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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第二章 蒼き薫風が抱く者たち

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33.四季、春と冬


 切り拓かれた森は、近くから見下ろすと広大だった。

 鮮やかな朱の屋根が大小様々に点在し、その幾つかは細い廊で繋がっている。さながら文字のようだ。連なるそれらはどれも立派な威容を誇っている。周辺には池や水の流れが走る。その周囲には植栽がそこかしこに見え、温かくなり始めた春のせいか、花をつけている樹々も見えた。

 不思議な景色だ。

 明らかに知らない異文化であるのに、読み取れそうななにかがある。

 アリシアはじっと目を凝らしながらそれがなにかを考えていたが、思いつく前に大鷲が降下を始めてしまい、空からの景色は見納めとなった。

 着地は存外に静かだった。

 大鷲はその大きな羽を丁寧に畳み、それからピイ、と優しく鳴く。それは「手荒なことをして悪かった」と詫びているのだった。

「いいよ、怒ってない。ちょっとびっくりしたけどね」

 アリシアが大鷲の首元を撫でると、隣に降り立っていたベルスがフルル、と喉を鳴らした。

「さて、と……」

 ここは一体どこなのだろうか。

 とりあえず大鷲との戦闘は回避できたので一安心だが、見知らぬ場所に連れてこられたという事実は変わっていない。辺りを見回すと付近には建物はなく、静まり返った庭園だった。

 大きな池と小さな池が幾つも繋がり合い、その上に弧を描くようにして、木でできた橋が架かっている。その橋はファティマスなどにあるような、地面もしくは川や池などに平行なものではなかった。

 欄干は、これもまた目に鮮やかな朱だ。

 所々に見たことのない低木があり、それらは全て綺麗に葉を切り揃えられている。

 足元を見れば、白い砂利が敷かれた曲がりくねった小道だった。足を一歩踏み出すと、チャリ、と軽い音がした。

 人の気配がまったくない静寂の中を用心しながら歩き、一番最初に目に付いたあの朱の橋を渡る。中ほどで下の池を見下ろすと、そこには白や赤の、あでやかで見事な魚がいた。

 ゆったりと優雅に泳ぐ魚たちに、アリシアはつい見入ってしまう。

 どの魚も一つとして同じ模様はなく、それはまるで人と同じなのだな、と思った。

「もし。あなたは?」

「ひゃっ!」

 どれくらい見入っていたのだろうか。突然背後から声を掛けられ、アリシアは思わず飛び上がった。

「……!?」

 跳ね上がった心臓を押さえながら振り返る。

 するとそこには十歳くらいの、前髪を眉、毛先を顎のあたりで綺麗に切り揃えた女の子が立っていた。疑うまでもなく、先程の声の主だろう。特にアリシアのことを怪しむ風でもなく、彼女は興味津々といった眼差しをしている。

「私は、あかね。あなたはどなた?」

 もう一度少女が問うてきて、初めてアリシアは我に返った。

 呆けている場合じゃない。

 自分自身に言って、慌てて目の前の不思議な少女に言葉を返す。

「ごめんなさい、魚に見惚れていたの。私はアリシアよ。アリシア・アルヴァイン。ここ、もしかしてあなたのおうち?」

「いいえ。ここはみやの御庭です。宮に会いに来られたのですか?」

「宮?」

「宮ではないのですか。では、四季様に?」

「えっと……」

 隔絶された島国ながら言語は共通語なのだなと感心する傍ら、幼子からひょいひょいと言葉が飛んでくる。

 これには非常に困った。

 なにを聞かれても全く分からず、アリシアの背中に冷や汗が滲む。

 分からないということは、自分のことを正直に話して、なぜここに自分がいるのかを説明する必要がある。

 が、しかし。

 一体どこまでを正直に話せばいいのか。知らない国にいる上、今のこの御時世、相手が例え子供であっても油断はできない。しかしそうは言っても、はぐらかせるような巧い言い訳もこの場で咄嗟には見つからない。

