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竜の負う十字架  作者: 東 吉乃
第一章 真紅の出逢い

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13.風纏う人


 次にアリシアの目に飛び込んできた景色は見慣れた天井だった。

 上半身を起こして見渡せば、ドアの木目、本棚、ベッド横の椅子が目に映る。曖昧な記憶ながらもどうやらここは自分の部屋らしい。

 窓が開けられている。

 緩やかに入ってくる暖かな春の風が、白いレースのカーテンを優しく揺らす。この柔らかい陽の入り方だと、今は昼下がりのようだった。

 身体には薄い毛布が掛けられている。しばらく頭が働かずにぼんやりとしていると、小さくドアの開く音がした。

「ああ、目が覚めたかね。気分は?」

 柔らかく気遣いの声がかけられる。

「……大じじ様?」

「随分と無理をしたようだね」

 言われてみれば、眠りに落ちる前の記憶がすぐに出てこなかった。

 身体が軋んで思うように動かないのはどうしたことか。覚束ないながら見回すが、特に外傷は見当たらない。

 コルトは穏やかな顔で、ベッド横にある椅子に座る。その後ろから、デールがゆっくりとドアを閉めながら入ってきた。その顔にはただ安堵の表情が広がっている。

「お前が帰って倒れた日から、もう四日経つ」

 アリシアの目を見ながらコルトが言った。

「そんなに?」

「大方のことは彼らから聞いたよ。あの日、お前の後ろに乗っていた青年が全て説明してくれた」

 倒れた自分。彼ら。青年。

 ばらばらの単語をゆっくりと繋ぎ合わせ、前後を思い出し、ようやくアリシアは自分の置かれている状況を理解した。


 自分は、竜の末裔としての力を使った。

 それも村人ではない、素性の知れない人間相手に。


 緊急避難とはいえ八人、それも軒並み重傷者を癒やしたのだ。その為に支払われた代償は、四日間の昏睡だったらしい。

 回復の為にこれほど長く眠ったのは初めてのことだった。

「馬鹿なことをした、とは言えない。強制睡眠に入る程に力を使ったのは、彼らを助ける為だったのだろうね。訊かずとも分かったよ」

 見れば、コルトは複雑な顔をしていた。

 育ての親が言いたいことはアリシアにも良く分かっている。外部の人間をファーマに入れたのはこの十九年で初めてのことだ。閉ざされた村、その理由はひとえにアリシア――世間から迫害された「竜の末裔」を守る為だった。

 それなのに村の禁を破ったのは、守られてきたアリシア本人だったのだ。

 アリシアの生きた二十年を無駄にする結果になるかもしれない。彼らがアリシアの存在を駆逐すべきと判断した日に、この村は簡単に消されてしまうだろう。

「ごめんなさい」

 前後を完全に思い出して最初に出たのは謝罪だった。彼らに敵意がないという確信はなかった。

「色々あって、……咄嗟に助けなきゃって思って」

 語尾は尻すぼみになった。


 身元不明の竜騎士を八人も連れて帰ってきた時点で、心配の種は余るほど蒔いている。

 この上、その前段階で騒ぎを起こしたとも、国軍の竜騎士と接触があったとも、それらが元で今の結果を招いているとも、まさか明かせるわけがない。


 黙っておけば存在しないことになる。明日をも知れぬ高齢の育ての親に、余計な心労をかけるべきではない。

 恐る恐る窺うと、コルトは小さく笑って首を振った。

「心配は要らないよ。少なくともあの怪我では一ヶ月は動けないだろう」

「今はどこに?」

「八人も面倒を見れる家といえば、ここくらいしかないだろうて」

 コルトの眉が下がった。

「皆、お前のことを随分心配していた。しばらくは目覚めないと伝えたんだが、最初の日から何度もお前の部屋を訪れていたよ。自分たちも怪我をしていて辛いだろうに……アリシア、お前と話がしたいと言っていた」

「話って、なにを?」

 怪訝さが声に出た。

 思い当たる話題はアリシアにはない。そういえば互いの名前も知らないような間柄で、一体なにを話すことがあるだろう。

 あの時は助けることに精一杯で、後先は二の次だった。

 養生にはこの家しかないこと、まして一日二日で全快できるわけもないこと、もう少し冷静に考えていれば、通りすがりの挨拶だけで終わる状況にはならないとすぐに分かったはずだった。

 額の傷が疼く。

 ぶつけられた悪意の塊は、未だ記憶に生々しい。だがそれを口に出せばまたコルトを悲しませる。気持ちを天秤にかけて、結局無難な断り文句は見つけられなかった。

「名前も知らないのに話すことなんて」

「だからこそ、じゃあないかね」

 消極的な断りは弱い理由にしかならなかった。

「私は、悪い人間ではないように思うよ」

 コルトにそう言われては、これ以上拒否しようがない。

「ん……分かった」

 不承不承ながらも頷く。嬉しそうにコルトが微笑んだことが、アリシアの胸に刺さった。

 

