122 福建海商連合 小行首・林世昌
1544年6月
福建海商連合
「小行首」林 世昌 視点
明国(中華帝国)の南部にある福建省・泉州の港では、朝から湿った潮風が吹き抜けていた。
林世昌は、伊予への出航準備を整えた旗艦船の中型ジャンク船を見上げながら、胸の奥に小さな高揚を感じていた。
彼は海商連合の中では「小行首」と言う下位の地位に甘んじる弱小の商人だった。彼の一家は祖父の代から連合に属しており、いつかは大きな成功を収めて出世したいと願っていた。
明国では初代・朱元璋の代(1371年)から海禁を敷き、海外との交易を禁じていた。
――だが、それは“建前”にすぎない。
福建の海商たちは、代々この海で他国と交易をして生きてきた。国が禁じようが、大金の動く商いは止められないのだ。
彼らは時には役人に賄賂を渡し、時には海賊たちに襲われ、戦い、時には海賊を雇い、取引すらした。
そうして福建の海商たちは代々アジアの海を逞しく生きて来たのだ。
現在では福建海商連合は中核メンバーだけでも 8,000人を有する巨大組織に成長していた。その背後の家族・部下・船員・傭兵を含めると 10万人規模にもなる。
彼らの本拠地である泉州は人口80万〜100万人を誇る巨大都市であり、日本の堺の人口が3万〜5万人である事を考えれば、その規模の違いは圧倒的であった。
林世昌は10年ほど前から活躍の場を台湾から日本の堺と琉球の航路に変更し、商いの場としていた。
その彼にいま転機が訪れようとしていた。
林世昌の背後から声がした。
「世昌兄、いよいよ伊予へ行くのか?」
振り返ると、配下の義兄弟・張文徳が立っていた。
年は世昌より少し下だが、慎重で、海のこととなると誰よりも鼻が利く男だ。
世昌は答えた。
「堺の牙行からの報せ、読んだだろう」
張は鼻を鳴らす。
「読んだとも。
堺や琉球で購入している薬の出どころが“伊予の楠予家”だと分かったんだってな?」
「そうだ」
世昌は懐から小さな包みを取り出した。
中には、宝石のように光る 金平糖 が数粒。
張は目を丸くした。
「なんだこれは。白砂糖の塊か?」
「これは白砂糖を何十層にも重ねて作る金平糖と言う菓子だ。
色も形も美しい。明国の富裕層が贈答品として飛びつくだろう。これも伊予の楠予家の商品だと先日、王兵から報告が来た」
張は思わず手に取った。
「軽い……これは船で運ぶのに都合がいいな!」
「それだけじゃないぞ。王兵を伊予に送ったら面白い報告をして来た」
世昌はニヤリと笑う。
「王兵の報告では伊予には我らより優れた“石鹸”がある。
香りが良く、泡立ちが素晴らしいそうだ。
さらに“楠予焼”と言う、白磁ではないのに白磁のように白く、しかも丈夫な陶磁があるそうだ。
景徳鎮の官窯品とも、徳化の白磁とも違う……珍しさを加味すれば宮廷にも売れるだろうと書状に書かれていた。本当ならば商品としては完全に上だ」
張は腕を組み直した。
「確かに報告が本当なら凄い……。景徳鎮の最高級品は宮廷に流れ、民間にはほぼ流れない。我らが扱えるのはせいぜい景徳鎮の“二級品”だ。最高級品と同等の白磁が買えるなら兄者が自らが動く価値はあるな」
世昌は船に向き直った。
「そうだ。王兵からの報告が全て正しければ、その価値は計り知れないぞ文徳。
もし堺を介さずに楠予家と直接取引できれば――行首に昇格する事が出来るだろう!」
世昌はニヤリと笑った。
「運が良ければ大行首への道が開けるかも知れんぞ」
張も笑う。
「ふっ……面白いじゃないか兄者。
万年下位の我らが鄭氏• 陳氏• 黄氏• 蔡氏• 許氏の上位五家に並び立つと言うのか……」
張は豪快に笑い、拳で船べりを叩いた。
「ならば兄者、日本から帰る時は、商品を山ほど積んで帰ってくれ!
