プロローグ 完全に詰んでね?
先に言っておくが、俺は悪くない。完全に不可抗力だ。
まず言い訳をさせてくれ。
前世の記憶が戻ったのは、十歳のときだ。
「ここ、もしかして原作ありの世界じゃね?」
そう思ったことは、一度や二度じゃない。
だが、この世界には“決定的な要素”がなかった。
トラックに轢かれたあと神様に会った記憶もなければ、チート能力を選んだ覚えもない。魔法陣で召喚されたわけでもなく、ただ「気づけばスラムのガキに前世の記憶が混ざっていた」だけ。ドラマ性の欠片もない、地味すぎる転生だった。
数多の転生モノを読んできた俺にとって、それは可能性の一つに過ぎなかった。
街並みは、いかにも剣と魔法のファンタジー。だが、“これだ”と断定できる固有の要素が存在しない。
偉大なる航路グランドラインや悪魔の実があれば、あの世界だと分かる。「グルメ時代」と聞けば、別の作品を思い浮かべられる。だが、この世界にはそういう象徴がなかった。
要するに、判断材料が少なすぎたんだ。
俺はスラムのガキだ。知識なんて、ほとんどない。
名前はルーク。黒髪に白メッシュ、緑の目。
……だが、そんな見た目の奴、この街には何人かいた。そもそも鏡なんて高級品、このスラムじゃ滅多にお目にかかれない。国名も地名も知らないし、魔術なんて見たこともない。貴族様にお目通りを願うなんて、機嫌次第で首が飛ぶロシアンルーレットだ。
転生特典も、チートもない。前世で一般人だった俺には、砂混じりの固いパンを齧り、今日を生きるだけで精一杯だった。
だから――俺はここを、「よくある底辺転生モノの世界」だと思い込んでいた。
あのルークだなんて、思うわけねぇだろ。
転生して五年。ルーク、十五歳。
その変化は、唐突に訪れた。
「おい、聞いたか?」
粗末な飯の最中、年上のガキが話しかけてきた。
「この前、王都で罪人の公開処刑があったってよ。しかも、逃げ出した旧王家の血筋らしいぜ。名前なんつったっけな……確か――」
その瞬間、なぜだか心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「ソフィア……なんとかファング……」
「……ソフィア・フォン・アンファング」
「そうそれ。なんだ、知ってたのか?」
ガタ、と激しく椅子が鳴った。
思考が止まる。
忘れるわけがない。前世で、何度も名前を叫んだ最推しキャラ。
ソフィア・フォン・アンファング。
それは、あの漫画『魔剣伝説』で――ルークのヒロインだ。
……。
……待て。
「……俺、ルークじゃねぇか」
黒髪に白メッシュ、緑の目。スラム育ち。名前も同じ。
一気に脳内のピースが噛み合っていく。
ルーク。『魔剣伝説』における、主人公の右腕。祖父の形見である“雷の魔剣”を手に旅へ出た主人公の、二人目の仲間として共に戦い続けた最強の相棒。
人気投票三連覇。原作者公認最強。主人公より人気があるとまで言われた、作中最強格のキャラクター。
裏切られ、人間不信に陥った彼女を、ルークが救い出す。そこから物語は動き始める。一度は離れ離れになり、再会後も数々の困難を乗り越え――最後には結ばれる、はずだった、俺のヒロイン。
「……嘘だろ」
だが――俺は、弟子入りしていない。
原作のルークは十歳のとき、ある事件をきっかけに二流魔術師へ拾われる。そこで才能を開花させ、一流の証である固有魔術へ覚醒した。
その固有魔術は――【魔術喰らい】。
魔術の術式を知覚・理解し、再現すら可能にする能力――要は見た魔術をコピーする力。だが、その強さはルーク本人の「知能」と「精神」に完全依存している。だからこそ、彼は後に最強へ至る。
物語のインフレに呑み込まれ、一度目のラスボス戦で、数百億年前――星どころか、宇宙すら形を成す前の神話の時代へ飛ばされる。たった一人で。
不老となり、神々が世界を壊し続ける地獄を、彼は数百億年もの間、生き抜いた。
やがて彼は、地球の古代の哲学者達のように一つの真理へ辿り着く。「万物は魔術である」と。
森羅万象を自在に創造し、消滅させる術を得た、原作者公認・最強の男。
――いや、数百億年って何? 一年だって耐えられるかボケ!
――なのに、今の俺はなんだ。
魔術の「ま」の字すら知らねぇ、ただの十五歳のガキ。
「はは……」
笑えない。将来、世界最強。現時点ですら、本来なら一流魔術師として無双しているはずの存在。なのに今の俺は、砂混じりのパンを齧るしか脳がないスラムの有象無象だ。
頭を抱える。
現状を整理しろ。俺の目の前にある詰み要素は、大きく分けて三つ。
一、メインヒロインがすでに死亡している。
俺の最推しが、本編が始まる前に公開処刑。蘇生方法? あるにはあるが、どれも一般人にはできない伝説級の手段ばかりだ。
二、原作のインフレに通用する力が一切ない。
スラムで生き抜いてきたから、そこいらの一般人よりはそこそこ戦える。だが、魔術が飛び交うこの世界観じゃ、ただのミスターサタンだ。修行イベントを逃したせいで、魔術なんてこれっぽっちも使えやしない。
三、俺は“本物のルーク”じゃない。
そもそも固有魔術【魔術喰らい】が発現しないかもしれないし、運良くあったとしても中身が凡人の俺じゃ、あの神話時代の地獄を生き抜いたルークの代わりになんてなれるわけがない。三日で精神が崩壊して消滅するのがオチだ。
イベント未回収の凡人が、ヒロイン死亡済みの世界で、最強キャラの席に座らされている。
「……いや俺、完全に詰んでね?」
誰にも聞こえない声で、俺はそう呟いた。




