第25話 最強は絶望する
来て!わたしのしもべたち……!」
真帆の狂気を帯びた声とともに、屋上を黒い逆結が覆い尽くす。三体の精霊が夜気の中から姿を現した瞬間、シロウの毛先まで総毛立った。
刃を纏った鎧精霊、影のように蠢くスライム精霊、鋭い牙を持った狼精霊――いずれも真帆の執念と憎悪が生んだ異形たちだ。
(……面倒だな)
そう思った矢先、鎧精霊が鋭い金属音を鳴らして迫り、刃の腕を大きく振り下ろす。シロウは跳躍で躱そうとするが、狼精霊が横合いから噛み付くように飛び掛かってきた。
ギリギリで腕をクロスさせて受け止めるが、その衝撃で背後のフェンスに叩きつけられ、鉄柵が大きく歪んだ。
「くっ……!」
狼精霊の牙が押し込まれ、金属音のような唸り声が間近で響く。腕に鍛結系結術”結装”を展開し、防御を固めながら必死に振り払うが、背後からは鎧精霊が再び迫り、地面を抉りながら二撃目を振り上げてくる。
シロウは体勢を崩したまま狼精霊を蹴り飛ばし、咄嗟に身体を低く沈めて鎧の刃を躱した。
だが着地する間もなくスライム精霊の触手が地面を這い、足元から絡みついてくる。鍛結系結術”結装”で力任せに引きちぎるも、粘着質の黒い逆結が体に絡まり動きを鈍らせる。
(……こいつら一体一体がA級精霊!)
視界の端で、真帆が恍惚とした表情を浮かべていた。狂気をはらんだ黒い瞳が、シロウが追い詰められる様を愉悦に染めて見つめている。
真帆を中心に渦巻く力は精霊達をより強くさせる。三体の精霊が息を合わせたように攻めを強めてきた。
鎧精霊の連撃がコンクリートを深々と裂き、粉塵が夜風に舞う。狼精霊は床を疾駆しながら死角を取ろうとし、スライム精霊は獲物を逃がさぬよう触手を波状的に打ち出してくる。攻撃が重なり合うように迫る。
「シロウ様……!もっとわたしを見て!苦しんで、もがいて!私が貴方を思う強さを感じて!!」
真帆の声が高く響く。ますます狂気を孕み、精霊たちは速度を上げて屋上を縦横無尽に駆け回った。
シロウは乱舞する攻撃を疾結と結装で必死に受け流し、反撃の隙を探すが、逆結が身体を削ぐように絡みつき、動きを制限していく。
(……このままじゃ埒が明かない!真帆が狂気を強くするたびに精霊はより強くなりやがる)
その瞬間、床に伏したシロウの金色の瞳がわずかに光を宿す。唇の端がかすかに吊り上がり、空気を振動させるように結の気配を高めていった――。
「……最強をなめるなよ」
低く響いた声とともに、シロウの全身から吹き上がるように白く眩い結が噴き出した。重く渦巻いていた精霊の気配を打ち払うように、シロウを中心に空気が震え、屋上を覆う夜気が光と風に撹拌されていく。夜空に浮かぶ月光さえ揺らめいて見えた。
金色に輝く瞳が鋭く細められ、その奥に圧倒的な闘志が宿る。
『鍛結系結術結滅光掌破』
低く絞り出すような声と共に、シロウは右掌を前に突き出した。掌に凝縮された白く輝く結が、唸りを上げながら集束し、月光を反射して屋上を白昼のように照らす。空気が振動し、病院屋上のコンクリートに細かい亀裂が走った。
鎧精霊が再び刃を構えて突進してくる。シロウはその動きを見極め、飛び込むように間合いを詰めた。刃が振り下ろされる寸前、掌を鎧精霊の胸部へ突き立てる。接触した瞬間、圧縮されていた結が炸裂し、光の奔流が精霊を貫いた。
「えっ!!」
真帆の恍惚に染まっていた顔が一転して驚愕に歪む。黒い結で覆われた鎧精霊が、シロウの掌から迸る光に貫かれた瞬間、内部から砕け散るように破壊されていく。黒鉄の刃が無数の破片になって空中へ舞い上がり、夜風に攫われて闇へ消えていった。
「そんな……うそ……!わたしの精霊が、一撃で……!?」
金属の悲鳴をあげながら鎧精霊の身体が内部から砕け散り、逆結の残骸を夜風に散らして消滅していく。粉塵の向こう、狼精霊が低く身を沈め、スライム精霊が触手を複数伸ばして迫った。
シロウは鎧精霊を砕いた勢いを殺さず、反動で体を反転させる。だが次の瞬間、視界を横切った黒い影――スライム精霊の触手が、無数の棘を生やしながらシロウを包み込もうと一斉に迫った。空間を蠢く黒い帯が何重にも重なり、逃げ場を塞ぐ。
「ドロドロしてきもちわりーなー邪魔なんだよ……」
シロウは息を絞り、疾結を脚部に集中。瞬間的に結の力で踏み込みを強化し、コンクリートを砕く爆音とともに跳躍した。触手の網が空振りし、粉塵を巻き上げる。スライム精霊の本体を視界に捉えたシロウは、真上から流星のように落下して右掌を突き出す。
『《結滅光掌破》』
眩い閃光がスライム精霊の中心を貫通し、内部に溜まっていた逆結が暴走したように弾けた。粘液のような体が四方に飛散し、屋上を覆っていた影の罠が一瞬で解けていく。地面を舐めていた黒い触手も次々に消滅し、夜風に溶けるように消えていった。