 

 規則正しく階下に降りていく二人分の靴音を聞きながら、アリシアは窓に目をやった。部屋の南側にある窓から入る光に、思わず目を細める。四日間も眠っていたせいだろうか、穏やかながらこの上もなく眩しく感じられた。

 少しして、小さく遠慮がちに部屋のドアがノックされた。

 どうぞ、とアリシアがドアに向かって声を掛けると、ややあって一人の男が入ってきた。見覚えのある顔だった。腹部を貫かれて、最も重傷だった男だ。然るべき手当をされたのだろう、上半身には正真正銘の包帯が巻かれている。

 彼はアリシアを見た途端ほっとしたように小さく笑った。ドアを静かに閉める。急くことをせず、ゆっくりと確かめるように歩く。動作の一つ一つが濃やかだった。

 アリシアのベッドの傍に来た時、高い位置から男が見下ろしてきた。


 視線に敵意は感じられない。

 むしろ表情は穏やかだったが、それでもアリシアは言葉を出せなかった。


 なにを話せば良いか分からない。相手がなにを望むのかも分からず、気後れするばかりだ。村の人間以外との関係性など初めてのことで、こういう場面で相応しい言葉など持ち合わせているはずもなかった。

 どれくらいそうしていただろうか。

 二、三度カーテンが風に翻った後、男が口を開いた。

「無事でよかった」

 四日ぶりの声が不思議と懐かしい。存外に声に張りがあり、重傷を負っているとは思い難い。

「まずは礼を言わせてくれ。ありがとう。君が助けてくれなかったら、あの森で私たちは全員死んでいた」

「お礼なんて」

 真っ直ぐな視線に耐えかねて、逃げるようにアリシアは目を逸らした。

 男の瞳は氷のように薄く青い。その透明さに隠し事のできなさそうな瞳だ、と思う。ともすれば心の中を見透かされそうで、それが酷く後ろめたかった。


 本当は怖いと思っている。

 まったく関わりのなかった他人。慣れ親しんだ村の人間とは違う。レベノスで出会った竜騎士をさして意識せずに済んだのは、たった一晩、それもその場に彼がいなかったからだ。


 彼らはそうはいかない。

 これから毎日顔を合わせることになる。何食わぬ顔で過ごせるか、正直に言えばアリシアには自信がなかった。

「私としては何度言っても足りないくらいだが」

 目を逸らされるなら、これ以上は飲み込もう。穏やかな引きに、アリシアはもう一度男の顔を窺った。

「それと、今更だが初めまして」

 男がしゃがみ、大きな手が差し出された。同時にアリシアの身体が凍った。

 目の前の掌を凝視する。竜騎士らしく古傷の痕が見えた。

「フレイ・トールだ。ゴルガソス帝国国軍所属で、大佐の任に就いている」

 無骨な手は美しくもあった。同時に重要な情報ももたらされている。ゴルガソス帝国、国軍、大佐。反応すべきことばかりだが、どうしても応えられなかった。

 悪意はない。そんなことは分かっている。

 ここは路地裏ではない。冷たいあの首都ではなく、温かな自分の家だ。雨も降っていない。

 なのにその手をどうしても取れない。

「名を訊いても?」

 問われたが声を出せなかった。


 差し出された手を怖いと思う。

 名乗ればどういう生まれかも晒すことになる。否、既に視線を合わせているから全てが露見している。どんな言葉がぶつけられる。笑顔の後に続くのは「しかし残念だが」という思い描いた終わりか。ならばなぜ、手を差し出す。さよならの握手か。紳士的に定型文の別れを切り出す為の。それともあの男たちと同じか。その手を取ったが最後、自分の意思は無視されて蹂躙されるのか。喉が苦しい。

