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勇者と聖女の蕎麦食堂  作者: ゲント・カイ


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10/11

第十章 勇者と聖女の食卓

 店を始めて一年。


 最初の開店日と同じ季節が巡ってきた。


 その日は少し早く店を閉めることにした。


「一周年くらい、みんなで飯食おう」


 蓮の提案だった。


 最後の客を送り出す。


 扉に札を掛ける。


 厨房を簡単に片付けたあと、六人が一つの大きなテーブルに集まった。


 蓮。


 クレール。


 リナ。


 ルイ。


 シポ。


 アウリ。


 食卓には、蕎麦とガレット。


 旅人蕎麦。


 キノコのガレット。


 村から届いた新しい蕎麦粉で作った料理。


「乾杯するか」


 蓮が杯を持つ。


「何に?」


 リナが尋ねる。


「一周年?」


「普通だな」


「普通でいいでしょう」


 クレールが言った。


 蓮は少し考えた。


「じゃあ、普通の毎日に」


「それも変」


「文句多いな」


 シポが杯を持ち上げる。


「店がもう一年続くことに」


「それでいいか」


 六人の杯が軽く触れた。


 ルイは果実水。


 食事が始まる。


 昔なら、この六人が一つの食卓にいる光景など想像できなかった。


 そもそもリナとルイは存在すらしていない。


 蓮とクレールは出会ったばかりで、まともに会話することもできなかった。


 シポはいつも周囲を観察していた。


 アウリはほとんど喋らず、吹き矢ばかり磨いていた。


 四人が共通していたのは、


『自分の意思とは関係なく異世界へ呼ばれた』


という一点くらいだった。


 それでも四人は旅をした。


 魔王を倒した。


 そして生き残った。


 その先に、こんな日があった。


「お父さん」


 リナが呼ぶ。


「ん?」


「もし地球に帰れるって言われたら、帰る?」


 唐突な質問だった。


 クレールも箸を止めた。


 シポとアウリも蓮を見る。


「難しいこと聞くな」


「宿題で『故郷について』書くから」


「学校の宿題が重いな」


 蓮は少し考えた。


 日本。


 両親。


 友人。


 懐かしい街。


 食べ物。


 戻りたいと思ったことは何度もあった。


「昔なら、帰りたかったな」


「今は?」


 蓮は隣を見る。


 クレール。


 向かいのリナ。


 ガレットを大量に食べているルイ。


 いつもの席にいるシポとアウリ。


「帰らない」


 簡単な答えだった。


 リナが微笑む。


「お母さんは?」


 クレールも少し考えた。


「私も」


「フランスに帰りたくない?」


「帰ってみたいとは思うわ。でも、帰る場所はここだから」


 蓮は少し照れくさくなった。


「いいこと言うな」


「あなたも言ったでしょう」


「俺の方が先」


「そういうところよ」


「何がだよ」


 ルイが口を挟む。


「ぼくは?」


「お前はこの世界しか知らないだろ」


「日本行く!」


「フランスも行く?」


「行く!」


「何しに?」


「食べる!」


 全員が笑った。


 食事が終わるころ。


 外から子供の声がした。


「勇者さん!」


 蓮が扉を少し開ける。


 近所の少年が立っている。


「明日も店やる?」


「やるぞ。昼から」


 後ろからクレールがフランス語で何か叫んだ。


「Ren! Demain, tu dois préparer la pâte dès le matin, alors ne dors pas trop tard!」