金平糖でも薬でも、何でもいい。
売れるものなら全部だ!! 俺が高値で捌いてやる!」
世昌は笑いながら頷き、船に乗り込んだ。
「任せておけ! 王兵からは楠予家は直接交易に乗り気だとの返事が来た。話はほぼ決まったも同然だ。たんまりと商品を買って来てやるぞ!」
帆が上がり、中型ジャンク船1隻と小型船2隻が生糸 、茶(福建茶)、香料・薬材を載せて泉州の港を離れ、静かに北東へと向かって旅立った。
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福建海商連合のランク
■総頭(李家)
• 大型ジャンク:17隻
• 中型:50隻
• 小型:多数
• 船員総数:約20,000人
• 直属の行首・小行首:18家
■大行首 上位五家(鄭・陳・黄・蔡・許)
• 大型ジャンク:5〜10隻
• 中型:20〜30隻
• 小型:多数
• 船員総数:5,000〜10,000人
• 直属の行首・小行首:5〜15家
■行首 中堅クラス32家
• 大型ジャンク:1〜3隻
• 中型:3〜10隻
• 小型:10〜40隻
• 船員総数:400〜2000人
■ 小行首 下位クラス(林一家など58家)
• 中型:1〜2隻
• 小型:5〜10隻
• 船員総数:100〜400人
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1544年7月
伊予・広江港
船が広江港の海岸線に近づくにつれ、林世昌は目を細めた。
「……あれが、広江港か? ……これは堺の町に並ぶ規模じゃないのか?」
案内役の王兵が隣で頷く。
「はい。前回、林・小行首の手紙を持って、ここを訪れた時に私も驚きました。まさかここまで発展した町が博多と堺以外にもあるとは思いませんでした」
王兵が指差した。
「あの広江港から数里先には池田と言う場所があり、楠予家の本拠地があります。そこには工房町や武家町、繁華街、歓楽街などが広がり凄く発展していますよ」
「なんだと……」
楠予家では広江港を物流の場、池田を商業地として発達して来た。
商売の中心地を『内陸の商業都市』に置くことは当時では常識であった。
むしろ堺のように『港と商業地』が一体化した都市の方が、極めて例外だった。
その理由は、
① 港が都市の中心なので、攻められたら一発で終わる
② 港に富が集中するので、海賊や大名の標的になる
③ 港に店を置くと、税務官・役人に常に監視される
ゆえに港は物流拠点であって、商業地には向かなかった。
だが堺はこれらの不利を乗り越えて大成功を収めた。
――しかし、堺がどうしても超えられない壁があった。
港は土地が狭く、都市そのものを大きく育てる余地がないのだ。
世昌は広江港の大きさに言葉を失った。
(池田は……数年前に名が上がったばかりの“新興の町”のはずだ。
それが……なぜ短期間で堺の町以上の規模に……?)
広江港の奥には、白壁の倉庫が整然と並び、そのさらに奥に、瓦屋根の大きな倉庫がいくつも見える。
無数の船が並び、荷揚げ場には人が溢れていた。
船乗り、商人、職人、荷役が入り混じり、まるで巨大な蟻の巣のように動いている。
林の目には福建の港には規模では遥かに及ばないが、街並みの整いは福建以上で、遥かに機能的に見えた。
王兵が笑う。
「林・小行首、人々の流れを見てください。なめらかだと思いませんか?」
その言葉に世昌を人の流れをよく観察し、やがて呟いた。
「人々の流れがまったく乱れていない……なぜだ?」
王兵が説明する。
「楠予領では、人は道の右側を歩くと決まっています。
だからすれ違う時に人とぶつかる事が少なく、荷を運ぶ時も混乱が起きないのです」
世昌は思わず張を見た。
「……すれ違う時は右側? 道を歩く側が決まっているのか!?」
王兵は頷く。
「はい。楠予家が定めた“道の掟”です。
荷車や馬車は左側、歩行者は右側。
子供も老人も皆、従っています」
世昌は言葉を失った。
「……そんな馬鹿な」
福建の港では、右も左も関係なく人が流れ、荷車は怒号を上げながら人の群れに突っ込み、船乗りは好き勝手に歩く。
それが『港の繁栄』であり、それこそが『活気』というもののはずだった。
世昌の視線の先では、荷車が一定の間隔で列を作り、歩行者は右側に寄って流れ、倉庫の前では番号札を掲げた役人が荷を振り分けている。
(……これは“意図して作られた秩序”だ。自然発生ではない。
誰かが考え、決め、徹底させた……そんな港、明国にも存在しない)
王兵が小声で言う。
「広江港は、今回の交渉相手の壬生次郎殿が自ら“設計して作った港”だと役人から聞きました。
道幅も、倉庫の配置も、荷揚げ場の区画も……すべて計画して造られたそうですよ」
世昌は喉が乾くのを感じた。
(……そんな発想、海商すら持たぬ。港とは、時代と共に自然に形作られるものだ。それを一から計画して造っただと? 壬生次郎とはいったい何者なのだ!?)
