手に手を重ねて 2
10月15日 15時頃
歩いては止まり、進んでは止まるを繰り返し、2人はこの街に辿りついた。
この1年、随分と歩いた。
あちこちで飛び交う声は、今までテレビでしか聞いたことのない言葉、イントネーション。
ここはとても大きな街で、人が人に隠れて生きている。
公園では街からあぶれた人たちが、テントや小さな家を作って暮らしている。
最初は滑稽に思えた。
2人にとっても。
アオ13歳。
カクゲン15歳。
空はとても青く、空気は乾き、陽の下はあたたかく……、恐らく1年の内で今が最も過ごしやすい季節なのだろう。
煩わしい外敵が少ない分、こんな2人にとっても幾分、いや大分生きやすい季節。
……と言っても2人は今、四方八方を学生服の集団に囲まれている状況なのだが。
「おい!ほんまにこいつらを叩き潰すだけでええんじゃの?」
「………」
アオが振り返り、話しかける男も学生服姿。
「おう、頼むわ!こいつらとはエエ加減勝負つけなアカンねん!!」
「ほんまに1万円じゃの?」
「おう!ほんまや!!」
学校間での不良同士のケンカの片棒を担ぐ。
やっと見つけた、この仕事。
「タロウ!ええアルバイトじゃ!!」
「………」
誰が誰よりケンカが強いかなんてのには、興味はない。
自分の腕を試したいなどとも思っていない。
ただ、食うことに迷っている。
くたくたになりながらも、残った例の30枚のお札には手を付けていない。
大人になるまで取っておこうという話になったのだ。
……いや、違う。
カクゲンからは返事がなかったので、1人でそう決めた。
「1人4人の計算じゃ!余裕よね!!」
そう叫んで飛びかかろうとした時、後方からピーッ!!という笛の音が聞こえた。
「コラーッ!!クソガキ!!何さらしとんじゃあーッ!!」
振り向くと、制服を着た大人が3人。
警察官だ。
「うわッ!ヤベェッ!!」
途端、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く学生たち。
それに慌てて声を上げるアオ。
「おい!!1万円は!?ゼニは!!」
一目散に逃げる学生に気を取られ、駆け寄って来る警察官に反応が遅れた。
隣にいたカクゲンも、とうに逃げて姿が見えない。
「……ッ!!」
1人逃げ遅れたことに気付き、走り出そうとしたが足がついて来なかった。
迫る動向よりも、1万円を取り損ねたショックの方が大きかった。
ザザッ!!
アスファルトを黒靴が滑る。
もたついているうちに、アオは後ろから警官に取り押さえられてしまった。
「大人しゅうせぇッ!!」
耳元の大声。
そこでようやく事の重大さに気付く。
法律などを決め、拘った自由。
その重みを空腹が覆い隠していた。
あんなにも大人の目を気にしていたのに。
……こんなことで終わるんか……
あー、腹減った……
「オラアッ!!お前ら何さらしとんじゃ!!オオーッ!?」
アオよりも遥かに興奮した警官の弩号に囲まれる。
力が出ない。
追いつかない気力。
諦めと空腹が焦りを食い、思考をも食い散らかす。
「詳しいことは署で聞くぞ!来いッ!!」
警察なぞに捕まったら、これまでの行動が……
そうは思ったが、それ以上頭が回らなかった。
抵抗するでもないアオを押さえつけ、抱え上げる警官。
そのまま連れ去られそうになった時、そこへ1人の男が近づいてきた。
「……お巡りさん」
その声に、3人の警官たちが振り返る。
そこに立っていたのは、ボロボロの服にぼさぼさの頭。
70代くらいの男。
「何や」
「そいつはワシの孫なんや。さっきのは巻き込まれただけなんや」
「孫?」
警官は下から上へと老人の容姿を一通り眺めてから、尋ねた。
「……じいさん、住所は?」
そこで男が指差したのは、背後の公園。
「………」
警官たちは一様に視線を動かして公園を確認し、そして一様に同じ時間押し黙った。
それから、
「じゃあこの子もあそこで暮らしてんのか?」
その問いに、男は一つこくりと頷く。
「……まあ、さっきの学生の仲間とちゃうんならエエやろう」
警官は急に態度を変え、アオから手を離した。
同時にその場に座り込むアオ。
……1万円……約束の1万円……
絶体絶命のピンチから逃れたことよりも、そっちの方が気にかかる。
男と警官たちはそんなアオを余所に、数分間話をして別れた。
やがて警官の姿が見えなくなると、男はアオに話し掛けてきた。
「兄ちゃん、行けるか?」
俯いていたアオもその声に振り返り、
「……ああ。じいちゃん、ありがとう」
男は前屈みの姿勢で、アオをじっと見降ろしていた。
突然現れたこの老人。
もちろんアオに面識はない。
ということは、恐らく向こうも。
呆けたように彼の顔を見上げていたアオも、漸くのろのろと疑問が沸き上がる。
「……何で助けてくれたんじゃ?」
しかし男はその問いには答えず、手に持っていたビニール袋をゴソゴソ探ると、中の物を一つアオに差し出した。
「お前、帰る所のない子やろ?腹減ってんか?」
それは、紙に包まれたハンバーガー。
「………」
何故?
