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こぼれおちるもの 9

「どういたしまして」

笑ってそう応えたサクラの母の顔を一度見、また更に赤くなり、カクゲンは台所に走って来た。

そして変わらず食事を続けていたタダシを引っ張って、再びテレビの部屋へと戻って行く。

「なぁお母ちゃん!」

「なあに?」

「僕たちな、サクラとさっき、兄弟分になったんだ」

「うん。ありがとうね」

「だから、タダシは子分にしてやるよ!障害者っていうのはな、他のヤツよりケンカが弱かったりすんだよ。だからな、僕が守るために、タダシは今日から僕らの子分にしてやるよ!」

サクラの母は一度驚いた顔をし、サクラと目を見合わせた。

それからカクゲンに向き直り、

「そう。よろしくね。……ありがとうね」

そう言った。

満面の笑みながら、何故かサクラの母の目は潤んでいる。

「別にいいよ!」

笑ってそう言うカクゲンは、サクラの母の心境が分かっているのだろうか。

……ワシにゃあ分からん。

アオは手に持ったままだった生温いスプーンを持ち直し、カレーを掻き寄せ、口いっぱいに頬張った。

それはとてつもなく美味しかった。


5人で再開した食事を終えてみると、結局カクゲンが3杯食べ、自分が2杯。

あまりに美味しかった結果だが、調子に乗りすぎたかという後悔もある。

だが2人で言った「ごちそうさまでした」に、サクラの母がにこっと笑って「はい」と返してくれたので、少し安心した。


みんなが食べ終わるのを待ってから、サクラの母はタダシの汚した辺りを片付け始める。

タダシの口の周りから手、服。

テーブルの上も、床も。

それが終わると、今度は洗い物。

身綺麗にしてもらったタダシは椅子から降りると、カクゲンの服を引っ張って指を上方に向けた。

「みせてあげるー、みせてあげるー」

「何だー?上に何かあんのか?」

引っ張られて行くカクゲンの後をサクラがついて行く。

「ダイスケもおいでよ。2階が私らの部屋なの」

「お、おう…」

アオは1人で後片付けをしているサクラの母が気になり、手伝おうと思ったが、切り出すのが気恥ずかしい。

「………」

何度も口を開けては閉じ、結局言い出せず、台所を出て3人の後を追った。

遅れて2階へと上がると、

「ここ、タ―くんと私の部屋なんだ」 

サクラがそう言って、部屋の中に入れてくれる。

そこには2つの机、2階建てのベッド、そして恐らく学校で使っているのだろうたくさんの見たこともないモノが置いてあった。

中でも目を引いたのは、それぞれの机の横に掛けられた、変わった箱のようなもの。

同じ形で赤と黒があり、窓からの太陽を反射してテカテカと光っている。

「………」

いかにも滑らかなそれに、触れてみたい。

一体何に使うものなのか、聞いてみたい。

しかしその行為は、いつも出ている尻尾をわざわざ踏みつけられに行くようなもの。

それくらいは判断が付く。

目を見開いて部屋の中をあちこち見回すカクゲンですら開かない口に、アオはその好奇心を諦めた。

次に目を移したのは本棚。

そこに詰まっていたのは本だけではない。

ぬいぐるみや人形、小さな時計やよく分からない置物なども整理されて並べられている。

見たことのないものばかり。

傍でじっくり観察してみたい。

アオがそっと本棚に近づこうとした時、隣で一歩早く踏み出したタダシが「んー!」とその一番上を指差した。

「とってー、とってー」

そうサクラに請う。

「はいはい」

サクラが背伸びをして取り出したのは、丸い缶。

花や女性の絵が描かれている綺麗な缶。

「あー、分かるぞ!お菓子だろ?僕、お腹いっぱいだよ。もう食べれねぇなー」

そのカクゲンの言葉に、サクラが「違うよ」と返事をし、タダシに缶を渡す。

タダシはその蓋をパカッと開けると一気に引っ繰り返し、床の上に中身をばら撒いた。

バラバラバラッ!

