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五平餅

「ごちそうさん。では行ってくるよ」


 朝食の膳を下げに来た仲居に声を掛ける。


「いってらっしゃいまし」


「ああ、そうだ。そういえばおよしちゃんだっけ? 見かけないけれどどこで働いているのかな?」


 仲居がふと視線を下げる。


「およしちゃんは辞めましたよ。なんでももっと割りの良い仕事を見つけたとかで」


「ああそうなの。まあ稼げるなら良かったじゃない」


「ええ、新しい人も入ってくると聞いていますので」


 ひらひらと手を振って久秀は旅籠を出た。

 おそらくおよしという娘は、話していた男のところに行ったのだろう。

 本当に江戸での働き口にありついたのならいいが、十中八九売られるのだろうと久秀は思った。


「行っちまったか……いや、意外とあの娘も公儀の? まあどうでも良いことだ」


 胸の中がモヤモヤとしたが、売られたとか買われたとかいう不幸話は、耳にタコができるほど聞いてきた久秀だ。

 攫われたのなら助けようとも思うが、きちんと挨拶までして辞めたのだから、これ以上してやれることは無い。


「今日の土産は何にするかな……といってもそろそろ懐も寂しいが」


 道場への途中の茶屋で五平餅を売っていたので、それを包ませ歩き出す。


「金の算段をせねばならんな……旅館で働かせてくれないかな」


 そんなことを言いながら歩いている久秀の後ろをついてくる男が一人。

 その正体も見破っている久秀は、気付かぬふりでぞろぞろと歩いている。


「おはようございます」


「あっ! 安藤先生。おはようございます」


 いつものように宇随の教え子たちが元気よく挨拶をしてきた。


「先生は?」


「お客人をお迎えに出られております」


「ああ、今日だったか。それなら先に済ませておこうか。素振りは終わったのかな?」


「はい、ご指導通り五百ずつ終えております」


「では始めようか。今日は年長の者は幼少の者に型を指導してやってくれ。できるね?」


「はいっ」


「残りは俺と合わせようか」


「はいっ」


 久秀は奥に入り道着に着替えた。

 旅籠からついてきている男は、どうやら門の外で待機しているようだ。


「ご苦労なこったねぇ」


 宇随が迎えに行っている客人というのは、宇随が贔屓にしているお市という芸者だ。

 男ばかりで騒いだのでは面白くないというので、呼ぶ算段をつけたのだった。

 何本か打ち込みを受けていると、宇随が籠を伴って戻ってきた。

 ふと視線を流したところを見ると、どうやらまだ張り付いているのだろう。


「お疲れ様です」


 稽古をする子供らに、持ってきた五平餅を渡してやり、しばらく休憩せよと告げる。

 宇随は籠を道場の裏まで入れさせた。


「誰だ? あれは」


「宿からつけてきましたから、たぶん権さんだと思います」


「殺気は無かったが……お前を見張ってどうしようっていうのだろうな」


「さあ……惚れられちまいましたかね」


 それには返事をせず、駕籠かきに待つように伝えた宇随が、バサッと藁すだれを開けた。

 宇随の手を借りて出てきたのは、年の頃なら咲良よりいくつか上だろうと思しき女だ。


「ああ疲れた。義さまの頼みでなけりゃ来たりしなかったものを」


「まあそう言うな。後輩を紹介するよ」


 とった手をそのままに、宇随が女を屋敷の中に通した。


「あらぁ! なんていい男! まあまあ! こんなことなら一張羅を着てくるんだったよ」


 困った顔をした久秀が、自己紹介した。


「お初にお目にかかります。私は安藤久秀と申す者で、宇随先輩には若輩の頃からお世話になっております」


「ご丁寧にありがとう存じます。私はこの町で芸者をしておりますお市と申します。宇随様には御贔屓を賜っております」


 江戸言葉で挨拶を返され、久秀は少し驚いた。

 この言葉遣いと仕草は、大門の中でも上位の者しか使わない。


「さあ、挨拶はもういいだろう? 奥の座敷に茶を運ばせよう」


 宇随がニコニコと笑いながらお市を誘う。


「宇随先輩。笑うことがあるんですね……知りませんでした」


 久秀が揶揄うと、宇随が片眉をあげる。


「ああ、こいつの前では笑うのさ。お前なんぞには見せるのも惜しい」


 肩を竦めた久秀が茶を淹れに行くと、気を利かせた者たちがすでに準備を整えていた。


「ああ、ありがとう。流石に良い躾をされているなぁ。良き夫になるぞ」


 三人分の茶器を乗せた盆には、五平餅が盛られた皿もある。

 長めのくろもじが添えてあるところを見ると、こういうことにも慣れているのだろう。

 久秀は改めてこの道場の教育方針に感心した。


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