14話 貴族
「では、竜娘のフレアは定期的に『銀紅玉の竜酒』を摂取する必要があるのだな?」
「はい、伯爵様。暴走を完全に防ぐ効果は2週間ほどです」
「うむ……それで我が娘は……」
「ご息女が定期的に『勇者の聖液』を飲む必要はございません」
「……そ、そうか」
ギャンブール伯爵が落とした沈黙は非常に重かった。
伯爵邸内はソレイユ伯爵令嬢から【運命紋】が消えたとお祭り騒ぎだが、当主の執務室はお通夜だ。
「その、我が娘があのように淫らな……ゴホンッ、衝動的になってしまうのは、そなたの前だけなのだな? アル・クール団長」
「お、おそらくは……誠に申し訳ありません」
「よい。そなたもあのポーションにだけは慎重だった。それを私が半ば無理強いさせたようなものだしな……しかし、アル・クール団長にだけか……ふむ」
ギャンブール伯爵はしばらく思考の海に沈んでから、再び現実へと這いあがる。
「アル・クール君」
「はい、少将閣下」
団長呼びから、なぜか以前の君呼びに戻ったので、俺はついその場で軍式の待機をしてしまう。
ギャンブール伯爵がどのような結論を出したのか定かではないが、ここから俺の一挙手一投足で傭兵団サケカッス・ファミリーの未来は決まる。
「私とキミはもう、上官と部下ではない」
「そ、それは……閣下は、ずいぶんと寂しいことを仰りますね」
伯爵は暗に戦争で結んだ絆を断ち切ると、そう言ってのけたのだ。
俺は目の前が真っ暗になりかける。
「なに、今も昔も変わらないと言っているのだ」
「と、いいますと……?」
「友、だよ」
お貴族様と対等の友?
そんなのはありえない。
だが、伯爵に冗談を言ってる様子は微塵もなく、真剣な眼差しで語る。
「我々はあの地獄で、共に消えない痛みを刻まれた戦友だ」
「光栄であります」
「同胞であり、友であり、孤独を抱える家族でもある」
「ご家族、ですか。それは恐れ多くも、恐悦至極にございます」
「どうだ、寂しくはなかろう」
「はい」
「そこで、我が友アル・クール君に頼みがある」
「な、なんなりと」
ギャンブール伯爵の双眸が、【予見眼】が俺を貫く。
じわりと汗がにじむ。
伯爵の愛娘の命を救ったとはいえ、あのような状態では大罪人と罰せられても不思議ではない。
そしてお貴族様からの頼みとは、実質の命令である。
つまり、この頼みを断るなど俺にはできない。
「我が娘を頼む。我が息子になってほしい」
「は、はい?」
俺は思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。
◇
「おうおう、アルよお! なーに辛気くせえ顔してんだあ!?」
俺がシュゴウのジュース屋で『南国ぱいなっぽーあっぷりゃじゅーちゅ』を静かに味わっていると、衛兵長のネット・ラレールが背中をバシバシ叩いてきた。
禿頭頭の筋肉マンは衛兵長補佐から衛兵長に出世したのがよほど嬉しいのか、ウザいぐらいに上機嫌だ。
「ったくよお。出世祝いにおごってもらおうと思ったんだが、そーんな情けねえ顔してる奴からジュースをせびるなんざできねえな」
ネットは俺が飲んでいる南国じゅーちゅを見て、色々と察してくれた。
「ったく陽気なジュースに頼らねえとやってられねえってか。どれ、話ぐらい聞いてやるよ。店主、俺には『はいぱー苺ミルク』を頼む」
ネットは信用できる。
俺は話しても問題ないと思い、声をひそめてギャンブール伯爵からの提案をひそひそと話した。
「ブフォッ!? こ、婚約だとぅ!?」
「ネット、声を落とせ」
「あ、ああ……わりい……でもよ、平民のアルが……貴族の、しかも伯爵家の一人娘と婚約って……」
「ああ、話がデカくなりすぎた」
「デカくって言うか、逆玉の輿じゃねえか! どうして祝わねえ!?」
「仮に俺が平民じゃなくなるとして……周りの連中はどう思う?」
「あ? 俺ら平民の希望だろうが。夢みたいな話じゃねえか」
「そう捉えてくれる連中もいる。だが、『アイツは変わっちまった。なにせお貴族様だからな』と揶揄する奴らも出てくるはずだ」
「そんな妬み嫉みなんて気にしなくていいんじゃねえか」
「俺は……そういう連中にだって、SAKEを振る舞いたいんだ」
ギリッと奥歯を噛みしめて唸れば、ネットは俺の本気さを察してくれた。
「まあ……そうか。お貴族様の慈悲とか、お情けとか、おこぼれってよりは……俺らと同じ平民が、情熱込めて作ったSAKEの方が飲もうって気にはなるな」
「また貴族共がSAKEを使って平民から何かを搾り取ろうとしている、なんて噂も立ちやすい」
実際、SAKEを飲むとしばらくの間は心地よい浮遊感を味わえる。
しかし飲み過ぎると次の日がしんどくなるのもわかった。
『成り上がりの偽貴族が、平民の正気を搾り取ろうとしている』なんて風評被害すら考えられる。
「あー、よくよく考えたらよおアルゥ。将来はお前が、俺らギャンブール衛兵団の君主になるってことだよなあ? 笑えるぜ、これは飲まずにいられねえ」
「貴族連中は俺をそう簡単には受け入れないだろう」
「ああ……あのお高くとまった連中じゃあなあ……」
下賤な平民が貴族の令嬢と婚約なんて、貴族界では嫌悪の対象に他ならない。
なぜなら、平民が簡単に貴族になってしまえたら……彼らの血を、根源を否定するに等しい。
つまり、これまで誇示し続けていた特権が揺らぎかねないのだ。
『平民のアルが貴族になれたなら、俺たちだって貴族になれるんじゃ?』
『待てよ。そもそもお貴族様ってそんなに偉いんか?』と。
平民にも貴族にも注目されるのは間違いない。
「まあ、悲観的な出来事ばかりじゃない。楽観視できることもある」
「なんだよ、じゃあ飲もうぜ」
「ああ……」
今まで貴族相手の商売をなぜアキンドー奴隷商に任せていたか。
それは必ず目をつけられて潰される可能性があるからだ。
権力を持つ者どもからの絡め手に、自衛できるほどの力を傭兵団サケカッス・ファミリーは持ち合わせていなかった。その点、アキンドー奴隷商は貴族とのやり取りも長く、他方の貴族に恩を売っているから耐え切れるだろう。
だが今なら。
ギャンブール伯爵の後ろ盾があるなら、傭兵団サケカッス・ファミリーもそう易々と他の貴族たちに潰される心配はない。
ましてや、伯爵令嬢の婚約者ともなれば……晴れて貴族の仲間入りだ。
「これから忙しくなりそうだ」
「おうおう、傭兵団サケカッス・ファミリーが天下に名を轟かせる日を楽しみにしてるぜえ」
「それで、衛兵長からは何か面白い話は聞けないのか?」
「ああ。またゲース・フーリンの奴がちょっかいかけてきてんぜ?」
「おま、婚約者を寝取られた私怨であいつを張ってるじゃないだろうな?」
「あったりめえよ。と言いたいが、半分ぐらいは執念だな」
「で、フーリン傭兵団が何してるんだ?」
「ここだよ」
ネットはシュゴウのジュース屋を指さす。
それからネットが口にした内容は、反吐が出るほど極悪非道なものだった。