 苦しい。

 どちらを想定しても同じだけ苦しいのはなぜだ。雁字搦めにされて、喉が詰まる。心臓が早鐘を打っていた。


 と、アリシアの視界から手が遠ざかった。気付けば彼は一歩下がってアリシアから距離を取っていた。

「すまん。急ぎすぎた。そうだな、まずは私の話をしようか」

「え……」

 声が掠れた。緊張で喉が張り付くようだ。

 どう振舞えば良いのか、どう受け答えをしたら良いのか、正解が分からない。

 分からなすぎて固まるしかないアリシアだったが、世慣れているらしい目の前の相手はそんなアリシアを前にしても、嫌悪感などは微塵も滲ませなかった。

「公平じゃないだろう。君はなにも知らないのに」

 フレイと名乗った彼は、あくまでも紳士的に振舞っている。離れた場所に立ったまま、再び近づいてくる様子はない。

 彼はアリシアのことを見ているが、ずっと目が合っている。

 視線が定まっているということはつまり、彼はこの部屋を興味本位で見回したりアリシア自身を値踏みしたりするつもりはないのだと知れた。

 どうやら彼は本当に話をしにきたらしい。

 ようやく認めて、アリシアはベッド脇に置いてあった椅子をそっと手で勧めた。

「あの、……どうぞ」

 相手は重傷者だ。立ったままでは傷に障る。

 拙すぎる勧めだったがしかし、「ありがとう」と笑ってフレイは椅子を引き寄せた。それから彼は「なにから話せばいいかな」と思案顔を見せる。

「君が訊きたいことがあれば答えるが、――その様子だとすぐには浮かばなさそうだな」

 苦笑して、困ったように右手で顎をなぞる。

「よし。まずは世間話兼自己紹介からとしよう。ゴルガソスは知っているか」

「……名前だけは」

「充分だ。海を渡った向こう、このファティマスから見て東に位置する国だ。ファティマスと違うのはあまり森や山がないところで、代わりに年中風が渡っていく大平原が四つ。ゴルガソスが風の国と呼ばれる所以ゆえんでもある。ここにいる私たちは全員がゴルガソス生まれで、かつゴルガソス国軍に所属している。そういう意味で一応身元は確かだから、怪しい一行ではないと信じてもらいたいところなんだが。出会いがなんせあれだから、こんなこと言われても疑うだろうな。ああ、それが普通の反応だ」

 完全に固まっていることを見抜かれている。

 しかしフレイはアリシアの様子を見て困ったように笑うだけで、責める言葉は一つも吐かなかった。

 そこで彼は突如ポケットをがさごそとやり始めた。取り出されたのは手の平に収まる四角い布だ。

「偽物だと疑われた日には、いよいよ本国に帰るしか証明できないが」

 アリシアの目の前に差し出して、手に取るように促す。

 先程とは違い、今度はアリシアもそれを素直に受け取ることができた。

「制服の……いや、軍服と言った方が分かりやすいか。肩につける階級章だ」

 深青の織生地に、金の糸で刺繍が施されている。

 いささか簡素に見えるが太い線が三本並び、その上に花が一つあしらわれている。花弁が五枚の、清楚な印象を受ける花だ。ファティマスでは見たことがない。

 指でそっと花をなぞると、フレイが続けた。

「ウェイゲラ・ホルテンシス。ゴルガソスの国花だ。白く小さな花だが、初夏に見事な開花を見せてくれる」

 一年で最も風薫る季節、風に揺れながら咲き誇るこの花はまさに風の国に相応しい。フレイはそうも言った。

 アリシアとしては、軍人の口から花の名が出たことに驚く。意外さから引き出された微かな好奇心が、やがてアリシアの口を開かせた。

「きっと綺麗なんでしょうね」

「今すぐとは言えないが、いつか見に来るといい。その時は案内しよう」

 屈託なくフレイが笑った。

 一方のアリシアは思わず眉を顰めてしまう。

「そんな簡単に約束をしてしまっていいの? あなたはきっと、……立場のある人なのに」

「逆にそれくらいの裁量はあるさ。相手は命の恩人だぞ」

 大佐と言っていたか。事もなげに請け合う彼の言葉は、どこまでが本当だろう。アリシアはそこでまたレベノスを思い出す。

 武器屋の主人が話していた、ルーク・フォルセティ。ファティマス国軍の少将に就く人物は一片の曇りもなく賞賛されていた。大佐とは、その少将の一つ下の階級になるはずだ。誰しもがなれるものではないとアリシアでさえ理解できる。

 この若さで。

 驚きと疑心がい交ぜになる。しかし彼が嘘を吐いているようには到底見えなかった。

 フレイ・トールという青年のことが、まだ到底分からない。

 とはいえ、相手を知る為になにを尋ねたら良いかがすぐには浮かばなかった。アリシアはどうしても受け身にならざるを得ない。それを感じ取ったのか、フレイが少しの間を開けた後で再び口を開いた。

「私たちは上からの命令で、このファティマス大陸にある遺跡を調査しに来た」

「なぜファティマスなの」

 アリシアの問いにはすぐに回答がなかった。

 一息挟み、フレイは上半身を傾けて両膝の上に肘をつく。その状態で目が合った。青い目はそこで初めて、僅か逡巡を滲ませた。

「……うん。良い返しだ」

「どういうこと?」

「久しぶりにどうやって話そうか迷ってるよ」

 しばらくの沈黙が降りた。

 やがて出された結論は、この場に立会い者が必要だということだった。考える素振りを見せながら、フレイがアリシアを見つめてくる。ほんの少しだけ、薄青の瞳が揺れたような気がした。

「――初めてなのに長居しすぎたな。今はここまでにしよう。ゆっくり休んでほしい」

 すまなかった、と頭を下げながらフレイが立ち上がる。

 そして彼は「続きは君の体調の良い時に、また」とだけ言い残し、来た時と同じようにゆっくりと部屋から出ていった。

 アリシアは知らず詰めていた息を吐く。

 ふと時計を見ると、彼が来てからまだ十分ほどしか経っていなかった。引き方があまりにも早く鮮やかすぎて、まるで心の中を見透かされたようだった。

 名も名乗れないほど、酷く緊張していた自分のことを。


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