こぼれおちるもの 19
この頃アオの脳裏にはもうすでに、夏休みの期間が終わったらこの街を離れよう。
その考えがあり、準備が進んでいた。
ただ一つ、気になることがある。
タダシは相変わらず自分のことは『ダイスケくん』と呼ぶが、いつの頃からかカクゲンのことを『タロウ』と呼ぶようになっていた。
夕方6時になり、自分たちが「帰る」と言うと、いつもカクゲンの腕を引っ張り、
「もうちょっとー、もうちょっとだけー」
と駄々を捏ねる。
そんな風に、すっかりカクゲンに懐いたタダシのことが心配だった。
カクゲンがいなくなったら、タダシはどんなに悲しむことだろう。
そしてそれは一方的なものではなく、カクゲンも同様。
もう、あと10日もないのに……。
グラウンドは今日もカンカンの太陽に照らされて、とても暑かった。
野球の途中、サクラが「トイレに行って来る」と言って、校舎の方へ走って行った。
そこで、まるでそれを待っていたかのように、田村たちがわらわらと近寄って来る。
「アオキくん、誕生日会にさ、プレゼント用意しなきゃいけねぇだろ?塩崎って何貰ったら喜ぶんだろうな」
「プレゼント?」
アオの問いに、田村を始め4人がキョトンとした顔をする。
「いや、だってアオキくん、誕生日会呼んでもらうんだから、プレゼントくらい用意しないとダメだぜ?ごはんもご馳走になるんだしさ」
「プレゼントっちゅーのはどうすりゃエエんじゃ?」
「うーん……塩崎が欲しいものをあげるとか、自分たちがあげたいものをあげるとか、じゃないかな」
「「んん!?」」
思わずカクゲンと声を揃えて唸ってしまった。
田村たち4人は、お金を出し合い、4人で1つのものをサクラにプレゼントすると決めた。
自分たちも誘われたが、それは断ることにする。
これまで何度かサクラの母にお礼をしようとしたが、受け取ってもらえなかった。
今回のことは、何かお礼をするチャンスだと考える。
「ワシらはワシらでするけぇ。誘うてもろうたのにスマンの」
「いや、別にいいんだよ。じゃあ俺らは4人でまとめてするよ」
「うん、分かった」
そこへサクラが戻って来た。
その後4人は一切その話をしなかったので、プレゼントというのはサクラに内緒で行うものだということは聞かずとも分かった。
その日の夜、2人は寝床で相談した。
サクラへのプレゼントについて。
「しかし……プレゼントいうても何をあげりゃエエんじゃろうのぅ」
「う~~~ん…。○ン○○でいいんじゃねぇか?」
「ええ?ありゃぁもうよけぇ持っとるじゃんか、あいつ」
「……そう」
プレゼントなど誰かにあげたこともないし、貰ったこともない。
『サクラが欲しいもの』
これならまだ分かる。サクラにあげるものなのだから、サクラの欲しいものがいいに決まっている。
しかし、『自分たちがあげたいもの』とは。
あの4人の口振りからして、金銭ではダメらしい。
サクラの母も受け取らなかったし、誕生日のプレゼントだと言っても、多分サクラも受け取らないような気がした。
『プレゼント』
それは何と難しく、曖昧なものなのだろう。
「「………」」
アオはふと思いつき、ズボンの後ろポケットに手を突っ込んだ。
今、寝床にしている、ある会社の資材置き場。
ここにお金を置いておくのは危険だと、2人は全てのお金を常に持ち歩いている。
今ある小銭はニ等分にしてそれぞれが持ち、お札の方は全てアオが管理していた。
アオはポケットから、紐で縛られたお札を取り出す。
何をあげたらいいのかはもちろんだが、予算のことも考えなければならない。
「1、2、3、4、……」
音読しながらお札を数える。
「………あれ?」
そして、この時初めて気が付いた。
カクゲンが代償にと取り上げたこのお金。
当初は75枚あった。
それが今、気付かないうちに70枚に減っている。
「………」
気付かないうち……
落としたのだとしたら、全てが無いはず。
……使ってしまったのだ。
サクラの家に通うようになってから、毎日お昼ごはんをご馳走になっている。
贅沢はできないと、朝はもちろん夕飯も食べないようにしていた。
なのに…。
確かにサクラやタダシが母から貰う小遣いに付き合い、お菓子やジュースなどを買っていたが、こんなに減っていたとは…。
この現実に、アオは顔から血の気が引いて行くのを覚えた。
30日も経っとらんぞ…。
今、ワシはどがいな顔をして、毎日を過ごしとるんじゃ?
掛け算で計算できるはずじゃ。
この金があと何日持つんか…。
「……なぁ、なあ!アオって!」
「…え?何じゃ?」
カクゲンの大きな声に、思考を引き戻された。
「あの○ン○○、あるだろ」
「……おう」
「あれってな、ジュースの自販機みたいにして売ってるんだぞ」
「おう、そうなんか」
「昨日、深見がやってたぞ。100円玉入れて、グリッて」
「深見って誰じゃ?」
「えー?何だー?何言ってんだよ。あいつらの中にいるだろ。田村、新谷、中村、深見、だよ」
あの4人の中で覚えている名前は『田村』だけ。
しかしそんなことより、気になることがある。
「……お前、まさか一緒に買うたんじゃあるまいの?」
「えー、買ってねぇよ。タダシに1個貰って、もう持ってるからな」
「……そうか」
ちょっとほっとした。
忘れてはならない。
彼らとは立場が違うのだ。
「ほら、プレゼントだろ?サクラ、朝起きるの苦手で、目覚まし時計が欲しいって言ってたぞ」
「ああ、あの喧しいヤツか」
「そう。あれの可愛いのが欲しいって言ってたな。ピンク色のヤツとかじゃねぇか?」
「そうか」
「お金はあるんだしさ、いいヤツ買ってやろうぜ?高いヤツがいいヤツだろ?それでな、サクラにだけあげたら、タダシが拗ねるといけねぇだろ?だからタダシにも何か買ってやろうと思ってんだよ。タダシには○ン○○でいいかもな」
「………」
先ほど自分自身に気付いたように、何となくカクゲンの顔つきが以前と違っているように見える。
これは血色などの話ではない。
目尻が下がり、
口角が上がり、
眉間の皺が伸び、
飢餓感を忘れ、
五感が削り取られ、愚鈍になり……。
それは、知らない間に順応してしまっている、憐れな姿。
至ってはならない、洗練された姿。
……自分たちは、忘れてはならないのだ。
「誕生日会って一体どんなことすんだろうなぁ?」
「………」
楽しそうなカクゲンに、この生活は8月31日までだと言えずにいる。
もうあまり時間がない……。