中から出てきたのは、青、赤、緑、黄、ベージュなど色とりどりの、細々とした物体。

「何だこりゃ!」

カクゲンの声に、サクラが驚いたように問い返す。

「え?知らないの!?第三じゃ流行ってない?」

「「………」」

嘘がバレるというリスクよりも、この家で嘘ばかりを吐いている自分たちに罪の意識を感じ、辛うじて持っている良心が情けない音を立てる。

だが、更に吐かなければならない嘘。

それは、アオが引き受けた。

「……ワシらは流行りモンには興味がないんじゃ。のう?」

応えるのはカクゲン。

「……うん」

カクゲンが緑の小さなその物体を1つ手に取る。

「これが顔だろ……目はどれだ?鼻がねぇなぁ……人の形してんのにな」

不思議そうなカクゲンにサクラが、これは今、学校の中で流行ってる○ン○○だと教えてくれた。

言葉を重ねれば重ねるほど、嘘を増やさなければならない。

そう考え、アオは会話を避け、だんまりを決め込む。

「○ン○○?」

「○ン○○ンの消しゴム。だから○ン○○」

「お~、消しゴムかぁ!」

「消しゴムって言っても字は消せないよ?」

「「?」」

アオもカクゲンの横から覗き込んで見てみるが、これが何をするものなのか理解に苦しむ。

字が消せない消しゴム…?

手に取ったその緑の○ン○○を裏返し、引っ繰り返し、まじまじと眺めるカクゲン。

そんな彼に、タダシが言った。

「あげるー」

サクラがそれを聞き、タダシに確認する。

「いいの?本当にあげちゃって。後で返してって言っても返してもらえないよ?」

「んー、いいー」

タダシの答えを聞くとサクラは立ち上がり、机の引き出しから小さな透明の巾着袋を取り出した。

その中にもいくつか同じものが入っている。

「実は私も集めてるんだよね」

そう言って袋の中からベージュの物を一つ取り出し、アオの前に差し出した。

「これはねぇ、私の宝物。一番大事にしてるキャラクターなんだ」

「キャラクター?」

「そう。○○ン○○○」

「○○ン○○○?」

「これは私から、ダイスケにあげる」

「………」

アオは黙ったまま、それを受け取った。

隣でカクゲンがポケットに手を突っ込みながら、

「よく分かんないけど、これいくらだ?」

そう言ってタダシにお金を渡そうとした、それをサクラが制し、

「お金はいらないよ」

「「………」」

2人立ったまま、手に取ったそれをじっと見つめている。

何の使い道もなさそうな、緑とベージュの小さな人型の物体。

当然お金を払ってまで欲しいものではない。

自分たちは流行りに疎いなんてレベルではなく、言葉の欠片すら知らない。

だから、みんなと同じものへの憧れはある。

しかしお金はいらないと、タダで渡されたコレが流行りものであるという以上に、何か意味があるようで嬉しく思った。

「ありがとう」

そう言い、2人はこの日、右手にずっとその○ン○○を握ったまま過ごす。


その後、4人は部屋で30分ほど遊んでいた。

四角い箱の上に○ン○○を2体乗せ、箱を叩いて戦わせる、そんな遊びも知った。

「何だよ、こうやって遊ぶものかー」

「いや、トントン相撲なんてあまりやらないんじゃないかなぁ。コレクションしてるだけだよ、みんな」

「コレクションかよ」

カクゲンが上手い具合に分からない単語を聞き流している。

一々悩んでいてはきりがない。

今日はそんな日。

カクゲンの緑の○ン○○と戦っていたサクラの赤い○ン○○が、場外へ出た。

「あー、負けた!」

そこへ階下からサクラの母の声。

「サクラー、お花に水あげてー」

「はーい!」

返事をして立ち上がり、階段を下りて行くサクラ。

3人も揃って後をついて行く。

「今日は暑いからね、庭にも撒いておいて」

母の言葉に返事をして靴を履き、外に出て行くサクラの後を、カクゲンとタダシも同じようについて行く。

続いてアオも、と足を踏み出した時、サクラの母が言った。

「せっかく遊びに来てもらってるのにごめんね」

「え?」

「あれ、サクラの毎日のお仕事なのよ」

「あ……うん」

外から、キャーという声が聞こえてくる。

「………」

サクラの母と2人きりになってしまった。

先ほどのテレビの部屋を通り、庭の見える縁側へ歩いて行くサクラの母の後を、どうしようかと迷った末アオもついて行く。

「おいタダシ!見てみろよ、虹だよ、虹!小っちゃい虹ができるぞ!」

3人はホースから出る水を被ってはしゃいでいる。

「今日は暑いもんねぇ」

「うん」

「ダイスケくんは水浴びしなくていいの?今日ならすぐ乾くよ?」

「いや、ワシャぁええよ」

縁側に腰を掛けた母の隣に、アオもちょこんと座る。

こんなチャンスは滅多にない。

そう考えたアオ、サクラの母にいろいろと聞いてみたかった。

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