こぼれおちるもの 14
「ブハッ!!」
アオが噴き出した。
カクゲンは無表情のまま、動かない。
「こりゃぁワシらの墓じゃのう!」
「……そう」
アオは腹を抱えて笑い出す。
しがみ付いてきた生は実に呆気なく、この場所で敷居を跨いでいる。
「誰のためのもんじゃっちゅーんじゃ!墓なんざ生きとる人間のためのもんじゃろうが!ヒャーッハッハッハッハッハッ!!腹が痛ェ!!」
「……他に2個あるね」
「ほんまじゃのぅ!板が刺さっとらんじゃん」
板が抜けてしまった形跡のある、2つのこんもりとした墓らしきもの。
誰の墓かは分からない。
知る人間か、知らない人間か。
しかしそれが誰であろうと、そしてこの墓に自分たちの名前が書いてあるのを見ても、それほど気にはならなかった。
現に今、自分たちは生きている。
「ついでに寄ってみたら、またエライもん見つけたのぅ!」
「……そうね」
「あの頃、こっからあの街まで随分歩いた気がしたんじゃが、車で走ったらすぐじゃのぅ」
「………」
ない思い入れでここへ来たのは、懐かしむためでもなく、探し物をしに来たわけでもなく、ただの興味でしかなかった。
あの頃一緒にいた他の人間たちがどうなったのか、たまに思い出していたから興味があった。
それだけ。
自分たちの識見に対する良悪を計るためでもなく、ただそれだけ。
「……アオ」
「ん?」
「方言、戻ってるじゃないの」
「あー、まぁ、まだ仕事始まっとらんのじゃけぇ。ワシャぁもう共通語と関西弁をクリアしたで。お前も関西弁くらい覚えたらどうじゃ?」
「……いいよ。それよりさ」
「ん?」
「……僕の、……僕のこのカタコト日本語、ほんとに必要?」
「何でじゃ?」
「……僕、見た目は日本人と変わんないじゃないか」
「ま、備えはあった方がええじゃろ」
「……そう」
ザアアア――――ッ…
また大きな風が吹き抜けた。
山の上の寒風は更に身に沁みる。
―――― 采配を振る者なぞ、自分たちにはいない。
アオは一度、ぶるりと震えた。
―――― 賽の河原がどこにあるのか知らないから……
誰も教えてくれないから……
2人の大事は、今日の夜。
依頼とは違う、大事な用。
どんな嵐が吹くかと僅かな期待も見え隠れしてはいたが、崩壊していたあの場所を見、心が落ち着き、屈託なくその場で立ち尽くすことができた。
カクゲンが何の興味もなさそうに、無い建物を見上げている。
アオが足元に転がる瓦礫を靴で蹴り上げる。
「少し寝といた方がええのぅ」
「………」
「車でええか?」
「……いいよ」
―――― これから、大事な用がある。
12月21日 22時過ぎ
下調べなどは完璧に済ませている。
奴はさぞかし黄金の日々を過ごして来たことだろう。
逃げるでもなく、隠すでもなく、問われるわけでもなく、悴むこともなく。
そのアパートは、外の螺旋階段で上下が繋がっている。
アオは2階の、いくつかドアの続く吹きっ曝しの通路で、予定時間の3分前から手すりに凭れて待っていた。
パンツのポケットに手を突っ込み、寒さを凌ぎながら。
無風の時を待って、ゆっくりと鼻から息を吸い込む。
その土地その土地によって、匂いは違う。
この匂いは、いつか嗅いだことのあるもの。
再読するまでもなく、間違えようのない匂い。
……カン…カン…カン……
やがて、待ち人は2人の下調べ通り、同じ時刻にこのアパートに帰って来た。
「………」
アオは一度大きく息を吸い込み、そして吐き出す。
……カン、カン、カン……
だんだん近づいて来る、螺旋階段を昇る音。
もちろん、もう緊張などはしない。
ただ初めての頃と同じような、武者震いは感じている。
カン、カン、カン……
……コツ、コツ、コツ……
靴音は階段から通路に変わった。
手すりに背中を預け、星のない空を見上げていたアオはその体勢を崩さず、目の端でその人物を捉える。
現れたのはスーツ姿の、手にコンビニの袋を提げた、短髪の男。
中肉中背、顔も写真と何ら変わりない。
……確認するまでもない。
とっくの昔に覚えた顔。
男の部屋はこの2階の一番奥。
ペコッとお辞儀をし、アオの前を通り過ぎようと、男がまた一歩を踏み出す。
―――― この闇は今、瞞着された寂寞の限りだった。
直後、アオは静かに部屋の壁に片足を掛け、男の動きを止めた。
「………」
