3.私、人間なので……
「あなたが私の……飼い主?」
唾を飲み込みながら慎重に訊ねる。
「そうだよ、君は僕のペットだ」
男が笑顔で頷くと、頭上の耳が揺れた。
……ああ、なるほどこれは夢なのね。
この異常な状況を前にして当然行き着く答えだった。
こんな夢を見るなんて、仕事に行きたくなさ過ぎるにもほどがある。
私の精神は大丈夫なのだろうか。
「……じゃあここはあなたの家なのね?」
どうでもいい質問をしながら、私はこれからについて考えた。
夢ならすぐに醒めるはずだ。
それなら流れに任せて大人しくしておくべきなのだろうけど……。
私は男の耳をちらりと見た。
「ああ、そうだよ。僕の家だよ。使用人もいるけど、僕以外ここの鍵は持っていないから勝手に入ったりはしない。だから安心してね」
どこに安心の要素があるのか分からないことを話す男は、頭の上のものを除けば普通の成人男性だ。
けれど彼を人間の男性の範疇に入れるにはあまりに無理がある。
「……あなたはウサギ? 人間?」
この質問が失礼にならないか不安で自然と声が小さくなった。
けれど男は気にした風もなく「もちろんウサギだよ」と笑顔で答えた。
なるほど、彼はウサギなのか。
そうか、そうか、そうなのか……。
……って、いや、私、ウサギに飼われるほど落ちぶれてないわ!
これは夢だという思いから余裕が生まれたこともあって、男がウサギだと分かった途端、なんだか屈辱的な気持ちがわき上がった。
確かに誰かに養って欲しいけど、ペットになりたいわけじゃない。
こんな夢を見続けていたら、なんだか精神衛生上よくないような気がした。
それに例え相手がウサギとは言え、男女で飼い主、ペットの関係というのはなんだかいやらしいし、気持ちが悪い。
私は喉元までせり上がってきた嫌悪感を何とか飲み込んで話を続けた。
「へぇ、そう、ウサギなのね。あなたみたいなウサギは他にもいるの?」
質問しながら、男にばれないようゆっくり男の手元に視線を落とした。
彼は鳥籠の鍵をベッドに置いていた。
「ふふふ、アリスは質問がいっぱいだね。……でもまずは君を思う存分抱きしめさせてくれないかな」
そう言って男は私を抱きしめようと腕を伸ばした。
しかし私はそれを素早く避け、近くにあったクッションを彼の顔に投げつけた。
「……っ!」
不意打ちを与えたその隙に、無防備になった鍵を手にしてすぐさま鳥籠から飛び出した。
そして扉についた鉄製の南京錠に鍵を掛けた。
ガチャン、と固い音が響いたところで、ほっと息をついた。
男は私の行動に唖然としていた。
「ア、アリス……?」
「ごめんなさい! でも悪く思わないで。鍵はドアの横の棚の上に置いておくから。使用人さんがいるならきっと開けてくれるわ」
夢とは言え、人を閉じ込めるのはやっぱり少し良心が痛む。
私は二、三回頭を下げて彼に背を向けた。
そしてドアへ向かって駆け出した。
けれど、その足は私の横をかすめた鋭い音に動きを止めた。
それは私の勘違いでなければ銃声だった。
硬直した体を軋ませながら、何とか後ろを振り返るとベッドの上で男が小振りの銃を構えていた。
男の顔にさっきまでの上機嫌な笑みはなく、冷たい無表情が貼り付けられていた。