121 『鏡工房』と〘無料学校』
1544年6月
池田の工房地区に、またひとつ新しい建物が加わった。
次郎が戸を開けて中へ入ると、新築の木の甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
差し込む朝の光が、作業台の上に置かれたガラス板を白く照らしていた。
(結花が『ちゃんとした鏡を作れ』って煩いんだよな。
『青銅の鏡じゃ、顔がぼやけてきちんと化粧できない!』って……)
次郎はその時のやりとり思い出し苦笑する。
次郎は作るのが面倒で『化粧なんかしなくても、君の方が花よりずっと綺麗だよ』と結花の顎をクイッとした。次の瞬間、次郎の腹にグーパンが飛んで来たのだ。
その後、次郎が調べてみれば、日本では青銅鏡は明治の中頃まで使われ続けていた。
一方、ヨーロッパではすでにガラス鏡が作られていた。だが、作り方はヴェネツィアの国家機密で、製造コストが莫大であったため王侯貴族しか持てない超高級品だった。
しかもヨーロッパの鏡は水銀アマルガム法 と言う製法だっため、大きな鏡は作れないと知った。
――つまり、これは“売り物になる!
次郎はそう確信した。
そして鏡工房を、堀と城壁に囲まれた職人以外は出入り出来ない工房町の、さらに城壁で囲まれた最重要地区に建てたのだ。
問題は、いわゆる現代の鏡、銀蒸着鏡が登場するのが1835年だった事だ。
次郎のチートで『知識購入』をしようとすると『9999兆貫文』という、実質購入不可の価格が提示された。
そこで次郎が選んだのは錫膜法
――古代から存在する、錫を反射層に使う鏡の製法である。
これに目を付けたのは、この技術が未発達で、ヨーロッパの水銀アマルガム鏡と同じく“小型の鏡”しか作れない半ば埋もれた技術に過ぎなかったからだ。
次郎はこれに現代知識を注ぎ込み、ガラス製造・平面研磨・膜形成の工程を一つずつ最適化することで、錫膜法が本来持っていた潜在能力を“完成形”にまで引き上げる事にした。
これでヨーロッパの鏡と同等の性能を持つ、大型の鏡が作れる技術に進化すると睨んだのだ。
次郎は腕を組み、ガラス板をじっと見つめた。
透明度は十分。問題は――平面度と反射面だ。
「弥八、庄吉、準備はできたか」
声をかけると、弥八と庄吉が深く頭を下げる。
「はい。銅板の研磨は済んでおります。あとは、錫を溶かして塗るだけです」
「よし、始めよう」
庄吉が銅板を作業台に置き、粗い砥石で表面を削り始めた。
ザリ、ザリ、と音が響く。
「もっと均一に。力を入れすぎると歪むぞ」
「はい!」
次郎は横で見守りながら、時折板を手に取り、光にかざす。
(まだ波打っている……これでは星が二重に見える)
次郎は自ら砥石を取り、細かい砂と油を混ぜた研磨剤を塗り、円を描くようにゆっくりと磨き始めた。
キュッ、キュッ、と音が変わる。
表面が徐々に滑らかになっていく。
「庄吉、これが“平面”というものだ。
鏡は、ほんのわずかな歪みが命取りになる」
庄吉は目を丸くした。
「こ、こんなに違うものですか……!」
銅板が鏡のように輝き始めた頃、弥八が小鍋に錫を入れ、火にかけた。
「溶けました!」
「よし、薄く、均一に流すんだ」
溶けた錫が銅板の上に広がり、銀色の膜を作る。
次郎は息を止め、布でそっと表面をならした。
錫が冷え、固まる。
次郎は布で表面を磨き、ゆっくりと持ち上げた。
工房の灯りが、鏡の中にくっきりと映る。
「……できた!」
弥八が思わず声を上げた。
「お、おお……! こりゃあ、青銅鏡とは比べ物になりませんよ!