今回、カクゲンには手を出さないように言ってある。
カクゲンが手を出すと、一瞬で終わってしまう。
それでは返してもらった気がしない。
この心境は目を見張るほど顕著で、喫水線のギリギリを行く。
「………」
進行を妨げられた男は、微動だにしない。
直立のまま、首を回すでもなく、視線だけをアオに向けている。
―――― あれから10年。
忘れることのなかった、比重の重すぎる矛先。
「ヒャヒャッ!」
アオはまず笑った。
「ツラは写真のまんまじゃのぅ。ワシら、ずっとアンタのこと、『ウマ・ヅラ男』って呼んどったんじゃ。本名も知っとるでェ」
「………」
男の手にあるビニール袋が、時折微かに音を立てる。
「ハハッ!そがいに睨みんさんな。アンタの顔で『ウマ・ヅラ男』!オモロうないか?ウマイこと言うとるじゃろ!…笑うた方がええで。最後になるんじゃけぇ」
「………」
男は慌てるでもなく、睨むように、ただ直立を守ったままアオを見ている。
「アンタの代わりに償うとる奴がおるのぅ。全く関係ない奴がいまだに償いよるわ。○会の大物…アンタの親父の力じゃのぅ。その代わりにアンタ、勘当されたんじゃわいのぅ?ワシ、よう知っとるじゃろ」
それを聞いて、男の体は縦に数ミリ動いたように見えた。
「年末じゃけぇ忙しいじゃろうのぅ、南条ユウさん。家族もおらん、女もおらん。年末休みに入っても帰る所もないのぅ。ご丁寧に車だきゃぁ乗り続けとるってか」
最後は吐き捨てるように言ったアオに対し、男は小さく口の中で呟いた。
「……いいですか」
「ん?何じゃ、よう聞こえん」
「……警察……警察、呼んでいいですか」
その答えにと、アオは黙って口元を笑みの形に歪めて見せた。
己が逆光線でも背負っているかのように、この男の姿がはっきりと見える。
―――― 本当に待ち侘びた。
僅かなこの時間を、男は短く感じているかもしれない。
しかし、アオにとってはそれなりに長い。
抱いてきたものは恨みやつらみ、そういう類のものを大きく凌駕していたから。
「はっきり言うて、ワシャぁエラそうにモノを言えるようなガラじゃぁないんじゃが、…ま、アンタにだきゃぁのぅ。ワシら、別にこの時のために10年間生きてきたわけじゃぁないんじゃ。ただの、この願いだきゃ何の混じりっ気ものうやって来れた」
「………」
「人のモン壊したら、弁償せにゃぁいけんじゃろう」
アオは突き出していた足を引き、男の正面に立つ。
男の目は冷めたまま、何の色をも映すことがない。
「借金だってそうじゃねぇか。ありゃ将来収入の前借りじゃろ?必ず返さにゃいけん」
「……何言ってんだ?頭おかしいのか?」
男の声は耳に入らない。
今の自分は自己陶酔の極み。
「人はほんまにやりたいことを見つけたら、一生じゃ時間が足りんのんじゃろうのぅ。アンタ、それを壊してしもうたんじゃ。一生でも足りんかったかもしれんのに」
「………」
アオの静かに透る声は、やがて消えて、跡形をも残さない。
「お前も大事な人を失くしゃあエエ思うたが、お前にゃそんな人おらんのぅ。何もしとらんし、嫌なことから逃げて、何も作って来とらんし、何も握っちゃおらん」
「………」
アオの思うところ
カクゲンの思うところ
押して固まったこの思いは、目の前の男には伝わりはしないのだろう。
そう思うと、ほんの僅か、空気が薄くなったような気がした。
巡り、なぞる記憶に、足の着き場が朧になる。
アオは唇から笑みを引っ込め、僅かに目を細めて男を見た。
真っ直ぐに。
―――― ポケットに突っ込んだ指先に触れる、ほんの小さな、あたたかいもの。
自分たちの背徳は、あいつには見せられない。
見てほしくない。
…ただ、これだけは見ていてくれ。
男は相変わらず突っ立ったまま、真正面に立つアオの顔を幻視染みた目で見つめているだけ。
……ザワリ……
音を残して、ふと風が止まった。
取り巻き始めた、あの匂い。
……知っとるよ。
帰って来ないものは、帰って来ない。
失くなったものは、失くなったまま。
回収する術を、ワシらは他に知らんのじゃ。
「もう諦めんさい。リミットじゃ」
その不穏な言葉に、男はここでようやく確認する。
「……アンタ、誰?会った覚えがないんだけど?」
それに、アオは笑って応えた。
「ワシか。ワシは、生き物係じゃ」