最後の閃光が夜空を裂く。狼精霊の頭部へ撃ち込まれた掌から結の奔流が溢れ出し、内側から黒い影を引き裂いた。爆ぜるように狼精霊が消滅し、逆結の残滓が空中を舞う。屋上に再び静寂が戻り、夜風が冷たく吹き抜ける。
三体の精霊を次々に粉砕した光の余韻が、夜空に淡く漂っていた。シロウの結が収束し、白く光る残響が彼を中心に吹き散る。
真帆は立ち尽くしていた。狂気を孕んだ瞳はまだシロウを捉え、なおも執着の炎を揺らめかせている。けれどその目に映るのは、あまりにも圧倒的な「力」の姿だった。
「……嘘……こんなの……」
真帆は唇が震え、声がかすれている。
「ふふっ、なんちゃって……」
その言葉と同時に、真帆の頬が引き攣ったように歪み、次の瞬間、その顔には明らかな作り物の微笑が浮かんでいた。
「ねえ……私がシロウ様に勝てる訳ないじゃない……そんなの貴方を愛する私が分からないわけがない。貴方は”最強”なんだもん。その事実は私がどんなに強くなっても絶対に変わらない」
声は上ずり、笑みと嗚咽が入り混じったように響く。
「じゃあ、お前の目的はなんだったんだ。結局お前は俺に倒されるだけで、俺の気持ちは何も変わらない」
シロウの声は夜風に溶け込むように冷たく低く響いた。勝利を確信する気配があった。だが真帆は笑みを崩さず、むしろその声に嬉しそうに小さく息を漏らした。微かに震える肩が、喜びか狂気か判別できない震えを帯びている。
「私が3体しか精霊を生み出せないなんて、なんで思っていたの?……」
真帆の声は甘く囁くようでありながら、芯に冷たい響きを含んでいた。
「戦いに夢中になっている貴方が欲しかった……だから、気付かれないようにもう一体、生んでおいたのよ」
シロウの金色の瞳が鋭く細められる。
「貴方が戦いに集中している間にね、隠して生み出した精霊にあの子の病室に向かわせていたの。可愛い仁美ちゃんを……もう、連れ出して仲間に預けたんじゃないかしら?」
真帆の声には陶酔が滲み、狂気が熱を帯びていく。
シロウの心臓が、まるで凍り付いたように一瞬止まった。屋上を渡る夜風の音さえ遠ざかり、鼓膜に残るのは自らの荒い息遣いと、血液が逆流するような不快な音だけだった。
「……っ!」
シロウの瞳が月光を弾き、金色の光が鋭く瞬く。次の瞬間、地を蹴った彼の身体は白い閃光のように夜空を裂いていた。爆音と共に屋上のコンクリートが砕け散り、シロウの姿は一瞬で闇の中へ溶ける。
(仁美……!)
外壁を蹴りながら、シロウは真帆の言葉の真偽を確かめるため、病室を目指して一直線に飛ぶ。疾結で強化された脚力が、人間の限界を超える速度を生み出し、吹き荒ぶ夜風が視界を白く引き裂いた。病室がある階の窓が見えてきた。ガラスの向こうに微かに見える白いシーツ、点滅するモニターの光、そして――
窓枠を蹴り割るように突っ込み、シロウは病室に着地した。空気を切り裂く破壊音が夜に響き、飛散するガラス片が月光に煌めいた。だがそこにあったのは、もぬけの殻の病室だった。
ベッドは空っぽで、白いシーツが乱れた形跡を残し、床には仁美がつけていたメガネが落ちている。
感情が一気に噴き出し、咆哮のような声が喉奥から漏れた。戦いに夢中になったその瞬間に最も守るべき存在を奪われていた――その現実がシロウの意識を冷たく支配する。
真帆は、1人屋上の崩れたフェンスの縁に立ち、夜風に長い髪をなびかせていた。シロウが絶望している病室を見下ろしている。その顔には勝ち誇ったような微笑が浮かび、月明かりの中でその瞳だけが冷たく光っていた。
「さあ……追いかけて、シロウ様……」
呟く声はどこか陶酔すら漂わせている。真帆の周囲で黒い逆結が靄のように揺れ、次の瞬間、その身体はふっと闇に溶けるように掻き消えた。音もなく夜気に溶け込み、ビルの屋上から姿を消したのだ。
「おい、どこ行きやがる!仁美をどこにやった!」
シロウの声は夜空に吸い込まれるように虚しく響いた。視線を走らせた先、屋上から消えた真帆の気配がかすかに漂う。
全身から怒りと焦りが噴き上がり、シロウは病室の窓から飛び出した。割れたガラス片が散り、月明かりに鋭く瞬いた。
「絶対に……絶対に取り戻す!」
だが――その身体が中空に達した瞬間、心臓を握り潰されるような激痛が腹の底から突き上げた。
「……ぐっ!?」
全身を巡る結の流れが突如として滞り、強化した筋肉が急激に萎むように力を失っていく。
視界の端で屋上が揺れ、手が小さな白い前脚へと変わっていった。人の姿を維持できず、再び猫に戻る変化が飛翔の途中で襲った。
「くそがっ……!こんなタイミングで……」
小さな体には受け止める術もなく、そのまま病院の壁際を滑り落ちていく。白い影が月明かりを背景に、真っ逆さまにに墜落し、花壇の脇に叩きつけられるように落下した。