人の顔が、はっきり見えます!」
次郎は鏡を自分の顔に向けた。
そこには、戦国の世ではあり得ないほど鮮明な“自分”が映っていた。
次郎は鏡をそっと置き、深く息をついた。
「弥八、庄吉。後は信頼出来る鏡職人を育てるのだ、頼んだぞ。
この技術も間違いなく特産品になる」
「はい!」
「もちろんです! 今ある鏡なんてこれに比べればゴミです! 絶対高値で売れますよ!」
工房の空気が熱を帯びた。
こうして、日本で初めて“現代風の鏡”が生まれた。
この鏡は堺の商人たちを驚かせ、さらに海を越えて中国の海商の手に渡り、楠予家に莫大な利益と、“技術国家”としての名声をもたらすことになる。
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幕間
次郎が伊予に学校を作ってから、すでに二年の月日が過ぎていた。
伊予の東方では、学ぶという行為そのものが徐々に根付きつつある。
とはいえ、今ある学校はまだ三種類だけだ。
• 勘定方学校(算数・ソロバン・簿記など実務技能)
• 基礎学校(文字の書き方、楠予家の制度など基礎知識)
• 指揮官学校(軍事指揮・戦術の基礎)
だが、学校の種類を増やすには、まだまだ時期尚早だった。
そこで次郎は、領内の学力を底上げすることと、学校文化を広めるため、別の角度から策を練った。
――子どもたちを教育する。
幼い頃から読み書きを教え、
「自分は楠予家の民である」という意識を自然に根付かせることができれば、
それは単なる教育ではなく、もはや国家形成そのものになる。
子どもたちが大人になる頃には、
『自分の村と同じような感覚で、楠予家を支えるのが当然』という意識や、価値観を持つ民が育つ。
それは、やがて日本全体が一つの意志で動く体制へと繋がり、『国家一丸』と言うスローガンのもと、強力な団結力を生み出す力になる。
この団結力は海外と戦う時代が訪れた時、世界戦の勝敗を決める重要な要素になる。
次郎はそう確信していた。
とはいえ、義務教育を行うには民衆の生活レベルも文化レベルもまだまだ厳しすぎた。
そこで次郎は、月に一度だけ、無料で子どもたちに教育を施す仕組みを考えた。
無料学校――場所は真律宗の寺だ。
この時代、人々が最も気軽に集まれる場所である。
寺には、子供たちの道徳の授業中に、『真律宗の教えを少しだけなら混ぜて教えてもよい』との交換条件で場所を提供させた。
こうして楠予家の教師(役人)を月に一度派遣し、まずは“ひらがな”だけを教える。
それだけでも、未来は大きく変わると考えた。
ーーー
楠予領にある真律宗の寺。
その本堂には、村の子どもたちが二十人ほど集まっていた。
普段は法事や説法に使われる場所だが、今日は違う。
子供達それぞれの前には砂盤(浅い木箱に砂の入ったもの)と竹の棒が置かれ、
前方には黒板が立てられて、その横にはチョークが数本、木箱に入れられていた。
子どもたちは落ち着かず、そわそわと黒板を見つめている。
「今日から、楠予家より子供たちの“学びの場”を開くとのことじゃ」
寺の僧侶・玄道が穏やかに言うと、子どもたちは一斉に姿勢を正した。
「まずは半刻、わしが”真律宗の教え”と“道徳”を教える。
人として守るべきこと、村で暮らす上で大切なことじゃ」
玄道は、嘘をつかぬこと、盗みをせぬこと、困った者を助けること、親を敬うこと――
昔から村で語り継がれてきた徳目を、ゆっくりと、子どもたちに語り聞かせた。
子どもたちは真剣に耳を傾け、時折うなずきながら聞いている。
やがて半刻が過ぎると、玄道は本堂の入口に控えていた楠予家から派遣された教師たちに目を向けた。
「では、ここからは楠予家の方々に任せよう」
教師の一人が黒板の前に立ち、白い棒――チョークを手に取った。
「皆、よく見ていてくれ。これは“字を書く道具”だ」
キュッ、と音を立てて黒板に「い」と書く。
子どもたちが息を呑んだ。
「白い……!」
「なんだあれ、墨じゃない……?」
教師は微笑み、続けて「ろ」「は」と書き足す。
「これが“いろは”だ。今日から皆には、この字を覚えてもらう。
字を覚えれば、楠予家で働く道も開ける!
楠予家の商業奉行は平民でも働ける場所が多いからな。
さらに精進すれば上級軍人や役人になる事も夢ではない。楠予家での出世は能力次第。
この私も実は行商人の出なのだ。その私が、今では上の方に認められて楠予家の統治部に仕える武士に昇格したのだ!
学ぶ者は、未来を切り開ける、それが楠予家だ!」
農民の子どもたちは目を輝かせた。
その言葉は、彼らの胸にまっすぐ届いた。
親たちは楠予様は名君だと言う。昔よりも遥かにいい世の中になったと誉めそやす。
その楠予様にお仕えし、出世が出来ると言うのだ。子供たちの心が躍らない訳がなかった。
授業が終わると、教師たちは籠を運び込んだ。
中には、湯気の立つ白米の握り飯がぎっしりと詰まっている。
「これは楠予家の御屋形様から子供たちへのご褒美だ。
勉学に励むお前達に期待されておられるのだ。これからも月に一度の授業をまじめに受ける者には御屋形様からの握り飯のご褒美がある!」
子どもたちは一斉にざわめいた。
「白い……!」
「こんな真っ白な飯、祭りの日でも食べられんぞ……!」
「おとうが言ってた。大人になって3月に一度ある真律宗の集まりに出れば真っ白い握り飯が御屋形様から頂けるって!」
「じゃあ月に一度貰えるオラたちの方が得だね!」
教師たちは一人ひとりに握り飯を手渡していく。
そのたびに、子どもたちの顔がぱっと明るくなる。
僧侶の玄道が静かに言った。
「では、御屋形様の方角に向かって礼をいたそう。
感謝の心を持つことは、良い道を歩む第一歩だからな」
子どもたちは自然と立ち上がり、本堂の東――楠予屋敷のある方角へ向き直った。
「「御屋形様、いただきます!!」」
その声は本堂に響き渡る。
すぐに握り飯を食べる子供たちの笑い声が聞こえ始めた。
こうして子供たちの心には、徐々に楠予家と言う家が根付き始めた。




