4.不法侵入お断り
突然、部屋に男の声が響いた。
それはラビの潔癖症を思わせる少しの隙もない声とは対照的な緩く締まりのないものだった。
驚いて私は足先から顔を上げた。
すると、鳥籠を挟んで真正面にいつの間にか男が立っていた。
男は長身で真っ黒なロングコートを身に纏っていた。
襟元から毒々しいワインレッドのシャツが覗いている。
そして頭上には伝染病にかかったように毛が所々禿げた猫耳が生えていた。
一言で言えば、不気味な男だと思った。
けれどそれは外見だけのことではなく、彼の表情にもあった。
彼は前髪を目の下辺りで切り揃えていて、口よりものを言うはずの目が分厚い前髪のカーテンで隠されていた。
そして何より不気味だったのが、口にくっきりと刻まれた、三日月型の笑みだった。
「……あなた、誰? どこから入ってきたの?」
私はなるべく男と距離をとろうと、できるだけ後ずさった。
男は口の端をさらに持ち上げた。
「どこから入ってきた? 愚問だねー、愚問。チェシャ猫のオレにとってどこだって入り口でどこだって出口だよ。だからオレにとって鍵や扉は無意味なのさ」
男、チェシャ猫は得意げに答えた。
「……つまり不法侵入ってことね」
意味の分からない返答だったけれど、それだけは分かった。
そしてあまり関わりにならない方がいい類いの人間だということも。
「ふほうしんにゅう? それはおかしな話だね。アンタは風が部屋を通り抜けても不法侵入だというのかい?」
「やにやと笑いながらおかしなことを言う風ならそう言うわ」
「賢明な判断だ」
チェシャ猫はあははは、と口を開けて笑った。
口の中に並ぶ尖った歯が見えて彼の不気味さに拍車がかかった。
「……あなたが風なら早くこの部屋を通り抜けるべきよ」
「そうだね、そうしよう。ただ、オレも仕事があるからね」
「何の仕事?」
三日月型の笑みがにやりとしなった。
「人さらいさぁ……」
チェシャ猫の目が細くなっった。
それは猫が獲物をいたぶる時の目に似ていた。