自身は大隅国で最大の大名・肝付兼続の居城・高山城を監視していた。高山城の近くの砦を落とし、そこに5000の兵で待機し、肝付の兵が城から出る事を一切許さなかった。
ーーーーー
1546年6月。
伊予・池田城 楠予屋敷
新たに池田に築城された池田城は、平地に建てられ、その周辺の建物は未だ未完成だった。家を建てる多くの槌音が遠くで響いていた。
池田城の真新しい広間では、正重が九州から届いた2通の文を読んでいた。
正重は文を読み終えると、静かに脇に置く。
「日向におる孫次郎が申すには――
日向は無事、平定し終わったとの事じゃ」
次郎が一礼する。
「御屋形様、日向平定おめでとうございます」
吉田作兵衛も頭を下げる。
「御屋形様、お祝いを申し上げます。これでまた1歩、大友討伐に近づきましたな」
正重は頷き、続ける。
「うむ。源太郎の方も大隅攻略は、あと数か月以内には片がつく見込みだと申しておる」
作兵衛がふと、思い立った顔をする。
「⋯⋯御屋形様。ここは幕府に豊後の守護職と日向の守護職も頂けるよう、催促すべきではござらぬかな? 伊予と土佐に加えて4か国の太守ともなれば、名実ともに大内に勝らずとも劣らぬ大名でごさる」
玄馬が首を振る。
「いや、大友が滅びぬ限り、幕府は豊後守護を楠予に補任すまい」
次郎がそうだと言わんばかりに頷く。
「室町幕府に借りを作るべきではありません。幕府は強い勢力を利用し、不要になれば足を引っ張ります。幕府とは距離を置くのが得策です」
正重が目を細めて、静かに言う。
「足利尊氏が開いた室町幕府は楠予家の敵である。いずれ滅ぼす」
次郎が正重の考えに頷いた。
「足利幕府は消える定め。公には申せませんが、敵にして問題はありません。交友は無い方がいいです」
玄馬と作兵衛が静かに次郎を見た。
その顔には、『そんなに簡単に幕府を敵に回してよいのか?』と言う色が浮かんでいた。
正重が脇の書状に目を向ける。
「ところで源太郎が大隅攻略が終われば兵をいったん豊後まで戻すのとか、そのまま薩摩へ侵攻するのが良いか、問うてきておる。兵に余力はあるようだが皆は如何思う?」
次郎が腕を組んだまま、唸るように低い声で答えた。
「私は薩摩へ攻め入るは、一度体制を整えてからでよいと思います」
次郎は当然知っていた。
薩摩の島津四兄弟を侮れば痛い目をみる。
だが幸いにも彼らはまだ成人してない。だが、その父と祖父の事は知らないが、島津に暗君無しと言うくらいだから優秀だと思っていた。
そのため次郎は、豊臣のように圧倒的な戦力で、小細工なしで真正面から正攻法で叩くのがベストだと考えた。
次郎は続けて言う。
「万一、島津に苦戦した場合、支配して間もない日向と大隅で蜂起が発生する可能性があります。それで戦争が長期化し、グダグダ続いたら目も当てられません」
玄馬が『そうだな』と頷き、地図を指した。
「島津が日向で孫次郎に敗れたとはいえ、地の利はあちらにある。日向と大隅を固め、治安と民衆の支持を得てから、薩摩、肥後と進む方がよい」
作兵衛は膝を叩き、残念そうに言う。
「しかし、おしいのう。島津に猶予を与えれば、兵を立て直す。せっかく戦で勝ったのに領土を奪えんとは……」
正重が笑い、決断を下す。
「よい。まずは日向と、大隅を平定し、領地を安定させねばならぬ。薩摩攻略はその後の状況を見てからとしようぞ」
「「ははっ!」」
楠予家は着実に一歩づつ、九州南部を平定しようとしていた。




