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死んだ犬







 五年前膵臓癌で死んだ犬が目の前にいた。


 玄関に座っておれを見ていた。外見はシェパードにそっくりだが雑種犬で、十歳を越えるのに小型犬ほどの大きさしかなかった。死ぬ数週間前からぜいぜい息をして餌は食べずに水ばかり飲み、散歩を嫌がり寝てばかりいた。長く持たないのは誰の目にも明らかだった。おれが深夜に帰宅すると玄関で死んだように眠っていて、けれどおれの匂いに気づいたのかゆっくりと瞼を開き小さく鼻を鳴らしおれを見た。おれは撫でてやろうと思ったが朝から深夜におよんだアルバイトの疲れが酷く、なんだか無性に面倒くさくなり犬の名前を呼ぶだけにとどめた。翌日犬は死んでいた。死体を見ても何にも感じず「飼い犬が死ぬってのはこの程度のことなのか」と思いながらしばらく犬を見下ろしていると不意に涙が出てきて、そうなるとあとからあとから大粒の涙が滂沱として止まらずどうにも精神が不安定でその日は仕事を休み死体を処理し残りの時間を無為に過ごした。


 それが五年前だ。今、死んだ犬が目の前にいる。


「死にそうなつらをしてるな。どっちが死んでるんだかわかりゃしない」


 不意に犬がそう言った。よく通る吠えるような声だ。おれは理解が追いつかず一瞬放心状態に陥ったが、よくよく考えると犬は五年前に死んでいるわけでそうすると今おれが見ているのは幽霊、あるいはおれの脳が何か複雑な作用により生み出した幻覚や錯覚、つまりよくわからないモノなわけでそんなモノに常識が通用するはずもなくつまり犬が流暢に喋ろうとなんらおかしな所はないわけである。


「まあ、おれは半分死んでるようなもんだよ」


 おれはそういって笑うと犬に近づいた。見た瞬間は生前の犬にそっくりだったのに、よく観察してみると所々毛が抜け落ち不気味な斑模様となっていた。それだけじゃない。肉は腐り肋骨や脛骨が飛び出している。おれを見つめる瞳は白く濁り細い血管がどす黒い筋になって浮いている。死んだ犬だ。ゾンビ犬だ。おれは犬の頭を撫でてみる。感触があるようなないような、質量のある霧を触っているみたいでなんともいえないもどかしさがある。


「五年前と何にも変わっちゃいない。いや、むしろ酷くなってやがる」犬はあくびをしながらおれに言う。「昔からそうだったな。お前は消極的だ。生きることにさえ、な。できることなら死にたいと思ってるんだろ」


「別に死にたくはない。ただ終わってほしいんだ」


「死ぬことにさえ消極的なわけだ。お前は枯れ木だよ。あとは朽ち果てるのを待つだけだ」


「静かに朽ち果てるのを待たせてくれればと思わない日はないよ。だっておれに何があるんだ。おれがやることなんて小説を読んで映画を観てゲームをして、たまに小説を書いてネットの小説サイトに投稿するくらいだ。驚くのはそのサイト、しばらく投稿してないと【この小説は何ヵ月間投稿されていません、完結しないおそれがあります】とか表示されるんだぜ。まるで納期が設定されているかのようないいぐさだ。疲れるよ。まあ仕事したり他人に会うよりはぜんぜんマシだけど、ネットでさえ疲れるとは思わなかった。いやネットの方が疲れるのかな。四六時中繋がってるんだもんな。もう逃げ場は頭の中にしか無いのかもしれない」


「お前はずっと逃げてるな。昔は戦ったじゃないか」


「昔はね、ああそうそう、昔は戦ったなぁ。でもその結果が今のおれだよ。なんだろう、折れちゃったんだよね。ほら、おれの父親さ、あの人も折れちゃったのかなぁ。おれの父親が自殺したって、知ってるだろ? おれが死体を発見したんだ。六歳の少年にはなかなかキツい経験だったと思う。まあ、よく覚えてないんだけどね」おれは犬の濁った瞳を見る。「なんで死んだんだろうとは思わないよ。おれは人が死ぬ理由を詮索したくないんだ。それが肉親だろうと親友だろうと恋人だろうとおれは絶対に詮索しない。人間誰しも絶対に他人に触れられたくない部分があると思うんだ。おれはそういうものを尊重したい」


「違うな。お前は他人と関わりたくないだけだ。お前は孤独に死にたいだけだ」


「それの何がいけないんだ」


「いけないなんて一言もいってない」


「そんなニュアンスを感じたんだけどなぁ」


「勘違いだ」


「ならいいけど」


「死ぬなよ」


「なにが」


「自殺はやめとけ」


「自殺なんかしないよ」


「だといいけどな」


「死んだ犬にそんな心配されるとは思わなかった」


 もう一度撫でようと手を伸ばすとそこには何もいなかった。


 幻だろうか。それとも、おれが見ていたのは鏡か、鏡像か?






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