 蓮は振り返る。


「分かってるよ!」


 リナが驚いた。


「今の分かったの?」


「朝から仕込みだから寝坊するな、だろ?」


「正解」


 クレールが言う。


 蓮が胸を張る。


「何年夫婦やってると思ってる」


「でも昨日は分からなかったよね」


「細かいところを突くな」


 少年へ向き直る。


「悪い。明日は朝から仕込みらしい」


「じゃあ昼には開く?」


「開く」


「やった!」


 少年は走って帰っていった。


 扉を閉める。


 蓮が振り向くと、クレールが使い終えた皿をまとめていた。


 何も言わず、蓮へ視線を向ける。


「ああ。片付けな」


 彼は皿を受け取った。


「まだ何も言ってないでしょう」


「分かるんだよ」


「本当に?」


「長いからな」


 クレールは少し笑った。


 リナがそのやり取りを見ている。


「言葉いらないじゃん」


「全部はいらないってだけだ」


 蓮は皿を厨房へ運びながら答えた。


「喋らなきゃ分からないこともある」


「どんなこと?」


 蓮は立ち止まる。


「好きとか」


 クレールが顔を上げる。


 蓮は少し照れた。


「昔、それ言うだけで大変だったからな」


「英語がひどかったものね」


「またそれか」


 リナが笑い、ルイは意味が分からないまま一緒に笑う。


 シポは静かに茶を飲んでいる。


 アウリは最後のガレットを取った。


「あ、それ俺の」


「早い者勝ち」


「お前、昔からそういうところあるよな!」


 店の中に笑い声が広がった。


 かつて、この六人のうち四人は、互いの言葉さえ満足に理解できなかった。


 日本語。


 フランス語。


 英語。


 それぞれの民族の言葉。


 異世界の言葉。


 翻訳魔法は便利だったが、完璧ではなかった。


 けれど、完璧でなくてもよかったのだと、今なら思う。


 聞き返せばいい。


 間違えたら謝ればいい。


 通じなければ、身振りでもいい。


 何度でも話せばいい。


 違う言葉を話していても、同じ食卓を囲むことはできる。


 違う国で生まれても、同じ家族になることはできる。


 蕎麦とガレットのように。


 同じ粉から生まれて、まったく違う形になって、それでも同じ皿の上に並べられる。


「Ren」


 クレールが呼んだ。


「何?」


 彼女は山のようになった食器を指差す。


「皿洗い」


「やっぱりそれか」


「今日はあなた」


「一周年くらい免除してくれてもいいだろ」


「一周年だからこそ」


「意味分からないぞ」


 クレールがフランス語で何か言った。


 かなり速い。


 蓮は途中まで聞いて、諦めた。


「リナ」


「何?」


「今の訳して」


「『いつも私にやらせないで、たまには夫として――』」


「そこまででいい!」


「まだ続いてるよ」


「いい!」


 クレールが腕を組んでいる。


 蓮は観念して厨房へ向かった。


「世界を救った勇者なんだけどな、俺」


 シポが即座に言う。


「皿洗いからは世界を救えない」


 アウリも頷く。


「魔王より強い」


「何が?」


 アウリはクレールを見る。


 蓮も見る。


「……否定できない」


「Ren?」


「何でもありません!」


 リナが笑い、ルイも声を上げて笑った。


 王都の片隅。


 大通りから少し外れた、小さな食堂。


 世界を救った勇者が蕎麦を打ち、聖女がガレットを焼き、その子供たちが店の中を走り回る。


 昼になれば賢者と剣聖がやって来る。


 ときには国王も顔を出す。


 けれど、それ以外はどこにでもある食堂だった。


 誰かが腹を空かせて扉を開ける。


 誰かが料理を作る。


 同じテーブルを囲む。


 そして食べ終われば、


「また明日」


と言って帰っていく。


 蓮は泡だらけの手で最後の皿を洗った。


 厨房の外ではクレールが子供たちを帰る準備へ急かしている。


 シポとアウリも席を立った。


 明日になれば、また店を開ける。


 蕎麦を茹でる。


 ガレットを焼く。


 きっとまた何か問題が起きる。


 夫婦喧嘩もするだろう。


 言葉を間違えることもある。


 それでもいい。


 魔王を倒した先にあったのは、伝説でも栄光でもなかった。


 家族がいて、友人がいて、明日の昼食を楽しみにしてくれる客がいる。


 そんな、ごく普通の毎日だった。


 蓮は濡れた手を布で拭き、店の灯りを消した。


「お父さん、早く!」


 リナの声。


「置いてくよ!」


 ルイの声。


「はいはい」


 扉を出ると、クレールが待っている。


 蓮が隣へ並んだ。


 四人家族で歩き出す。


 少し先ではシポとアウリが話していた。


 内容は聞こえない。


 聞こえなくても、不思議と何を話しているのか分かる気がした。


 夜の王都に、六人の影が伸びていく。


 明日もまた、蕎麦とガレットの店は開く。


 世界を救った勇者は、明日も聖女には勝てない。


 けれど蓮は、その人生を案外気に入っていた。


                ――終


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