心意気と心遣い
「お待たせいたしました」
久秀は茶を配り、お市の前に菓子皿を置く。
「まあ! 五平餅じゃないか! 嬉しいねぇ」
「つまらないものですみません。途中で焼いていてあまりにも旨そうな匂いがしたもので」
「もしかしたら『さより茶屋』のですか? この道場に来る道にある板屋根の小さい茶屋」
「そうそう、たぶんそこです。毛氈が赤じゃなくて水色だったので目につきました」
「水色の毛氈なら間違いないですよ。おやじさんは元気でしたか?」
「ええ、愛想の良いおやじでした」
「ふふふ、あのおやじは私の一番上の兄なの。元気なら良かったわ。なかなか顔を見ることも無くて」
久秀が目をまん丸にした。
「姐さんがあのお茶屋の?」
それ以上は語らず、お市は宇随の顔を見た。
「ねえ、義さま。私はこの方を気に入りました。ご依頼のことお受けいたしましょう」
どうやら宇随から計画は話してあるようだった。
「そう言うだろうと思ったよ。俺の知る限り安藤の頼みを断ったおなごは一人もいない。なあ、安藤? そうだろうう?」
「ははは! それは昔の話です。今は妻の機嫌を伺うのが精一杯で、可愛い尻に敷かれてますよ」
久秀の言葉にお市が反応した。
「奥様がいらっしゃるの? それなのにここまで一人で?」
「ええ、江戸には妻も息子もおります。宇随先輩に鍛えなおしていただくためにはるばる一人でやってきました」
「そりゃご心配だねぇ。それにしても奥様もよく許したものだ。こんないい男は宿場の女が放っておくはずもないのに」
「いやいや、私が浮気などするはずもないと知っているのでしょう。それより、あまり待たせると子供らの体が冷えてしまう。段取りを決めましょうか」
宇随が頷いた。
「お市は三人ばかり連れて来てくれ。人は任せるが、あまり気の弱いのはダメだ。俺たちの席で楽しませてくれるだけでいい。もしも他席の者が乱入したら、できるだけ盛大に悲鳴をあげて逃げてくれ」
「それだけですか?」
お市が不思議そうな顔をする。
「ああ、それでいい」
「はい、わかりました。でも他の席が入っちまうと身動きがとれません。できるだけ早めにお願いしますよ」
宇随が頷いた。
「おそらく今夜か明日だろうと思う。都合はどうだろうか」
お市が人差し指を頬にあてて、少し考えるような表情を浮かべる。
なるほど宇随が贔屓にするだけのことはあると久秀は思った。
「今日と明日は置屋のお母さんがいないから、宴席は入ってないんです。番頭さんがいるからそこは何とでもなりますよ。お任せくださいな。安藤様はどういった娘がお好みですか?」
久秀は少し考えてから声を出した。
「美しくて気が強く、しっかり者で料理が上手い。それでいて優しくて、夫の帰りを健気に待つ女だな。名前は咲良という」
宇随が噴き出した。
「バカか、お前は」
お市が呆れた顔をする。
「こんな亭主を持ったら女は幸せだろうねぇ」
そう言って宇随の顔をちらっと見る。
久秀は宇随の耳が真っ赤になっているのを初めて見たが、ここで揶揄うと半死半生になることは経験で知っている。
待たせていた籠にお市を乗せた宇随は、道着に着替えて久秀とともに道場に向かった。
一瞬で弛んだ空気がピリッと引き締まる。
「よろしくお願いします」
子供たちの声が響き、鷹揚に頷いた宇随が神棚の前に座った。
その横に控えた久秀は、正座した膝に手をのせて、外の気配を伺っている。
打ち合いをする子供らに視線を投げつつ、宇随が口を開いた。
「おそらく今夜だ。先ほどの奴はお市をつけていったに違いない。焦っていることだろうぜ」
「ははは! だからわざとお市さんの姿を見せなかったんですね?」
「これで奴らは見張らねばならない人数が増えたってことさ。なに、大丈夫だ。お市には相応の剣を仕込んでいる」
「え?」
「お市は芸は売っても身は売らん。あと一年で年季も明ける」
「ではいよいよ宇随先輩も妻帯ですか。良いですよ、妻が待つ家っていうのは」
「そうか……いやしかし、お前があそこまでのろけるとは思わなんだ」
「ええ、自分でも驚いています。これほど人を好きになる能力が俺にもあったのだと感動してますよ」
「もう止めてくれ。口から餡子が出そうだ」
宇随が顔を顰めてそう言うと、久秀が本当に嬉しそうな顔をした。
「良い人ですねぇ、お市さん」
「ああ、あれはいい女だよ。美しくて気が強い。料理はできないが心根は優しい。俺の帰りを健気に待つとは思えんから目が離せないけどな。まるで猫のような女だよ」
「猫かぁ……良いですね。白猫ですね、きれいな毛並みの」
「ああ、しかし料理は覚えて貰わんと五平餅ばかり食わされそうだ」
宇随は機嫌良さそうにそう言うと、横に置いてあった文机でさらさらと何かを書き付けた。
一人の少年を呼び、帰る途中でお市に届けるように言っている。
「今夜じゃないかもしれませんよ?」
「安藤? 俺は宇随義正だぞ」
その一言で納得した久秀は肩を竦めて見せた。
「では今日は早めに切り上げて汗を清めておきますよ」
「ああ、三堀屋に迎えに行く。二人だけだ」
「よろしくお願いします」
宇随が文机の小引き出しから懐紙に包んだものを取り出した。
「先生からお前の稽古代だと預かっている。遠慮なく戴いておけ」
「いや、これは……」
「まあそう言うな。お前ほどの剣士をタダで使ったとなるとこの道場の評判にかかわる。持っていて邪魔になるほどは入っていない。せいぜいあいつらの菓子代くらいのものさ」
久秀は正座して頭を下げた。
「ありがたく頂戴いたします。いやぁ、実はすごく助かります。これで時々は酒も吞める」
宇随がフッと笑う。
久秀は急いで着替えて三堀屋へと帰って行った。