 迷った末にアリシアは覚悟を決めた。

 自分には、いざとなればベルスがいる。そしてアリシアは口を開いた。

「あのね、驚かないでね。私はこの国に来たのは初めてなんだけど、港から出て森を歩いている時に、急に空から大鷲が来て……その大鷲に、ここまで連れてこられたのよ。実は、私の方が状況を飲み込めてなくて」

「大鷲? もしや飛鳥あすかのことですか? そうすると、あなたが宮の言っていた――」

 利発そうな顔が、幼く小首を傾げて考え込む。

 少しの後、あかねと名乗った少女はぱっと表情が明るくなった。その愛らしさはまるで陽が差すようだ。

「アリシアさま、会えて嬉しいです。やっぱりあなたが宮のお招きなのですね」

「お招き? いえ、そんなはずは」

「行きましょう。あかねがご案内いたします」

 だからそう言われても困る。一体どこに行こうと言うのだ。

 アリシアは思わず心の中で叫んでいた。

 なにがなにやら理解できず、ただもうその場に固まるしかない。一方であかねが駆け出した先、橋のたもとで振り返る。

「早く早く」

 そう言って手招きをされる。

 この少女からは敵意も殺意も感じない。彼女自身が危険である可能性は低そうだが、しかし自分だけで単独行動しても良いものだろうか。アリシアは逡巡して周囲を見渡すが、しかし広大な庭園は静まり返っており、他に人っ子一人もいない。

 できればフレイやアンリたちと合流したかったが、これでは今しばらく叶いそうもない。

 やむを得ない。

 一抹の不安を抱えつつも一人で動くことに決めて、アリシアは一歩を踏み出した。



 見慣れない植栽などを眺めながらしばらく庭園を歩いた後、ようやく見えてきた建物にアリシアは息を呑んだ。

 ファティマスの首都レベノスにあった王宮とは違う。

 が、確かにそれは宮殿と分かる荘厳さが満ちている。全てが木で成り、金と朱を基調に随所が塗られ、華麗な佇まいでそれはあった。

 その威容に圧倒されながら、少女の案内で殿に上がり、廊を進む。目の前で楽しげに、肩より少し短い髪が揺れた。

「宮にお会いになる前に、まず四季様にお会いになってください。今の時間なら、皆様きっと御殿のどこかにいらっしゃいます」

 屈託のない笑顔であかねが言う。

 が、その投げかけられた内容が内容なだけに、これ以上はさすがに無理だと観念した。アリシアは「ごめんね」と前置きしてから、あかねに話しかける。

「すごく失礼で申し訳ないのだけれど、その、宮とか、四季様? とか。それって一体、誰のことなの?」

 日の国でどう行動するか、フレイたちに任せっきりにしていたことを今になって後悔してもそれは遅すぎた。

 いつでも誰かを頼れるわけではないのだ。

 こんな風に、予期せぬ事態が起こって自分一人でどうにかしなければならない場面は、これからも沢山出てくるのだろう。実に見通しが甘かった。

 まだまだ覚悟が足りないようだ。

 内心で自分を叱咤しつつ、アリシアは改めて気を引き締める。そんなアリシアを知ってか知らずか、あかねは気負いのない様子で「そういえばアリシアさまは日の国に初めていらしたのでしたね」と言った。

「失礼いたしました」

「いいえ、ごめんなさい。私の方こそなにも知らなくて」

「大丈夫です。誰かとお話できるというのは、嬉しいことです。四季様にそう習いました」

「四季様……」

「あ、そのお話でしたね」

 そこでにっこりと年相応の笑顔を見せて、あかねは嬉しそうに話し出した。


 彼女が教えてくれたのは、まずこの国を代々治めている一族を指してみやと言う、ということだった。つまり他国でいう王族や皇族に当たるものらしい。

 現宮家の筆頭が大宮おおみや、彼が日の国の政務を司っている。

 大宮には四人の子がいて、歳が上から順に春宮、夏宮、秋宮、冬宮と呼ばれており、彼らはそれぞれの季節に関する政務や神事を執り行っている。この四人を「四季様」として、民草は親しみを込めながら敬愛しているという。