そんな疑問も感じた。
浮浪者。
それに見間違えられないように服装はもちろん、身だしなみには気を遣っていたつもり。
……例え罪を背負っても。
アオも問いに答えることなく、差し出されたハンバーガーに手を伸ばす。
手の平にじんわりと透る温かさ。
浸みていく、酸っぱい匂い。
それを確かめ、探るように辺りをきょろきょろ見渡すと、数メートル先の木の上からカクゲンがザッと飛び降りた。
彼は走るでもなく、早歩きするでもなく、こちらに視線を据えたまま近づいてくる。
「何や、もう一人おるんか」
男はまた袋からハンバーガーを取り出して、
「ちょうど3個あるわ」
そう言って、カクゲンにその包みを手渡した。
「あそこが空いとるわ。あそこで食べよ」
男に促され、3人は並んでベンチに腰を掛ける。
「賞味期限は切れとるけどなぁ、売り物にならんだけや。食べれる」
2人は男の話を無視するように、一心不乱にそれに齧り付いた。
瞬く間に腹に納め、包み紙に付いたケチャップまで舐め、そうしてやっと人心地付いた気がした。
「「………」」
現金なもので、その時にはすでに取り損ねた1万円のことは忘れている。
同時に、少し余裕も出てきた。
「……じいちゃん、ホームレスか?」
「ああ」
「……ワシらも帰る場所がないんじゃ」
「お前ら、どこから来たんや?それ、どこの方言やったかなぁ?」
「……ワシもよう分からん」
「さよか」
「「………」」
腹に何かが入ると、少しの間気持ちも安らぐ。
2人は同じような心地でそこに座り、地面の白い砂を眺めていた。
空谷に現れたのは、1人の年老いたホームレス。
自分たちがなってはいけないと考えていた人種。
リズムで表した考えではない。
自分たちにはそぐわないと考えた生き方。
「じいちゃん、公園に住んでて面白いか?」
「面白なんかあるかぁ!…せやけど、しゃあないやろ…」
「………」
『しゃあない』
仕方がない、か…。
自分たちは、もうとうに仕方のないところまで来ているのではないのか?
自らの千万を思い、何となく諦めかけていた。
辿りつけもしない道端で、『間引かれないうちは続ければいい』と勝手に思い込むことにした。
……すでに間引かれているというのに。
どこを足して、どこから引いて……理屈をつけて、理由をつける。
そうまでして、誰も生きねばならぬとは言っていない。
誰も彼も、言ってはくれない。
「おーい!カミじい!」
その時、少し離れたところからこちらに話し掛けてくるもう1人。
よれた紺色の服に、穴の開いたシューズ。
格好から、公園に住む人だと分かった。
「ポリなんかと話しとるからビックリしたでェ!」
「………」
「何や、こいつら?」
駆け寄って来た若い男はアオとカクゲンを指差して、そう尋ねた。
しかし、カミじいと呼ばれた隣の男は返事もせずにベンチから立ち上がると、素知らぬ顔をして行ってしまう。
「「………」」
険悪とも言えない空気に、何か事情があるのだろうと想像した。
眼鏡をかけたその男は去って行くカミじいには目もくれず、興味津津と言った様子でアオとカクゲンを交互に見、
「なぁ、何があったん?」
アオが自分たちの事情、先ほどの出来事を簡単に話して聞かせると、
「へぇ!カミじいは偏屈なんやけどなぁ!人助けるかー?!」
笑いながらそう言った。
「お前ら、お礼言うた?」
「ああ、一応」
「で?お前らどうするん?」
「え?」
「これからどうするん?」
「………」




