手に手を重ねて 3
これから……。
当てなど何もない。
ここにだって、歩き続けていたら辿り着いただけの話。
……あれ、ワシ、何でこいつに自分らの事情をこがいにベラベラ喋っとるんじゃ?
ふと気付いた。
ワシらは隠れとかにゃいけんのんよの。
もう諦めてしもうたってことか?
この先を。
潜望鏡で見るような世の中を、短い時間ではあるが、全容を見てきたつもりだった。
だが何も分からない、知識もない主役が自分たちである以上、『これから先』について何らかの策など思い付かない。思い付きそうにない。
ワシらは、ゴミじゃ。
早う死んで詫びようや……。
喉まで届いたその思いを、何度噛み砕いたか。
意味を求めて一つ進み、それ以上に後ずさる。
多数決にも入れない身の何々は、幾重連ねてみても果てがない。
暑かったあの夏。
秋までは長過ぎた。
やがて雪が降り、濡れた肩を寂しく思った。
早く早くと待ち遠しく思っていたら、やっと黄色い花を見ることができた。
新しい匂いはすぐに過ぎ去り、灼熱を懐かしく思い、そしてまた、……。
1年は早い。
いや、遅い。
ワシらはまだまだ子供みたいじゃ…。
年齢など、免罪符にもならないというのに。
失望と焦りを思ったところで、どうにもならないというのに。
「………」
いつまでも黙るアオに、眼鏡の男は自分を『メガネ』と名乗った。
それを聞いてアオも、自分たちのことをアオ・カクゲンと名乗った。
本来の名を口にしたのは、ホームレスが自分たちとさほど変わらない人種に見えたから。
メガネに促されて一緒に公園に入ると、まず連れて行かれたのは簡単な作りの掘立小屋のような家。
「尾崎さーん!尾崎さーん!!」
大声で呼びながら、メガネが戸を叩く。
やがて中から出てきたのは、年の頃50歳くらいの男。
「………」
男は無言のまま、アオとカクゲンをじろりと見た。
「この人がこの公園のリーダーや」
「……あ、はぁ……」
「………」
男はただ2人を交互に見つめている。
アオは確認することもなく、進んで行く話に戸惑っていた。
「………」
「………」
4人はお互いに顔を見合わせながら、しばらくの間沈黙する。
やがて、
「尾崎さん、コイツら、ここで住みたいらしいねん」
メガネがこちらのつもりを聞くこともなく、話を進め始めた。
「………」
「「………」」
生きている以上、この世の全てから解放される、そんな自由なんてないことはすでに知っている。
「お前ら、何歳や?」
「はい、……15歳」
「……15……」
尾崎が呟くように反芻した。
15歳は大人?子供?
アオは静かに尾崎の答えを待つ。
そうしながら、取り合えず少しの間だけでも、ここで暮らすのも悪くはないように思えてきた。
「若いな。メガネ、お前と一緒くらいやなぁ」
この尾崎という男はやたらと声がデカイ。
「ここにはいろんな事情を持っとる奴らがおる。お前らの事情も追々聞くとしてや。おい、デカイの!」
「……はい」
尾崎はアオに向かって大声で尋ねた。
「お前、何ができる」
「………」
何が出来るか?
自分に何が出来るかなんて、考えたこともない。
世の人との遅れなどは、気にならなくなっていたから。
「………」
少し考え、アオはその場で逆立ちをした。
そして地面から右手を離し、左手だけで逆立ちをやって見せる。
さらにその状態で、腕立て伏せをし始めた。
「……いや、お前、何をやっとるんや?」
逆立ちのままアオは、
「何も出来んけぇ、こんな人間になったんじゃ。ワシが人と違うことを出来るとしたら、これくらいじゃ」
力がこもり、声を震わせながらそう応えた。
そんなアオを見ていたカクゲンも、辺りに落ちていた小石をいくつか拾い集め、尾崎を見上げて20メートルほど離れた木を指差す。
「……おい、お前は何を始めるんや」
「………」
カクゲンが大きく振りかぶった。
ヒュッ!