「まずは冬宮の御所へご案内いたしますね」

「ちょっと待って。四季様って、冬宮ってつまり、王子とか姫君とかそういう身分の方ってことでしょう!?」

 動揺のあまり、アリシアは先を歩く小さな手を引っ張ってその場に立ち止まった。

 相手は間違いなく雲の上の存在だ。

 普通に生きていたなら、絶対に相対することのない相手である。ただの記念になるだけならばいいが、きっとそうはならないだろう。フードで隠していない瞳が、竜の一族であるという証左の色が見えた時、彼らからどんな言葉を、視線を、感情を、自分はぶつけられるのだろうか。

 この恐れは拭えない。

 けれどこれを、目の前にいる年端もいかぬ幼子に明かすことも憚られる。

 迷った末、アリシアは開きかけた口を引き結んだ。振り返ったあかねの髪が優しく揺れる。見上げてくる両の目は数度瞬きをして、彼女は小首を傾げたまま「はい」と答えた。

「皆様、首を長くしてお待ちです。他にご質問はございませんか? さあ、参りましょう」

 話すほどに疑問が増える。そしてアリシアはそれ以上の言葉を探すことを諦めた。

 冬宮、とあかねが銀箔の輝く見事な壁画に向かって呼びかける。

 すると中から「入りなさい」と鈴の転がるような、可憐な声がした。アリシアとそう年が変わらなそうだ。

 壁だと思っていた面を、あかねが横へと滑らせる。

 奥に現れた部屋は広い。中ほどには丸い敷物に座し、ゆったりと肘掛にもたれかかっている女性がいた。あかねとは比較にならないほど色鮮やかな服を纏っている。袖も裾も優雅に長く、幾重にも重ね合わされている衣の色目は冬の空を映したかのように、大変に美しい。一目で高貴な身分であるということが知れた。

 彼女が冬宮と呼ばれるその人なのだろう。

 艶やかな黒髪が肩のあたりで切り揃えられている。ほほ笑みながら小首を傾げるその動きに合わせ、絹のようなその黒髪がさらりと流れた。

 その女性の横に、あかねにそっくりな少女が控えている。双子だろうか。部屋の奥もまた開け放たれており、その先には色とりどりに花咲く見事な庭園が続いていた。

「あかね、ご苦労でした。姉様、お見えになりましたよ」

 座していた貴人は庭園に目をやりながら声を掛けた。

「あら、もうそんなに経つかしら。まったく、あかねは足が速いのね」

 室内からの呼びかけに対し、庭園から物静かな声が聞こえたてきた。

 落ち着いた低さで、少しだけ笑っていると分かる。

 数瞬の後に現われた女性は、目の前にいる人と良く似た涼しげな美人だった。違うのは、豊かな黒髪が肩ではなく腰まで伸びていることだ。

 そして彼女は春の化身のごとく、淡く温かな色を纏っている。

 命の芽吹きを寿ことほぐような、赤子の柔らかな頬のような、優しい衣。それは明るい庭園の中で、彼女が歩く度に降り注ぐ光を返して輝いた。

 彼女はアリシアを見つめながら、ゆったりと歩く。

 やがて庭園から上がってきた彼女は部屋の中央、冬宮の隣に座す。それから丁重に手をつき、深々と頭を下げた。

 まるで流れる水のように、優雅で美しい所作だった。

「日の国へようこそ。わたくしは春宮、こちらに控えているのが冬宮でございます。あなた様をお待ち申し上げておりました」

 春宮と名乗った彼女の後ろで、冬宮が同じように礼を取っていた。

 アリシアは周囲を見渡した。

 誰もいない。

 豪華絢爛な御殿の中、まるで間違いのように突っ立っている自分が、間違いなく二人の貴人に傅かれているのだった。





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