船が桟橋に近づくと、楠予家の家臣たちが整然と並んでいた。
その中央に――平凡な雰囲気を纏った、どこにでも居そうな男が護衛たちに囲まれ立っていた。
世昌が小声で言う。
「もしかして……あれが、壬生殿か?」
王兵が頷いた。
「そうです。間違いありません」
船が接岸し、世昌が階段を降りると次郎が一歩前に出る。
「遠路はるばる、よく来られました。私が楠予家筆頭重臣の壬生次郎です」
世昌は胸に手を当て、礼を返した。
「福建海商連合、小行首、林世昌。
本日は、貴殿との交易の話を進めたく参った」
次郎は微笑んだ。
「まずは池田の町へ行きましょう。実は最近新しく商品を作りました。これも買って頂けると嬉しいです」
世昌は思わず笑みを返した。
(……面白い。
この男、ただの平凡な男にしか見えぬが、その実力を見定めてやる!)
ーーー
一行が広江港にある出入口の一つから港を出て、広い道に出た。
次郎が軽く手を挙げると、白木の大きな馬車がゆっくりと近づいて来る。
世昌は思わず目を見開いた。
「……これは馬車ではないか。日の本では初めてみたぞ……」
王兵が苦笑する。
「そうなんですよ林・小行首。楠予領では“馬車が走っているんです。私も初めて見た時は驚きましたよ」
世昌は眉をひそめた。
(本来に馬車が走れるのか……?
日本の道は狭く、ぬかるみ、段差も多い。馬車は走れなかった筈だぞ?)
次郎が穏やかに口を開く。
「どうぞ、お乗りください。
池田までは少し距離がありますのでこの馬車で行きます」
世昌は半信半疑で馬車に乗り込んだ。
内部は揺れが少なく、座席も柔らかい。
馬車が動き出すと、世昌はさらに目を見開き、片言の日本語で呟く。
「……揺れが……少ない?
道が……沈まぬ……?」
次郎が淡々と説明する。
「ああ、それは馬車に一工夫しているからですね。あと道幅を広くし、地面を固めています。
土を敷き、砂利を敷き、大筒で叩いて締めるんですよ。何度も何度もね。
そうすれば馬車が走れる道になります」
世昌は息を呑んだ。
(叩いて固めるのは分かる……だが、道幅、砂利の層、締め固めの深さ……整えるとなると、もはや“大工事”だ……!)
「馬車の工夫とは、どのような?」
次郎は笑って応える。
「それは教えられません、企業秘密です」
「企業秘密? 秘密……、分かった」
(この男、馬車に秘密があると自分でバラしたぞ? もしかしてバカなのか?)