その手から放たれた石は、彼が指差した20メートル先の細い木の枝をピンッと弾いた。
続けて投げた何個もの石は、全てがその木に当たる。
10個ほどを投げ終えたカクゲンは相変わらず何も発することなく、また尾崎の正面に立った。
「………」
「いやぁ……2人ともすごいんやが、それは一体何の役に立つんや」
「………」
また沈黙がその場の時間を止める。
が、やがて、
「……まぁ、ええやろ」
そう言うと、尾崎は2人を手招いて歩き出した。
「ほんまは若いモンがこんなところに来たらアカンのやぞ。住むトコないんならしょうがないけどなぁ……」
2人は尾崎について行きながら、黙って話を聞いている。
案内されたのは、ブルーシートで作られたテントのすぐ隣。
人の通り道、視線の先からひどく奥まったところにその場所はあった。
「おい!おい!カミさん!!」
尾崎の呼び掛けにブルーシートを捲って出て来たのは、先ほど『カミじい』と呼ばれていた男。
「カミさん!こいつら、アンタの隣に住まわせるからな。よろしくな!」
「………」
男は何も言うことなく、再びブルーシートの中へと姿を消す。
「チッ!……まぁええわ。お前ら、後でワシん所にあるシートを取りに来い。2人でここに住めェ」
尾崎はそう言うと、また来た道を戻って行った。
そこは木に遮られ、昼間にも関わらず日も当たらない寒々しい場所。
すぐ傍には公衆トイレがある。
あっと言う間に事が進んでしまった。
話の流れでこんなことになってしまったが、カクゲンはどう思っているのか。
隣をちらりと覗ってみたが、無表情の彼の横顔から何かを感じ取るのは難しい。
「………」
結局アオは何も言えず、聞けず、向き合う相手は自身になる。
ここで暮らせばお金はいらないのか。
彼らと上手くやっていけるのか。
自分たちは、ここで上手く立ち回れるのか。
思考が瞬く間に自問を繰り返す中、アオはもう一度、ちらりとカクゲンを見てみた。
「………」
彼は相変わらず、何となく前方を凝視したまま。
いや、……決まったものは決まったのだ。
当分ここに住んで、世の様子を見るのも良い。
アオはそう自分に言い聞かせ、
ここにもあるだろうルール。
それを理解しようと思った。
3月6日 午前7時半
アオ14歳。
カクゲン16歳。
この時間になると、アオはカミじいちゃんの茶碗を取りに行く。
文句を言いながらも空になっている茶碗を洗い、また明日に備えるために。
この日は近くで行われるフリーマーケットに出店する予定だった。
日曜日に必ず行われるフリーマーケット。
そこで2人は一月に掛かる費用を稼ぐ。
やっぱり世の中タダって物はないんじゃ。
ここは家賃がいらんだけなんじゃ。
1年もこんな暮らしをしていると、匂いも空気も染み付いてしまう。
今では、オマケ程度に抱いていた不安すらなくなってしまった。
かと言って、安心しているわけでもない。
……ワシらは一体何をしたいんじゃろうのぅ?
お前は知らんか?
ワシらが一体何をしたいんか。
ここに住む人たちには曜日など関係なく、昼前になるとそれぞれが仕事に出掛けて行く。
仕事と言っても一般のものではない。1日働いて数百円ほどの仕事。
以前は先が思いやられていたが、これにももう慣れてしまった。
様々なことに慣れ、学び、目新しいことに目を見張ることも減ってきた。
毎日が同じことを繰り返す日々。
『大人になると毎日が同じでね、見慣れたことばかりだから、1年があっという間なのよ』
……まだ遅い。
まだ長い。
そんな日々の中、アオには変わらずどうしても気になることがあった。
競馬じいさんのことだ。
彼は朝食の時間になるとポッと現れてみんなと一緒に食事をし、スケールの大きい話をする。
その後は昼まで、公園に集まるハトにエサをやっているのだが、そのうちいつの間にかこの公園から姿を消している。
どこで寝泊まりをしているのか、誰も知らない。
その競馬じいさんは今日も公園の片隅で身を屈め、ハトに囲まれてエサやりをしていた。
「………」
その姿をじっと見つめるアオに、彼が気付く。
「おーい!デカイの!デッカイ兄ちゃん!こっち来ーい!!」
「………」




