お姉ちゃんと呼ばれたことがない
明けました。
「昔、なんかの本で読んだことがあるんだけど」
リビングで怠惰にも寝転んでいた十佳は、退屈しのぎのため、空に向かって声を出す。
「うん」
するとそれは自然に、同じような体勢をしていた隣人へと伝わった。
「兄弟姉妹の8割は名前で呼ばないんだってさ」
「ふーん?」
「つまり呼び捨てするのは2割しかいない。5家族いたら、その内の1家族だけなんだよ。なんで私たちってその1家族なのかな」
「あー、十佳はあたしのこと『一姉』って呼んでくれるけど2人は呼び捨てだもんね」
「そうそう、私昔っから『お姉ちゃん』とか『ねえね』とか『姉貴』とか呼ばれた記憶ないんだよ」
「……呼ばれたいの?」
十佳は風を切る音がよく聞こえるほど両手を振って否定する。
「いやいやいやいや、そんなことないけど! というか今更そうやって呼ばれても変な感じするし……」
「ふっ、まあでも憧れる気持ち分かるよ。なんかすごい敬われてる感じするよね。ちゃんと年長者って認められてるみたいな」
別に敬ってるつもりもなく、ただ単に惰性的にそう呼んでいることを曲解されたことに十佳はむかっ腹を立てつつ、
「別に憧れてないってば。というか……その理論だと私たち年長者って認められてないってことになるし。それに私が一姉を年長者として認めてることになっちゃうじゃん」
「違うのー?」
「まったく違うよ。年子だし、たまたま早く生まれちゃったやつって感じ」
「やつとはなんだね、やつとは……」
2人は1学年違うものの、特に会話が噛み合わないということはない。
ただし頭脳のスペックの差には大きな隔たりがあるため、知的な問題に面した時はまた別である。
「でも不思議だよねー。なんで私だけ一姉って呼んじゃうんだろ」
「あれじゃない? 百祢と千那にとっては姉が複数人いるわけだからさ、区別するために名前で呼ぶようになったとか」
「あー、それありえるかも。『お姉ちゃん』って言われたらどっちも振り向いちゃうもんね」
「うんうん」
「それに一姉と違って”じゅうねえ”もしくは”とうねえ”ってなんか呼びにくい、というか響きが良くないかも……。そういえば一時期お母さんがさ、2人の呼び捨てやめさせようとしてたよね」
「あったねぇ、そんなこと。多分、子育て応援ブログとかに影響されたんだよ。あの2人は変なところで強情だからあんま普及しなかったけど」
「お母さん、可塑性高いからねー。呼び捨てさせるとこんな悪い影響がー、みたいなの書いてあったんだろうね」
彼女らの母親は教育熱心である。しかし別に子育てに関して知識が豊富なわけではないので色々な手法を試してきた。
時には頭が良くなるという奇怪なグミを箱買いしたり、また時にはスピリチュアル的なものにハマって記憶力が良くなるというブレスレットを買ってみたり、また時にはレッセフェール的に姉妹を静観してみたり、と手広くやっていた。
しかしそれらはことごとく成功に終わることはなかった。というのも長続きせず、すぐに新しい手法に切り替わるためだが、それでも姉妹たちは母親の意思を汲み取り、またその純朴たる人間性を認めて、協力していた。
もしかすると、目には見えなかったものの、実はいずれかが成功しており、今の彼女らがあるのはその試行があったおかげなのかもしれない。なければもっと惨い状態になっていたかもしれない。いや、そんなこともないのかもしれない。
「てかさ、姉は『お姉ちゃん』って呼ばれるのに、妹へのそういう言い方はないの?公平じゃなくない?」
「そもそもさ、『お姉ちゃん』が敬うための呼び方なんだからさ、敬う必要のない下の者にそういう呼び方はないよ」
「じゃあ、もしあったら?」
「だから、前提として絶対に存在しない状況のことを考える必要はねえでしょう」
「分かってないな、十佳。そういう妄想が1番楽しいのに。絶対存在しないからこそ何でも考えられるんだし」
その発言から、一愛はそのメルヘンな脳みそを妄想のためだけに回しているのだと十佳は推し量る。
「ほら、無人島に1つだけ持ってけるなら何を持ってく?みたいなのあるじゃん。それと同じだよ。そもそも無人島に置いてかれることは普通の人間なら存在しないだろうし、その無人島に何でも好きな物を持ってけるなんてのも意味わかんないしさ。ちなみにだけど、十佳は何持ってく?」
「自分で否定しておいて聞くんかい……。んー、まあじゃがいもかな」
「え? なんで?」
「じゃがいもってどんな不毛な土地でも育つんだよ。それにじゃがいもっていっぱい美味しい料理あるじゃん。ポテフラにジャーマンポテトにじゃがバターに肉じゃがにポテサラ。絶対に飽きないと誓える」
「じゃがいも以外の素材はどうすんの、それ……」
「そこはさぁ……ご愛嬌ってことで。一方の一姉はどうせライターとか言うんでしょ?」
「おお、正解。よく分かったね」
「まあ教養が低い一姉が思いつけるのはそれくらいかなって」
「舐めんな」
会話は途切れて沈黙。
「で、何の話してたっけ」
「『お姉ちゃん』の妹版」
「あー、そうだ。『妹ちゃん』でどう?」
「いや、どう?と言われても日本の習俗に新しいものを追加できるほど私に権限はないよ。というかそれだとゆるキャラの名前みたいだよ」
「それが狙い」
「こんな簡単かつ簡易的な構成の造語に狙いも何もあるわけねえでしょう。あと『お姉ちゃん』に肖るなら『お妹ちゃん』でしょ』
一愛は言葉を返そうとしたものの、ドアが開いたことで遮られてしまう。
「おい十佳、この前貸した赤ペン返せ」
それは西条家で最も小さな影であった。
そのコンパクトボディと大きく差のある態度を目の当たりにし、一愛は少し考え、そして十佳の耳元へ近づくと、
「やっぱ必要では、敬称」
姉に向かって、強い口調で命令をするというそのというその姿は、”敬う必要のない下の者”には到底見えない。
十佳は、この家は統計通りにマイノリティの方であるのだと実感し、またその事実に思わず笑みを溢しつつ、
「……分かったよ、お妹ちゃん。今持ってくる」
「……おいもちゃん?なんだそれは。文脈からするとちなのことなのか?なぜ?ちなは芋が名産地のゆるキャラのガールフレンドではない。心外」
その妥当たる文句を背に、十佳は自分の部屋に向かっていった。