次郎は馬車に使った技術くらい盗まれても良かったが、教えるつもりもなかった。
その後、馬車は順調に道の左側を一定の速度で進んだ。歩行者は右側に寄って歩いているため、馬車とすれ違う時は馬車と対面する形となり、すぐに気が付き道を空けた。
馬車がまるで滑るように進むのを、世昌は感心しながら眺めていた。
だが、胸の奥で沸き立つ“商人の血”は抑えきれなかった。
「壬生殿……まずは石鹸だ。あれは……明国でも売れる。香り、泡……すべて上。できれば……大量に欲しい」
片言の日本語だが、熱がこもっている。
張が横で補足する。
「小行首は、石鹸を最優先で仕入れたいとお思いです。
楠予の石鹸は福建、いや明国全土で高値で売れると考えています」
次郎は嬉しそうに頷いた。
「本当ですか! 明国は大国ですからね。石鹸は池田の工房で作っています。品質も安定していますので、量も相談が可能ですよ」
その答えに世昌の目が輝いた。
「次に……楠予焼。白い器……珍しい。
景徳鎮とも、徳化とも違うと聞く……
“白いのに丈夫”……これは売れる」
王兵が通訳しながら苦笑する。
「林・小行首は、楠予焼で白く焼き上げたものを、“明国の白磁より珍しい”と評価しております」
次郎は少し驚いたように目を細めて笑った。
「そこまで言っていただけるとは。
茶器以外は楠予焼きを広める一環として作ったものです。茶器以外にも価値が出るのなら、陶工たちもきっと喜びます」
世昌はさらに続けた。
「それと……金平糖! 砂糖の宝石……あれは贈り物に最適だ。
軽い、腐らぬ、見た目が良い……あれ……もっと欲しい!」
王兵が笑いながら補足する。
「小行首は金平糖を“宝石菓子”と呼んで高く評価しております」
次郎は不思議そうな顔をした。
「南蛮人に聞いた話では、南蛮人の交易拠点がマカオにあるのですよね? ならば金平糖を見た事があるのではないですか?」
世昌は一瞬、言葉に詰まった。
(……この男、南蛮の事情まで知っているのか?
日本の武家が、マカオの名を口にするとは……意外と世情に明るいのか?)
王兵が口を開いた。
「小行首、ご説明を。……私が代わりに説明をしましょうか?」
「頼む……」
王兵は頷き、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……壬生殿。南蛮人はマカオに拠点を持っております。しかし金平糖を持って来た事はありません。
金平糖は楠予家が作ったとお聞きしておりますが、あれは南蛮人が楠予家に売ったものだったのですか?」
次郎は慌てて首を振った。
「いやいや、あれは楠予家で作ったもので間違いないです。ただ南蛮人も同じようなものを作れると聞いたのですよ、あはは……」
世昌はその言葉に目を細めた。
(……南蛮人が、金平糖を“作れる”と言ったのか……? それを、この男は信じている?
愚かな。南蛮人は自分たちの技術の方が優れていると信じている、だから見栄を張ったに決まっている。やはりこの男、商人として致命的に甘いな)
この時代、金平糖は、当時のヨーロッパでも高級品で、王侯貴族や富裕層の嗜好品だった。
そして食品という性質上、1年以上かかる長距離航海に向いていない事。
また砂糖が高価で輸出に回す余裕が無かった事などから、まだ明国までは持ち込まれていなかった。
世昌は取引の話に戻った。
「あと……薬!
清風散……あれも良い。
船乗り……すぐ腹を壊す。
あれ……助かる」
王兵が頷く。
「楠予の薬は明国でとても評判が高いのです。そのため需要が高くよく売れております」
次郎は嬉しそうに笑った。
「石鹸、楠予焼、金平糖、清風散……
どれも池田の主力商品です。
ご希望の量を、いくらでもご用意しましょう。
あっ、そうだ。代わりに薬の元になる珍しい薬材を持って来てくれると買い取りますよ!」
世昌は満足げに頷いた。
「分かった……持ってくる」
(……良いぞ、この男。
話が早く、こちらの利になる提案までしてくれる。扱いやすい上に、取引の幅も広げられる)
次郎がふと、思い出したように言った。
「それと……先ほど申し上げた“新しい商品”もあります。
池田に着いたらお見せしますので、期待していて下さい」
世昌は日本人に習い、軽くお辞儀をし、心の中で笑った。
(もう目的は達成した。
石鹸、楠予焼、金平糖、薬……これだけあれば十分だ。
こんな島国で明国に売れる品が、そうそう作れるわけがない)
馬車は静かに進み、道の両脇には田畑や家々が整然と並んでいる。
王兵が横で小声で言う。
「小行首、随分とご機嫌ですね」
世昌はニヤリと笑った。
「当然だ。どの品も大量に購入出来れば帰りの船は満載になる。既に十分だ」
だが、その胸の奥に、ほんのわずかな“違和感”が残り、何かが引っかかる。
(港、道、馬車、数多くの商品、どれか一つだけなら“偶然”もあり得る。この男ただのバカではない。期待の商品とやら……少しは期待してやるか)
世昌があれこれ考えるうちに、馬車は池田の商人町へと近づいていた。




